第3話 あっという間に一週間

 今日は朝から雨が降っていたので、安井に送ってもらうことにした。

 お嬢様だからといって、リムジンに乗ったりはしない。あんなもの、街中を走っていたら悪目立ちしてしまう。


「お嬢様。二年生になられてから一週間が経過しましたけれど、もう新しいクラスには慣れましたか?」


 ハンドルを握りながら、安井が尋ねてくる。


「いや、全然」


「おや、スタートダッシュ失敗ですか? お嬢様は人見知りですからねえ。でも大丈夫! まだたったの一週間! あきらめないで! ファイト!!」


「朝から暑苦しいんだけど」

 

 人付き合いが苦手、みたいな言い方をされるのは心外だ。

 

 学校に到着してからも、もやもやした気分が残っていた。


 机に頬杖をつき、真剣に考えてみる。

 確かに私には友達がいないが、別にハブられているわけじゃない。


「おはよう神崎さん」


「あ、佐藤さんおはよう」

 

 だってこのように、挨拶してくれるクラスメイトがいる。ちなみに、佐藤さんは私の左隣の席だ。


「今日雨だねー。私、自転車通学だから濡れちゃった」


「そうなんだ。大変だね」


 少しくらいなら雑談だって交わす。


「……」


「……」


 ただ、その後の会話が続かないだけだ。


 ……わかっている。私のような平凡で何の取り柄もない子は、自分から積極的に話しかけなければ友達なんてできるわけがない。

 でも、それが難しいのだ。何を話せばよいのかわからない。


 私は鞄から本を取り出す。こっそりと隣に視線を向けると、佐藤さんは友人たちと談笑していた。

 皆早いよ打ち解けるのが!


「おはよう」


「……」


 推理小説に目を通すふりをしつつも、頭の中は不安でいっぱいだ。

 まだ一週間、と安井は言っていたが、去年もそんな感じで楽観していたら、あっという間に一年が過ぎてしまっていた。


「おはよう、神崎」


「……」


「……」

 

 安井、さっきはごめん。やっぱり私は人付き合いが苦手――


「神崎いろは!」


「うわぁ!?」

 

 突然頭上から市之瀬君の声が降ってきて、私は飛び上がった。

 彼は私の机に手をつき、じめっとした視線を向けてくる。


 市之瀬君が先程から何か言っているのはうっすら聞こえていたが、私に挨拶していたとは夢にも思わなかった。


「おはよう」


「……おはよう市之瀬君」

 

 私が挨拶を返すと、市之瀬君は満足そうに頷いた。……挨拶のカツアゲだ。

 やはり、彼はちょっと変わっている。


「そうだ。神崎、これ」

 

 市之瀬君が一枚のポストカードを渡してくる。

 見ると、それは彼の個展の案内だった。


「え、私にくれるの? どうして?」

 

 私なんかが招待されてもいいのだろうか。

 困惑する私に、市之瀬君はなんてことのないように告げる。


「だって神崎、俺の絵好きだろう?」


「――」

 

 一点の曇りもない、まっすぐな瞳。その美しさに、私は見入ってしまった。


「だいたい、お前はいつも俺の個展に来てくれるじゃないか。執事? とやらと一緒にさ」


「なんで知っているの!?」


 頬がカーッと熱くなる。

 本人に認知されたくないタイプのオタクなのに、相手にファンであることがバレてしまったんだけど!?


「会場に名前を書く場所があるだろう? 礼状だって送っているはずだが」


「それは、そうだけど……もしかして、私が一番好きな絵もわかったりする?」


「俺が小四の時に描いた運動会の絵」


「……当たり」


 雷に打たれたような衝撃が走る。

 市之瀬君の個展にはあんなにもたくさんの人が来ていたのに、私のこともちゃんと見ていてくれたなんて。


「はいお前ら席に着けー、ホームルーム始めるぞー」

 

 ちょうどその時、担任の原先生が教室に入ってきて、会話は打ち切りになる。

 

 先生の話を聞くふりをしつつ、私はこっそり市之瀬君の横顔を眺めた。


 昨日も徹夜で絵を描いていたのだろう。やつれた顔をしつつも、その瞳はキラキラと輝いている。毎日が充実している証だ。

 

 市之瀬君に見られているとなると、これからはもう少し自分の行動に気を配るべきだろう。


   ◇◇◇


 昼休み。


 三階の廊下を歩いていると、突然バッシャーン、と水が地面に叩きつけられる音がした。


「えっ、何事?」


 驚いて窓の外を見るが、そこには雲一つない青空が広がっていた。雨は午前中に止んでいる。


 窓を開けて、階下をのぞき込む。

 二階では、二人の女子が窓から身を乗り出して、クスクスと意地悪そうに笑っていた。片方はバケツを手にしている。


 さらに下へと視線を向けると、校舎の裏庭で、ずぶぬれになって立ち尽くす別の女子がいた。どうやら二人組に水をかけられたらしい。


 ――まさか、いじめ?


 うちの学校にも存在しているなんて。ショックだ。


「……」


 脳裏に市之瀬君の笑顔が浮かぶ。

 

 ……このまま見過ごすわけにはいかないよね。

 二階に教室があるということは、おそらくは一年生のはず。


「あなたたち、何をしているの!」


 私が上から声をかけると、いじめっ子たちはやべ、と言いながら引っ込んでいった。


 これで彼女たちも少しはおとなしくしてくれるといいのだが――それより、水をかけられた子は大丈夫だろうか?


 念のため、彼女の様子を確認しに行くことにした。


 裏庭まで下りて行くと、水をかけられた女子はまだ、呆然とした様子で佇んでいた。

 前髪からぽたぽたと雫が滴り落ちている。うつむいているため、その表情はよくわからない。


「ねえ、大丈夫……?」


 声をかけるが、反応はない。


 ふと、彼女の体が震えていることに気がついた。深く考えずにここまで来てしまったが、体を拭くものなんて持っていない。代わりになるものといえば――


「あの。これ、よかったら」

 

 私はポケットに入っていたハンカチを差し出す。吸水性は頼りないが、何もないよりはましだろう。


「……ぁ」


 ハンカチを目にした瞬間、彼女は唇を震わせる。

 そして次の瞬間、


「ふえぇえええええん……」

 

 堰が切れたように感情を爆発させた。

 口を開けて、子どものようにわんわんと泣き声を上げる。


 ……これは完全に予想外だ。

 

 どうするべきかわからずに困っていると、一階の廊下の窓が開き、原先生が顔を出した。


「おいおい、神崎ぃ。何後輩泣かせてるんだ」


「違います先生、私じゃありません!!」

 

 彼女は全然泣き止みそうにない。

 結局、彼女を保健室に連れていく役目は先生にお願いした。


 ……どうやら、私が介入したせいで余計に状況をややこしくしてしまったようだ。

 マリア様のようにサラッと人助けをしたかったが、一般人にはハードルが高いかもしれない。

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