第3話:骨格の地図を読む

「今日から、お前は私の専属だ」


翌朝、メイドの朝礼でそう告げられた時、私は持っていたモップを取り落としそうになった。 周囲のメイドたちからの視線が痛い。嫉妬というよりは、「あのご機嫌斜めな若様の専属なんて、ご愁傷様……」という同情の眼差しだ。


しかし、当のレオンハルト様は本気だった。 私室に呼び出された私は、いきなり山のような服の前に立たされた。


「アカリ。昨日の感覚が忘れられない。この中から、私が着るべきものを選べ」


彼は切実な表情で私に迫った。 どうやら、あの「氷色のストール」の一件以来、元の赤い服を着ると呼吸困難になるらしく、昨夜はパジャマ選びにすら難儀したらしい。


「かしこまりました。では、失礼して……」


私はメジャーを手に取り、彼の体に近づいた。 色の次は、形だ。 似合う色(パーソナルカラー)と同じくらい重要なのが、似合う形と素材を見極める「骨格診断」である。


「……なるほど」


触診と称して、彼の肩、手首、腰の位置を確認していく。 もちろん、やましい気持ちはない。これは診断だ。


レオンハルト様の体格は、一見すると細身だが、骨格のフレームがしっかりしている。 肩幅が広く、鎖骨が大きく目立ち、関節の存在感がある。筋肉よりも骨格の強さが際立つタイプ。 これは間違いなく「骨格ナチュラル」だ。


「どうだ?」


緊張した面持ちで問うレオンハルト様に、私は診断結果を告げた。


「若様。今まで着ておられたような、体にピタリと張り付く服や、首の詰まったきっちりしたデザインは、貴方様の体には窮屈すぎます」


骨格ナチュラルの人は、ラフでゆったりとしたシルエットが得意だ。 逆に、体にフィットしすぎる服は、骨っぽさを強調してしまい、貧相に見えたり、関節の動きを阻害したりする。 彼が今まで着ていた、ガチガチに固めた軍服のような礼服は、彼の大きな関節の可動域を殺し、魔力の流れ道である「経絡」のようなものを圧迫していたに違いない。


「窮屈……。確かに、常に何かに締め上げられているような感覚があった」

「それは、服の形が骨格と喧嘩しているからです。貴方様には、もっと自由な布の動きが必要です」


私は衣装部屋の奥から、彼が一度も袖を通したことがないという、異国の商人から献上された服を引っ張り出した。 それは、ゆったりとしたドレープが特徴的な、古代の魔術師が着るようなローブ風の衣装だった。素材は厚手のリネンで、表面にざっくりとした凹凸がある。


「これを?」

「はい。素材は天然の風合いがあるものが、貴方様のしっかりした骨格には馴染みます。そして、このゆとりあるシルエットが、貴方様の大きな動きを美しく見せ、魔力の通り道を作ります」


半信半疑のレオンハルト様に、そのローブを着てもらう。 色は、昨日診断した通りの深い藍色(ネイビー)。


着替えて出てきた彼の姿に、控えていた執事たちが息を呑んだ。


「おお……」


そこに立っていたのは、いつもの窮屈そうで神経質な若様ではなかった。 ゆったりとした布を、その広い肩幅で無造作に着こなし、まるで風を纏っているかのような、堂々たる大魔導師の姿があった。 骨ばった手首や鎖骨が、粗い素材感と対比されて、逆に男らしい色気を放っている。


「……動ける」


レオンハルト様が、軽く腕を回した。 いつもなら服の縫い目が突っ張る動きも、この服なら布が流れるようについてくる。


「魔力が、体の中で踊っているようだ。どこにも引っかからない」


彼が指先を軽く振ると、部屋の暖炉の火が一瞬にして青く燃え上がり、そして美しい鳥の形になって宙を舞った。 繊細なコントロール。今まで、服による圧迫で無意識に力を込めていたのが嘘のように、自然体で魔術が行使できている。


「骨格の地図……か」


レオンハルト様は、自分の体を新しい視点で見つめ直すように、まじまじと鏡を覗き込んだ。


「アカリ。お前には、人の体の中にある『魔力の流れる地図』が見えているのか?」

「え? いえ、ただ骨と関節の位置を見ているだけですが……」

「いや、それだけではないはずだ。お前の選ぶ服は、私の魔力回路の形と完全に一致している」


彼は私の方を向き、その紫の瞳を細めた。


「お前はただのメイドではないな? ……面白い。その能力、私のために存分に使え」


ニヤリと笑う彼の顔は、初めて見る「悪戯っ子」のような、年相応の少年の表情だった。 その笑顔の破壊力に、私はまたしても心の中で悲鳴を上げる羽目になった。


推しが、似合う服を着て、笑った。 それだけで、異世界転生してよかったと思える私は、だいぶチョロいのかもしれない。

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