氷帝と猫かぶり后の寵愛契約 竜鱗宮入れ替わり譚

水守糸子/角川文庫 キャラクター文芸

 りゆうしゆこくの神話は語る。

 竜神のまつえいである皇帝は、きさきをひとりしかめとらない。

 そして、つがいとなった后を生涯深く愛するという──。


 絹団扇うちわで顔を隠しながら、は子どもの頃から何度も聞いた番いの神話を思い返していた。

 目の前の祭壇には、すいれんを模した紙花があふれている。

 ここは竜神をまつびようである。竜珠国でも、重大な国事にしか使用されることはない。

 今日は、その重大な国事の日だ。

 皇太子であるせいが婚礼とともに即位し、皇帝となる。

 璃璃は星火の番いとなる后だ。

 今、この場所で行われているのは、星火と璃璃の婚礼の儀式である。

「后陛下、こちらへ」

 この国の神官《りゆうかん》に呼ばれ、璃璃は絹団扇を持ったまま、一歩進み出た。

 十七歳になる、貴族・すい家の末姫、璃璃は「竜珠国のれんすぎる花」と噂されるうつくしい少女だ。

 細い雨のように背に流れる黒髪は、左右でまげを作って睡蓮の花飾りをつけ、深紅のじゆくんにはすそに金糸でせいな流水紋がしゆうされている。帯から下がるのは房飾りがついた青のうはいぎよく。璃璃が裙の裾をさばいて歩くと、涼しげな音が響いた。髷に挿した金の歩揺がちりりと音色を奏でているのだ。

 絹団扇越しにも香り立つ少女の可憐さに、列席した者たちがほうと息をのむ。

 ──噂どおり、まるで梅の花精のような姫君ね。

 ──ただ歩くだけなのに、なんと気品に満ちていらっしゃるのか……。

 ため息まじりに周囲がささやく中、璃璃は祭壇に向けて一礼する。

 まるで梅の花がひらくようなしとやかな仕草である。

 璃璃のまなしの先には、夫となる次期皇帝──星火がいる。

 竜珠国は竜神の末裔である皇族が治めており、彼らは皆ひときわうつくしい容姿を持って生まれつく。二十一歳になる次期皇帝、星火もその噂にたがわない。竜のうろこ紋が刺繡された漆黒の大そでに深あいいろの下衣をつけ、さいのときに使うごうしやな冠をいただく。背に流れる銀髪は、射し込む朝陽でいっそう輝いて見えた。

 ──星火さまもいつ見ても、本当におうつくしいわ。

 ──でも、相変わらずの「氷の君」ね。ご自身の婚礼であるのにまゆひとつ動かされない……。

 女官たちの囁き声に気を留めたふうもなく、星火はしきたりどおりに璃璃に手を差し出した。

 その手に璃璃は手を重ねる。

 廟の外では晴れた空からはらはらと天気雨が降った。

 今は大地に眠りについた竜神が、祝福のために降らすものだといわれている。

 気付いた巫女みこが雨が降ったことを告げ、竜儀官がこの婚姻が成ったことを皆に知らしめる。

 一同が深くこうべを垂れる。

 そして手にした絹団扇の下で──

(よし!)

 璃璃は天にこぶしを振り上げたいのを必死にこらえていた。

(わたくし、やりとげたわ!)

 璃璃の胸に、喜びが湧き上がる。

 ただし、それは打算まみれの腹黒い喜びである。

(この国一の輿をわたくし、手に入れたわ……!)


 この日、竜珠国一の可憐すぎる「猫かぶり姫」は、皇帝・星火と結婚した。

 後世まで語り継がれる伝説のちようこうの誕生だが、このとき、当人たちの胸にはまだ打算か思惑しか存在しない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る