どうして「誰も寝てはならない」のか?

maru

どうして「誰も寝てはならない」のか?

 作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』はご存知ですか?


 知らないよ、観たことないよって方も、フィギュアスケートの演技で使われているアリア「誰も寝てはならない(ネッスン・ドルマ)」なら、どこかで聞かれたことがあるかもしれません。


 難易度は高いけれども、とてもドラマチックな曲なので、歌い手にとっては腕の見せどころ。世界的に名のあるテノール歌手たちが、こぞって歌っています。動画を検索すれば、山のように見つかるはず。


 「誰も寝てはならない」は、正式なタイトルじゃなくて、歌い出しがこの言葉なので使われている通称です(あ、ここでは都合上「誰も寝てはなら」としましたが、普通は「誰も寝てはなら」と訳されています)。


 でも、どうして「誰も寝てはならない」のでしょうか?


 オペラの題名『トゥーランドット』は、お姫様の名前からとられています。舞台は中国。なんと彼女は皇帝の娘です。あまたの求婚者に対して、三つの謎を出し、すべて答えられれば結婚する、答えられなければ即刻死刑という、わけのわからない悪役令嬢ぶりを発揮します。


 結婚の条件がナゾナゾ三つってどうなのよ? とツッコみたくなりますよね。


 まあ、容姿(超絶イケメン)とか、才能(頭脳明晰、スポーツ万能)とか、家柄(〇〇公国の第一王子)とか、財産(△△財閥の御曹司)とか言われても、大部分の観客にとっては現実味がなくなってしまいます。


 でも、ナゾナゾ三つくらいなら、「ワンチャン、俺でもイケルくね?」と思ってもらえそうです。


 ただ、かぐや姫が求婚者に無理難題を出すのと同じで、トゥーランドットが絶対解けない謎を解かせるのは、結婚する気などさらさらないからなのですけど。めちゃくちゃですよね。パパ皇帝でさえ、娘の冷酷さにはドン引きです。


 そんななか、この試練に挑むのが、ある異国の王子カラフでした。


 彼は難なく三つの謎を解いてしまいます。困ったのはトゥーランドット。心の底ではカラフに惹かれながらも、悪役令嬢のメンツもあるのでしょう、絶対に結婚したくないので、自ら命を絶つとか言い出す始末。


 そこでカラフはトゥーランドットに提案をします――もし翌朝までにあなたが私の名前を答えることができたら、私は諦め、この命を捨てます。答えることができなければ、そのときこそ私の妻になってください、と。


 ナゾナゾにはナゾナゾで仕返しかい。だいじょぶなのか、この国?


 実はこのときまで、カラフの名前は伏せられています。いや、配役表とか見た観客には、最初からわかっちゃってるんですけどね。


 でも、彼の名前がであることが、物語プロットを支え、動かしている。


 その秘密が特に「謎めいた」ものである必要はなく、名前のように誰でももっている、ありふれたものでよい。それどころか、観客には名前が明かされていてもプロットは成立します。特定の登場人物にとって、それが「未知」でありさえすればよいのです。


 トゥーランドットは北京の全市民に「今夜は誰も寝てはならない。必ず謎の求婚者の名前を見つけだせ」とお触れを出します。名前がわからなかった場合、全市民を死刑に処すというムチャクチャな条件までつけて。


 かくして、街じゅうが夜どおし大騒ぎになるなか、ひとり勝ち誇ったようにカラフが歌うアリアこそ、「誰も寝てはならない」なのです。


   誰も寝てはならない

   誰も寝てはならない

   王女様、あなたも

   冷え切った部屋のなかで

   愛と希望に輝く

   星空をご覧なさい


 カラフは、自分が勝つことを確信しています。徹夜でがんばったところで、誰も自分の名前を知ることはできない。


 じゃあ、寝たらいいじゃん? いやいや、それじゃ困るわけですよ。


「ああ、やっぱ名前わかんなかったのね。ごめん、ワタシ寝てたわ」


 宮殿関係者はもちろん、北京の全市民がそれこそ命がけで一晩じゅう調べたとしても、トゥーランドットにその名を告げられるのはだ。


 このシチュこそがカラフのねらいであり、プロットの核心です。


   秘密は私だけが知っている

   私の名前は誰も知ることがない

   あなたの口もとに私が告げるのですから

   夜明けの光がさすそのときに


 人名のようにありふれた題材であっても、それをの要素にすれば、プロットが出来上がる。あとは、秘密がなぜ、誰にとって知られていないのかとか、いつ、どんな状況で明らかになるのか、といった細かいことを作っていけば、作品全体の筋でも、個々のエピソードでも、簡単に作れてしまいます。


 これぞ、プッチーニ大先生から学ぶプロット作りのヒントです。


 え? プッチーニは作曲家だろう? 台本書いたのは別の人だって?


 まあ、それはそうなのですが、オペラの作曲家はストーリーを盛り上げたいので、よく台本にも口を出すらしいです(ヴァーグナーみたいに自分で書いちゃう人もいる)。


 オペラ界随一のツンデレキャラであるトゥーランドット(もともとはペルシャの物語に由来します)に最初に興味を示したのも、プッチーニ本人だったと言います。そして、特に後半の場面をドラマチックにするため、何度も台本作家にダメ出しをしたそうです。


 そのおかげでオペラの最後の部分は、未完成に終わってしまいます。今日演じられるのは、プッチーニが遺したメモなどを手がかりに、他の作曲家がつけた音楽なのだそうです(つまり、プッチーニの考えたエンディングは「未知」のまま、ということですね)。


 未知の要素からプロットを作る。ありふれた題材でかまわない――こう書くと簡単なのですが、難しい点もあります。


 ラブコメとかでも、キャラたちの「心のなか」は相手にとってだからストーリーが成り立ちます。逆に言うと、未知の要素を未知のままにしてんですが、「誰も寝てはならない」みたいに盛り上げるには、それなりに工夫が必要です。


 このあたり、書き始めるときによく考えておかないと、盛り上がりに欠けるとか、逆に「引っ張りすぎて、やめどきがわからない」といったことになりかねません。


 え? それ、自分の小説の話だろうって? バレちゃいましたか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どうして「誰も寝てはならない」のか? maru @maru_kkym

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画