一 猫かぶり姫、后になる。①

 絹団扇越しに見せている微笑はつくりものだ。

 誰だって多かれ少なかれそうだと思う。おなかの中の本音は隠して、砂糖をまぶした甘い言葉ときれいな仮面をかぶる。ただ、璃璃の場合はこの「かぶりもの」の出来が少々よすぎるというだけで。


「ねえ、皆さまお聞きになって? ついに太子さまのお后さまが決まったんですって!」

 竜珠国王都、きよう

 年頃の姫君たちが集まる茶会は、次期皇帝・星火のお后選びの話題で持ちきりだ。

「数日前、后内定の書状を持った使者がりゆうりんきゆうを出たとか!」

「それってつまり……」

 絹団扇で口元を隠しつつ、かしましく言い合っていた姫君たちが目を輝かせる。

「次期皇后になる姫君のもとに、知らせが届いたということよね!」

 姫君たちの茶会は、王都にあるおのおのの屋敷で開かれる。年頃の姫君たちは、春から夏のあいだは社交と見合いのため、しばしば故郷から王都の屋敷にのぼってくるのだ。

 夏になると、竜珠国の象徴である睡蓮が咲き乱れるという池に面した四阿あずまやには、卓の上に胡桃くるみあんの詰まったげつぺい、砂糖と花さんしようで味付けをしたホアジユアン、豆乳を固めて果物を加えたトウフアといった茶菓子が並んでいる。

 それらは目で楽しむだけにして、璃璃がまつ茶を味わっていると、

「璃璃姫は何かご存じですか?」

 姫君のひとりが水を向けてきた。

「太子さまの使者を乗せた馬車は、翠家のある東の方角へ向かったと聞きましたよ」

「まあ……!」

 ほかの姫君たちが話を聞きつけ、さざめき立つ。

「それでは、やはりお后さまは璃璃さま!?」

「わたくし、きっとそうなると思っておりましたわ!」

「璃璃さま、どうなのですか? 遣いの馬車はやってまいりましたの?」

「──ごめんなさい、皆さま」

 姫君たちから期待を込めた眼差しを向けられ、璃璃はふんわりまゆじりを下げた。

 このように璃璃が微笑むと、少女たちの淡いしつは春風にでられたみたいに消えてしまう。

「客人の応対は父がいたしますし、わたくしもまだ何も存じ上げませんわ……」

(というのは、もちろん真っ赤な噓)

 絹団扇をそよがせながら、璃璃は三日前の晩の出来事を思い出す。


 姫君たちのお察しのとおり、翠家に竜鱗宮から放たれた馬車はやってきた。

 建国の頃から皇家に仕えてきた貴族八家にあたり、一応、伝統と格式だけはあるものの、没落しかけた翠家──天井の雨漏りは絶えず、門は斜めに傾いて、廃屋と間違えられかねない粗末な屋敷の前に、きらびやかな馬車が止まる光景は、何ともちぐはぐである。

 星火直属の従者を名乗るそくという青年は、今にも破れそうな床板をぎしぎし鳴らして璃璃の前にひざまずくと、でんの文箱に入った書簡を掲げた。

 文箱のふたには鱗紋が入っている。皇帝か太子しか使えない紋様だ。

 璃璃の父親のはぽかんとほうけていたが、璃璃はこれから起きることを冷静に受け止めていた。それでも、喜びが湧き上がるのを止められない。璃璃のもとに、鱗紋の文箱を持つ星火直属の使者がやってきた。意味することは、星火のきさきとして召し上げられる以外にありえない。


「それに太子さまのお后さまなんて少し……恐ろしくはありませんか?」

 璃璃が控えめに口にすると、「確かに」と別の姫君がうなずく。

「温厚柔和でいらした先帝とちがって、太子さまは《氷の君》とお噂の方……」

「ああ、一度も笑ったことがないという噂? 本当なの?」

 姫君たちの話はお后選びから星火の人物評に移った。

 いわく、うつくしいが、冷たい。有能だが、冷たい。

 笑うことはおろか、微笑むところさえ見たことがない。いつも冷ややかにまゆを寄せていらっしゃる──。

「半年前に先帝がお亡くなりになって皇帝代行の任につくなり、気に入らない官吏を大量に解雇したって聞いたわ。泣いて温情をう官吏にも眉ひとつ動かさず、財産没収を言い渡したとか……」

