魔王と勇者

 魔王と勇者。暗夜と輝夜。よく似ていて全然違って、本来なら交じり合わないはずの存在のふたり。ふたりの出会いは、星が光る真っ暗な夜に突然訪れた。


 輝夜もいつもここで星を見ていたらしい。不思議なことに、今まで一度も出会ったことはなかったけれど。


 しきりに暗夜のことを見つめては嬉しそうに口元を緩める輝夜。なんだか居心地が悪くて、暗夜は小さく咳払いをした。


「さっきの、冗談だよね?」


 輝夜は暗夜の発言の意味がわからないといった風体で、まんまるな目でこちらを見た。猫みたいな仕草。暗夜は薄く笑ってから、言葉を続けた。


「きみが魔王ってやつ。だってきみ、まだ子供だろ? 僕もだけど」


「うん。まだ十六だけど、でも、嘘じゃないよ」


 真っ直ぐな目で暗夜を見て、輝夜が続ける。


「母さんが、体が弱くて、それで去年ぼくが戴冠

したんだ」


 そう言って、口を閉じて俯いた輝夜。落ち込んだようにテーブルの上のランタンに向けて伏せられた輝夜のまつ毛に視線をやって、暗夜が静かな声で問う。


「魔王、嫌なの?」


「ちが、うけど……でも、ぼく、今はまだ何もわからなくて、何もできなくて、だからたまに疲れちゃうんだ」


 輝夜がゆっくりと首を左右に振ると、耳を隠す長さの毛先がふわふわと揺れた。暗夜は大げさな動作で天を仰いで、輝夜に返す。


「そっか。僕も勇者でいるのに疲れちゃったな。

一緒だね」


「――きみは、魔物はみんな殺したほうがいいと思ってる?」


 低い声で、おずおずと輝夜が尋ねてくる。暗夜は頭を振ってそれに返した。


「――思ってたら、きみはもう生きてないよ」


「そっか、そうだよね」


 そう言って少しだけ口元を緩めて、輝夜が再びうつむく。


「ぼくは、人間と魔物がなんで殺し合うのか、よくわからないんだ」


「人間同士でだって殺し合うよ?」


「うん。魔物同士でもそうだけど、でも、人間と魔物なんか、あんまり変わらないのに、見た目がちょっと違うだけで殺し合うのは変だよ」


 ちょっと・・・・というのは、暗夜にはよくわからなかった。魔物と人間は明らかに違う。けれど確かに、今自分の目の前にいる輝夜魔物は、自分とほとんど変わらない見た目をしている。


「暗夜、きみはどう思う?」


「……」


 まっすぐに問いかけられて、暗夜は黙して俯いた。暗夜は、勇者なのだ。勇者と言っても、いにしえの英雄譚にあるような悪を払い世界に平和を取り戻す存在ではない。どちらかというと、魔物たちにではなく自国の国民に対して武力を誇示し、安心感をもたらすための存在だ。


 暗夜の普段の仕事は、近場に住み着いている魔物を殺すこと。その魔物の本性の善悪など関係なく、勇者は、これまでに魔物をたくさん殺してきた。そんな暗夜に対して、輝夜のこの質問はあまりにも残酷だ。


