第1章 市之瀬君と学校生活
第1話 新しいクラス
新学期初日というのは、一年で一番エネルギーを消費する。
「お帰りなさいませお嬢様。ご飯になさいますか? お風呂になさいますか? それとも、や・す・い?」
「あー……ご飯」
「どうして突っ込んでくれないんですかぁ!!」
いつものことながらやかましい執事だこと。そもそも、私を学校まで迎えに来たのは彼だ。つまり、一緒に帰ってきている。
こちらに恨みがましい視線を向けつつも、安井は夕食の準備を始めた。
基本的に、我が家の食事は、通いの家政婦さんによる作り置きだ。専属シェフのフルコースなんて、アラブの大富豪レベルにならないとお目にかかれないだろう。
しばらく待つと用意ができたので、食卓に着く。安井は私の向かい側に座った。
普段は特に気にしていないが、よくよく考えたら、執事と主人一家が一緒に食事をするのは変な気がする。
思えばこの安井という男、胡散臭さの塊である。
彼が我が家で働き始めたのは、私が中学生になったタイミングだった。
それまで私の親代わりになってくれていたお手伝いさんが引退し、入れ替わりでうちに来たのだ。それ以前の経歴は謎、実年齢も不明(たぶん二十代?)。
そもそも、見た目が変わっている。眼鏡に燕尾服、まではまだわかるが、長髪を三つ編みにしている男性は、二次元のキャラでしか見たことがない。
「あ、やべ。今日のお米水っぽい……完全にやらかしました! てへ」
「申し訳ないけど、成人男性がそれは許されない」
およそ執事らしからぬ言動。
いくら仕事で不在にしがちだからといって、こんな怪しい男を娘と二人きりにさせる私の両親は正気じゃないと思う。
「ところでお嬢様。今日から高二ですよね。新しいクラスはどうでしたか」
「食べるかしゃべるかどっちかにして」
安井をたしなめつつ、今日学校であったことを思い出す。
確かに、誰かに聞いてほしい話ではあった。
「それがね――」
◇◇◇
新しい教室に入った途端、クラスメイトたちの刺すような視線が飛んでくる。
(こ、怖ぁ……)
お互いの腹を探り合うような緊張感。相変わらず心臓に悪い。
私の席は廊下側から数えて二列目の、一番前だった。
席に着くなり、鞄から本を取り出す。読書するふりをしつつ周囲の状況に耳を澄ませた。
……なるほど、去年と比べておとなしい人が多いようだ。仲良くなるには自分から声をかけないと厳しいだろうか。
「お、俺の隣は神崎か。よろしくな」
底抜けに明るい声が聞こえてきて、顔を上げる。
右隣の席から私に手を振っていたのは、予想外の人物――昨日観察していたカップルの片割れ、市之瀬君だった。
「いっ、いいい市之瀬君!?」
「どうした、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
驚きのあまり、手にしていた本を床に落としてしまう。
親切にもそれを拾ってくれた市之瀬君は、不思議そうな表情で私の顔をのぞき込んだ。近い近い近い!