「まだお小さかった頃には、そば仕えの宮女が花瓶を落としただけで、むちちのうえ王宮から追放したらしいわよ。その後、宮女は死んでしまったとか……」

「きっと氷のように冷たい心をお持ちなのだわ」

 姫君たちはあおめた顔でぶるっと震えた。

 先帝は十五年前に最愛の后を流行はやり病で失い、長く心を病んで執政ができなくなったすえ、半年前、崩御した。ようやく先帝の喪が明け、太子・星火は后を迎えたうえで即位する。

 竜珠国の皇族は、竜神と人間の姫君とのあいだに生まれた皇子を祖としており、その血を濃く継ぐ者は、初代竜帝に似た白銀の髪とそうぎんひとみを持って生まれるという。彼らは竜神の祝福を受け、時に異能を宿すため、《加護あり》と呼ばれる。

 一方、星火は銀灰色の髪に蒼灰色の眸という、初代竜帝とは異なる容姿を持つことから、竜神の加護が薄い《加護なし》だと一部の人間からされているらしい。ゆえに星火の即位にかたくなに反対する家臣もいたそうだが、星火はそれらをねじ伏せ、半ば強引に皇帝位を手にした。「氷のよう」という評判は、この一件でよりいっそう強固なものとなったようだ。

 璃璃は父親の四亀に連れられ、一度だけばいえんの花見で拝した男を思い出す。

 氷の君とたとえられるぼうの男は、紹介された璃璃がきようしゆすると、何かを見とがめたように目をすがめた。

「……そなた、名は?」

 低く深い美声が尋ねる。

「璃璃と申します」

 絹団扇うちわ越しに花咲くような微笑みを向けると、星火は眉をひそめた。

 ──何か気に障ることでもしただろうか?

 不思議に思った璃璃に対し、「そうか」とそっけなくうなずき、星火は四亀に下がるよう命じた。

 たいした言葉を交わすこともなく、ふたりのかいこうはあっさり終わった。

 璃璃の微笑が効かない相手はめずらしい。噂では、性格に少々難があるようだが……。

(ただ、この国一の金と権力はある)

 璃璃がもっとも愛するそのふたつを星火は持っているのだ。結婚相手としては申し分ない。

(どうせ夜にとぎをするだけなんだから、性格なんてどうだっていいわ。大事なのは皇帝の地位のほう)

 璃璃はということもあり、ほかの姫君たちのような、この国特有の夫婦愛への信奉が薄い。

 子どもの頃からの目標は、この国一のたま輿こし。太子・星火の后である。

 そして努力の甲斐かいあって、ついに三日前、璃璃は星火の后に選ばれた。

 玉の輿計画は順調すぎるほど順調だ。

(わたくしほどれんで人品に優れた姫君なんてほかにいないし……うんうん、太子は見る目はあったようね!)

 と茶を飲みながら、璃璃は内心そんなことを考えている。

 璃璃が常にこうなので、故郷の兄姉きようだいたちは璃璃を《猫かぶり姫》と呼んでいた。ただし、このかぶりものはたいそう出来がよく、容易には誰も見破れない。それが幸か不幸かは一考の余地があるが、少なくとも璃璃自身は不都合には思っていないし、おおいに活用してきた。

(見ていて、兄上、姉上、義母ははうえ。それから……)

 璃璃は帯に結んだ青のうはいぎよくを握りしめる。

 華やかな装飾品の中で唯一、それはこつとう品のように古めかしく、玉はきずだらけで欠けていた。幼い頃、名も知らない友人から預かった璃璃の宝物だ。

(まずは太子・星火のちようあいを速やかに得る……!)

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