「……わからないけど、でも僕は、勇者だから、魔物は、殺さないと……」


 きれぎれの言葉をどうにか絞り出して押し黙った暗夜に、輝夜が半分閉じた瞼の奥から視線を投げる。


「ぼくは、勇者の意見は聞いてないよ。きみの意見を聞きたいんだ」


「……死んだらみんな、血と肉と内臓の塊だよ。人間も魔物も動物も、そこに違いなんかないと思う。でもそれで争うのが変かは、僕は知らない。どうでもいいよ」


 吐き捨てるように言ってから、暗夜はぼろぼろにささくれた床板に向けていた視線を、輝夜に移した。


「きみは、人間や魔物を殺したことがある?」


 輝夜は黙って、首を横に振る。


「僕は、どっちも殺したことがある」


「人間も? きみは人間なのに?」


「魔物も人間も変わらないなら、なんできみは、僕が人間を殺したことに驚くんだ? どっちだって一緒じゃないの?」


 暗夜の言葉を受けて、輝夜は顎に手をやってうーんと呻いた。


「ほんとうだ。おかしいな。ぼくも変だ」


「自分の手を汚したことがないなら、きみのそれはきれい事だよ」


「……」


 今度は、輝夜が黙って俯いた。


 暗夜は輝夜から目をそらして、空を仰ぐ。朽ちて天が開いた屋根から覗くのは、きれいな星空。いつの間にか日が落ちて、地上では輝夜が灯したランタンだけが光って見える。


「きみはきれい事だって言うけど、ぼくは」


 小さな声で、輝夜が口を開く。暗夜が輝夜に目を向けると、薄墨色の瞳が真っ直ぐに見つめ返してきた。


「本気で考えてるんだ。でも、ぼくには何もできないから、どうしたらいいかわからなくて。

 ねえ暗夜、きみがもし、魔物も人間ももう殺したくないのなら、ぼくに協力してほしいんだ。争いをなくすことはできないけど、でも減らすことはできるでしょ」


 輝夜の強い視線に圧されて、暗夜は黙して目を見開く。


「輝夜、おまえ、いかれてるよ。できないよ、そんなこと」


「なんで? ぼくは魔王で、きみは勇者なんだよ? 協力すれば何でもできると思わない?」


 ――なんて脳天気なやつなんだろう。暗夜はそう思った。けれどなんだか、不安になるほどの真っ直ぐさを面白くも思った。暗夜は目を伏せて、静かに息を吐く。


「きみとはここでしか会わない。予定も合わせない。今日みたいに偶然会ったときだけ。それでよければいいよ」


「ありがとう!」


 弾けるような勢いで輝夜に手を掴まれて、暗夜はもうすでに自分の言葉を後悔していた。


 それからふたりは、よく会うようになった。ふたりとも相当前からこのぼろ屋に通っていたけれど、今までに一度も出会ったことはなかった。それが嘘のように、ふたりはよく顔を合わせるようになった。



 いつの間にか紅葉は枯れ葉に変わり、さらに時間が過ぎた。勇者と出会ったあの森はすっかり景色が変わって、痩せた枝が露出した木々が立ち並ぶようになった。


 輝夜はその夜、一人であの小屋にいた。日が暮れて、そろそろ夜の帳が降りてくる頃。背後からがさがさと音が聞こえてきた。


 暗夜が来たのだと悟った輝夜は焼き菓子を頬張った口をもぐもぐとやりながら振り向く。背後に立つ暗夜の姿を視界に捉えると目を見開いた。


「あっ、げほっ、ごほっ」


 焼き菓子のかけらを盛大に吸ってむせる。


 黙って水を差し出してきた暗夜の手から水筒を受け取ろうとして、目測を誤って掴んだ彼の手がぬるりとしたことに驚いて、輝夜はぱっと手を引いた。金属で出来た水筒が地面を打って水を撒き散らしながら転がっていく。


「……」


 暗夜は何も喋らなかった、ただ、暗く沈んだ目で輝夜を見ている。


「暗夜、それは」


 ひとしきりせき込んだあとに輝夜が口を開くと、暗夜は弾かれるように空を仰いだ。


「これは僕の血じゃない」


 暗夜が真綿のようにうつろな声を出す。輝夜は静かに深いため息をついて、羽織っていた外套がいとうのボタンに手をかけた。


「そのままだと良くないよ。家の裏に沢があったでしょ。服と体、洗っておいで。焚き火作っておくから」


 脱いだ外套を暗夜の血まみれの手に握らせる。


「これ、羽織りなよ。身体も拭いていいから」


 そう言い捨てて薪を集めるためにドアの外へと飛び出そうとした輝夜の腕を、暗夜の血まみれの手が掴んで止めた。


「ねぇ、輝夜」


 静かな声。輝夜は呆然と暗夜を見つめる。


「ねぇ、僕と変わってよ。僕、勇者に疲れちゃったんだ」


 掴まれた手首が血でぬるつく。ぎゅっと握られた手から、金臭い匂いが立ち上ってくる。その手を振り払うこともできずに、輝夜は丸い瞳を暗夜に向けた。

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逃亡勇者、魔王になる ねさかなこ @nesakanako

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