第2話 初顔合わせは、欠席

 その日、メイリーンは“地味な婚約者”として王宮に足を踏み入れた。


 回廊を進むその姿は、ひどく控えめ。


 紺色のドレスは礼節を欠かぬ仕立てだが、飾り気はほとんどない。

 艶を抑えた髪をまとめ、無難でしかない眼鏡を掛けている。


 公爵令嬢として、失礼ではない。

 だが――華やかさもない。


 若い文官が一瞬だけ視線を留めたが、すぐに興味を失ったように目を逸らした。


「こちらが、顔合わせの控えの間でございます」


 扉が開かれ、メイリーンは静かに中へ入った。


◇◇◇


 同じ頃。


 控えの間の外、高窓の陰から、その様子を見下ろす男がいた。


 王太子ミサラサである。


 窓越しに中を覗き込んだ彼は、ほんの一瞬で眉をひそめた。


「あれが……公爵令嬢?」


 側に控える従者が頷く。


「はい。メイリーン・セレスタリア・ショカルナ公爵令嬢に相違ありません」


 ミサラサは、鼻で笑った。


「……あの程度の女が、婚約者だと?」


 顔立ちや体つきは悪くないが、ただ、それだけ。目立たず、抱く気にもならない娘。


「美しいという噂は、誇張だったか」


 従者が戸惑いながら、言い伝える。

「いえ、以前お見かけしたときは、たしかに、お美しく感じたのですが……その、今日は……どうなさったのか」


「いや、嘘だな。時間の無駄だ」


 ミサラサは、それ以上確かめようともせず、窓から離れた。


「……顔合わせの刻限ですが」


「いくらでも待たせておけ。地味な女だ、せめて忍耐力はあるか、テストしてやる」


 そう言い捨て、踵を返した。


◇◇◇


 定刻。

 そして、形式上の猶予。


 控えの間では、時だけが静かに過ぎていった。


 控えの文官が落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。


「……殿下は、別件の対応中とのことです」


 メイリーンは、ただ一度、頷いた。


 やがて、彼女は席を立つ。


「本日の顔合わせは、ここまでといたしましょう」


 侍女が息をのむ。

 文官が慌てて声を上げた。


「え、あの……殿下がお見えになれば……」


「定刻は過ぎています。すでに婚約は成っておりますし、次回は殿下のお住まい、東宮でお会いできましたら」


 感情も、非難も、そこにはなかった。


「承知しました」


「東宮への、わたくしの付添人の許可、お礼を直接申し上げたかったのですが……。よろしくお伝えくださいませ」


「……かしこまりました」


 形式的な一礼。

 それだけを残し、メイリーンは控えの間を後にした。


◇◇◇


 その日の夕刻。


 王宮の典礼局から、公式文書が届けられた。


 ――本日予定されていた顔合わせは、公爵令嬢メイリーンの欠席により中止となった。


 侍女が唇を噛みしめる。


「……あちらが来なかったのに……」


 メイリーンは、眼鏡を外し、机の上に静かに置いた。


「今のところは不合格……かしらね」


 抗議はしない。

 訂正も、求めない。


 ただ、「無断欠席」という事実が一つ、積み上がっただけ。


 それが、どちらの“落ち度”として記憶されるのか、どちらが不合格となったのかを――

 この時、王太子はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る