第3話 彩芽を亡くした喪失

 俺は高校2年生の6月25日、いつも通り彩芽を待っていた。


 そこへ年齢の割に背筋がすっと伸びた女性が汗をかきながら慌てた様子で走ってきた。


「すみません。鹿穂見彩芽の家族の者なんですけど」


 声をかけられた瞬間、何を突き付けられたわけでもないのに一瞬時が止まったような歪みを感じた。


 細い眉と少し吊り上がった目元。


 彩芽よりもずっと落ち着いた雰囲気だが、どこか似ていた。


「はい」


「あの。彩芽は23日に自殺して」


 世界が反転したような感覚に襲われる。


 は?


 有り得ない。


 その言葉を繰り返すが目の前の女性の表情からそれが嫌な冗談ではなく、現実だということがどうしても読み取れてしまう。


「は?」


 それでも俺は理解できなかった。


 受け止められなかった。


 家族である目の前の女性もまだ受け止めきれていないはずなのに、俺はその理解のなさを彼女にぶつけてしまった。


「すみません」


 その女性は小さく呟き、嗚咽を漏らした。


 は?


 嘘だろ。


 あの彩芽が死ぬわけないだろ。


 こんなに突き付けられても信じることができなかった。


 後日、またその女性に呼ばれ、彩芽の葬儀に参列することになった。


 高校のボロボロの制服をできる限り綺麗に整えて、俺はそれに参加した。


 葬式の空気はしんという音が聞こえてくるほど静まり返っていた。


 入口あたりに小学生くらいの男の子がぽつんと心配そうな顔で立っていた。


 親戚の連れ子とかだろうか。


 目があった瞬間、胸の奥に引っかかったような感覚がした。


 線香の匂いがゆっくりと漂い、鼻先をつんと刺激する。


 彩芽の遺影はあの底抜けに明るい笑顔だった。


 今にも「情だよ」なんて笑って帰ってきそうだ。


 黒い喪服に身を包んだ人々は言葉少なに並び、一人また一人と焼香台へ歩み寄る。


 足音さえも遠慮がちでまるで空気溶け込んでいるよう。


 目の前には高校のクラスメイトと思われる制服姿の女子生徒が数人いた。


 彼女らは彩芽の死を何とも思っていないように見えた。


 思っていたとしても、胸糞悪いという程度。


 聞こえないようにと小さな声でこそこそと話すが、この静かな空気ではより際立っていた。


 その女子生徒たちの焼香が終わり、俺の番が回ってきた。


 音を立てないように慎重に歩いていく。


 手にした香をつまんで額にそっと近づけた。


 その瞬間、少し遠くに彩芽の遺体が目に入った。


 人間ってこんなに安らかな顔をして死ぬのかと驚くほど、彩芽は安らかだった。


 童話に出てくるような死体。


 不思議と涙は出てこなかった。


 でも彩芽が死んだことが悲しくないわけではない。


 彩芽と最後に会った時になにか言えていればと言葉がちらつき、とてつもなく悔しい。


 やるせなさが沸々と自分への怒りに変わり、拳を強く握りしめた。


 小さくなった指が痛かった。


 離した時に少し赤くなっていた。


「ちっ」


 軽い舌打ちが葬式場に響いた。


 何なら泣きたいと思っている。


 涙を流せている人を見て羨ましいと思っている。


 食いしばらず我慢せず、泣けたらいいのに。


 俺は苦しさも寂しさも何もかも全てを溜め込んでしまう。


 それを唯一吐き出すことができた存在が彩芽だったのに、もういない。






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