「だってここ、理系クラスだし……」
私は消え入りそうな答える。しかし市之瀬君は、ますます怪訝そうな顔になった。
「そんなに意外か?」
「……そうです。ごめんなさい」
「いや、あやまる必要はないが」
市之瀬君はなんとなく文系だと思っていたから、彼と同じクラスにならないために理系を選択したのだ。
――そうなのだ、私は「推し」に認知されている。
市之瀬清隆。未来ヶ丘高校2年D組、美術部。
一言で表すと、彼は天才である。
市之瀬君が描いた絵は何度もコンクールで賞を取っており、個展の開催やテレビ出演など、すでに画家として注目を浴びている。
私も何度か彼の作品を見たことがあるけれど、芸術に疎い私でも心惹かれるものがあった。
彼の絵の特徴は、凡人には思いつかないような自由な色使いだ。
人の顔が青かったり、地面が紫色だったりするため、初めて見る人はびっくりするだろう。
当然、万人受けする作風ではない。
好みが分かれるけど、わかる人にはわかるし、噛めば噛むほど味が出るスルメみたいな存在、とでも言おうか(うーん、このたとえ適切か?)。
さらに、市之瀬君は絵だけでなく、芸術と名のつくものなら何でも才能があった。
彼が休み時間に音楽室で弾いていたピアノの演奏や、美術の時間に作成した彫刻。筆で書いた横断幕の文字。どれもプロを唸らすレベルだ。
容姿も整っているし、きっと彼は芸術の神に愛されているのだろう。
その一方で、天才という言葉から連想されるように、彼はちょっと変わった男の子だった。
夢中になると周りが見えなくなる性質らしく、寝食も忘れて絵を描き続けた結果、学校で倒れることもしばしば。
おまけに、奇行も多い。
校長のヅラをずらそうとしたり、骨格標本と友達になる、とか言って理科室で寝泊まりしようとしたこともあった。
本人曰く、絵のアイデアを得るため、らしいが……。
数々の問題行動の結果、我が校だと市之瀬君は悪い意味で有名だった。
周囲にいたら厄介なタイプの人間ではあるが、私は彼のことが嫌いではない。
むしろ、そこまで夢中になれることがあるのはうらやましかった。
そして、市之瀬君と私は小学校が一緒である。
だけどあまり話したことはなかったし、彼が親の都合で引っ越してしまったため、中学校は別だった。
再会を果たしたのは昨年、高校一年生の春だった――
◇◇◇
「なあ、ちょっといいか」
廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。
だが、入学したばかりの私には友人どころか知り合いもいない。自分のことではないと思ってスルーしてしまった。
「神崎」
再び声が聞こえてくる。
確かに私は神崎だが、珍しい苗字じゃない。またもやスルーしようとしたところ、
「神崎いろは!」
フルネームを叫ばれ、ようやく自分のことだと理解した。
無駄に注目を集めてしまい恥ずかしい。
「……はい。何でしょう」
気まずい思いで振り返ると、そこには、見違えるほど成長した市之瀬君が立っていたのだ。
「久しぶりだな、神崎」
「う、うん」
再会早々、彼は予想外の申し出をしてきた。
「いきなりで悪いが、俺の絵のモデルになってくれないか」
「あ、ごめんなさい」
もちろん、速攻でお断りした。
自分で言うのもなんだが、私の顔は地味である。本当にお母さんと血がつながっているのか、と疑われるくらいだ。
人物画を描くなら、もっとかわいい子をモデルにすればいいだろう。
しかし、市之瀬君は引き下がらない。
「そこをどうにか! 実は俺、最近スランプ気味でさ……でも、お前のことならうまく描けそうな気がするんだ。俺を助けると思って協力してくれないか」
「うーん……」
手を合わせて、おまけに頭まで下げられては、人情的に断りにくい。それに、彼の絵が見られなくなるのは困る。
私は渋々頷いた。
「わかった」
こうして私は放課後、しばらく美術室に通うようになった。
数週間後。
絵が完成したと言うので見せてもらったところ、
――キャンバスの上には天使がいた。
……何を言っているのかわからないと思うが、自分でもよくわからない。
頑張って説明すると、私とは似ても似つかない、羽を生やした美少女が空を飛んでいた。
彼女はギリシャ神話に出てきそうな布を身にまとい、太陽の光を浴びて金色に輝いている。
「……これ、誰?」
「神崎だが」
市之瀬君はさも当然のことのように言うが、そんなわけがない。私は人間だ。
「この絵、次の個展で展示してもいいか?」
「ダメに決まってるでしょ!?」
「そうか……自信作だったんだが」
肩を落としてシュンとされると、なぜか私が悪いような気になる。
しかし、絶対に首を縦に振るわけにはいかなかった。恥ずかしいし。
そして、絵のモデルを引き受けて以降、市之瀬君は学校で私を見かけるたびに声をかけてくるようになった。
だから私は、彼の視界に入らないよう必死に隠れていたのだ。
だって、推しは遠くから眺めたい派だから。
それなのに、まさか隣の席になるなんて……。
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