白に近づこうとして、失敗した日の話
細筆に白いグリッターを乗せて、涙袋を光らせてから、デートへ行くのが好きだった。
結婚をして子供を産み、化粧と言えば、くすみやシミを隠す作用になって早数年。
オーロララメを目元に纏う、姪の姿が宝石のようにうつった。
若さと言う、手放さざるを得なかった輝き。
こどもを生み、育てた事は決して後悔していないけれど、代わりに手放した未来があるのは事実だった。
「綺麗ね」
目を細めて姪に話かけると、彼女はあっけらかんとした顔をして、
「おばさんもやる?」
と、おもむろに、ブランドバッグに詰め込んであった、自分の化粧ポーチをごそごそとあさり出した。
*
「……これじゃあ、昔のヤマンバメイクじゃない」
姪にメイクしてもらっといて文句をつけるのも何だが、涙袋全体に真っ白なアイシャドウで縁取りし、その上にグリッターを引いたものだから、平成ギャルの象徴のような仕上がりになってしまった。
姪のような若い子なら負けない派手さも、五十の私が纏うと、異物だ。
「やまんば? 何それ」
靴炭でガングロ肌を創る話をしてやると、姪は本気で、ひいいいと言いながら退いていた。
クレンジング、洗顔をしてから肌を整え、スキンケアを手早く行う。
下地を塗って、濃い染みはコンシーラーで隠し、トーンを整えるラベンダー色のクリームで立体感を演出した。
クッションファンデを叩き、パウダーで抑え、シェーディング、平面顔にならない程度の最低限のハイライトをさし、アイブロウを整えた。
「そうだおばさん、良かったらこれ使ってよ」
藪から棒に姪が差し出したのは、シャネルのアイシャドウ、「ニンフィア」だった。
「シャ、シャネル!? こんな高級品、なんでまた!!」
「いやぁ、確かにブランドものだってのはわかるんだけどぉ、私にとってはちょっと発色が薄いっていうか地味っていうか……率直に言えば、好みじゃないって事。
おばさんなら上手に使えるっしょ?」
まるで蜜柑でも渡すかのように、ひょいっと、私の手の平の上に押し付けられたニンフィアは、その佇まいからして品があり、普段使っているドラッグストア産のプチプラコスメが、隣に置かれるのを嫌がっているようだった。
「そんな事言ったって、私だってこんな高いアイシャドウ、使った事無いわよ……」
言いながら指の腹で半円型にプレスされたアイシャドウをそっと撫でる。
試しに手の甲に付けて、発色を見てみた。――確かに、控えめで繊細な色に思えた。
私のこんな、水分の抜けた瞼の上でも、発色するんだろうか??
「じゃあさ、AIにメイクのしかた教えて貰おう! Hey,リチャード! シャネルのアイシャドウ、ニンフィアの使い方を教えて。五十代主婦、イエベ色白、小太り」
「小太りは余計よッ!!」
<承知いたしました>
AIのリチャードの指導に倣って、広めのアイシャドウブラシを使って、ベージュのシャドウをひろい、アイホール全体になじませた。
「……噓でしょ」
「こんな上品なベージュ初めて見た。え、マジか」
決してヌーディーでもナチュラルでもない。しかし、作り込んだ華美とも違う、気品ある、ゴールド寄りの粒子がなめらかなベージュだった。
腫れぼったい垂れ目が急に、余所行きの顔をする。
<シャネルのアイメイクは、全色グラデーションなどで使うのではなく、あえて間をあけて、各々の色や空間を引き立てあう。それがエレガントさの秘訣だと、言われています>
リチャードの機械音をききながら、こいつは一体どこでその情報を集めているんだろうと思わなくもないけれど、面倒くさいので反論はしない。
続けて、若草色に近いグリーンを、黒目から目の端三分の一に塗布。二重幅を越えないように。
占め色のこげ茶を、アイラインの様にひき。
最後は好みで、上品な赤ラメシャドウを、瞼中央に乗せるのだという。
この赤がまた、控えめだからこそ美しく、ゴールドやオレンジ等複数のラメが混じっていて、瞼にのせると角度によって色が変わるのだ。
<良かったらお好みで、下瞼の黒目の部分に、涙袋を描くように、ラメを乗せるのもお勧めです>
せっかくだから、と、リチャードのお奨め通り、涙袋に、ニンフィアの赤ラメを忍ばせた。
先程の、白い涙袋よりよっぽど血色がよく見えて、上品、かつ、美しかった。
鏡の向こうで息を飲むのは、日常に忙殺された、憔悴した主婦ではない。
多少髪型は乱れているが、目に知性を讃えた淑女に見えた。
「……おばさん、このシャドウマジやばいよ」
「――本当、やっぱりブランド品はすごいわねぇ。……こんないいもの貰うの悪いわ、やっぱり返すわよ」
「ばっかじゃねーの!?」
姪が突然言葉を荒げたので、ぎょっとしていると。
「私が使ってもこうはならなかった! 発色薄くて、顔が地味で……ぜんっぜん盛れなかった。
でも、おばさんは全然違うよ!?
今、むちゃ盛れてるって自覚、ある!?
そのシャドウ、おばさんに会うために私のもとにきたんだよ」
ぽかんと口を開けたまま、何も言えなかった私だが、姪の優しさが徐々に心にしみて、
「年をとるのも、悪くないのね」
手のひらのニンフィアを、抱きしめるように、ぎゅっと握った。
スケッチブック 植田伊織 @Iori_Ueta
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