第7話 欠席魔の流儀

「これで、よろしいかと」


「ええ。ありがとう」


 東宮に用意された控室は、すでに人が住む場所として整えられていた。


 淡い色合いの調度。

 風を通すために、少しだけ開けられた窓。


 鏡の前では、侍女オデットが公爵令嬢メイリーンに化粧の仕上げを施していた。


「いいわね。前よりも、さらに自然な感じがするわ」


 主君の褒め言葉に、侍女は小さく恐縮する。


「なんだか申し訳ない気持ちになってしまいます。お嬢様のお顔を、目立たなく変えてしまうことが……」


 寂しそうに笑うオデット。


 メイリーンが柔らかく微笑んだ。

「ううん。助かってるわ。おかげで、誰にも気づかれずに東宮を歩き回れるんだもの。さあ、お茶にしましょう」


 卓には、湯気の立つ紅茶。


 メイリーンは椅子に腰掛け、紅茶に口をつける。

 温度も香りも、申し分ない。


 控室の一角では、ジャイアナが腕を組み、壁にもたれていた。

 いつもと変わらぬ立ち姿だが、その視線は鋭い。


「メイ様。東宮の兵は、どうだったのだ?」


「ええ……訓練が足りていなかったわ」


 即答だった。


「やっぱりなのだ。筋肉が足りなかったのだ」


 ジャイアナは鼻を鳴らす。


 そのとき、控えめなノックが響いた。


「失礼いたします。王太子殿下よりの使いにございます」


 オデットが一歩前に出る。

 使者は、控室の入口で姿勢を正した。


「どのようなご用件ですか?」


「殿下より、メイリーン様へお伝えするようにと」


 使者は一度、言葉を選ぶように間を置いた。


「お話があるとのことです。本日中に、お一人でお越しいただきたい、と」


 空気が、わずかに冷えた。


「……それだけですか?」


 メイリーンの声は、穏やかだった。


「は。必ず、お一人で。護衛の同行は禁止する、と」


 オデットが、思わず使者を見る。

 背後で、ジャイアナの気配がわずかに変わった。


「先ほど、押しかけてきて、侍女を連れ帰ろうとした件については?」


 メイリーンは紅茶を置き、使者に問いかけた。


「謝罪や、釈明はありませんか?」


 使者は一瞬、言葉に詰まった。


「……そのような事実は、伺っておりません」


「そうですか」


 メイリーンは頷いた。


「では、お話しすることはございません。お引き取りください」


「……え?」


 使者は目を瞬いた。


「い、いえ、私は王太子殿下の使いで――」


「王太子殿下でありましても」


 言葉を遮る。


「度を越した無礼に、対応することはございません」


 その瞬間、壁際にいたジャイアナが、一歩、前に出た。


「ここは女性の部屋なのだ。帰るのだ」


 巨躯が生む圧に、使者の喉が鳴る。


「は、はいっ! で、では……手紙だけ、置かせていただきますっ!」


 封書をそっと置き、使者は逃げるように退出した。

 王太子の私室とは、別の方向へ。


 扉が閉まる。


 オデットが手紙を拾い上げ、メイリーンに差し出す。


「こちらは、どういたしましょう?」


「陛下に提出する資料になるわ」


 淡々と答えるメイリーン。


「保存しておきましょう」


 オデットは静かに頷き、封書を収める。


 控室には、再び落ち着いた空気が戻った。


 公爵令嬢は紅茶を一口、飲む。


「……ふふ。この後は、おやつと読書の予定が詰まっていますから」


 小さく、しかし確かな声音。


 オデットが本棚へ向かいながら振り返る。

「発掘されたばかりの魔導書、持ってきてありますよ」


「私は筋トレするのだ」

 ジャイアナは当然のように言った。


 メイリーンは、その光景を眺めながら、指先でカップの縁をなぞった。


 ――これでいい。

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