潤滑にされた斜面での実験 The experiment on the lotion slope

村田鉄則

潤滑にされた斜面での実験 The experiment on the lotion slope

 松元(2026)の実験において、潤滑にされた斜面="lotion slope"にて物質空間移動が可能との研究結果が発表された。松元は、日本の長野県にあるスキージャンプ台にトラック1t分の潤滑剤を流して実験を行った。実験用マウス19体をスキージャンプ台の頂上から放ったのだ。計測器で測定すると、マウスたちの滑る速度は時速141.6kmに達していた。実験の結果、マウスの内、13体が完全に姿を消し、3体は身体の一部が消えていた。残り3体の体は、見た目は元と同じ姿で残存していた。姿が完全に消えなかったその6体は実験途中で死亡。松本はこの実験結果から、より急な斜面にすれば、物質空間移動を完全に可能にさせると推論を述べていた。

 山咲(2027)は、lotion slopeの潤滑剤をpepeからより粘度の低いsaratouchに変更して松元(2026)と同じ場所で実験を行った。マウスは松本の実験と同じく19体だ。松本の実験より潤滑剤の粘度が低くなったことで、摩擦係数は下がった。摩擦係数が下がったことにより、時速152.1kmまでマウスの滑る速度が達した。実験の結果、マウスの内、15体が完全に姿を消し、4体は身体の一部が消えていた。身体がそのまま残存する者はいなくなった。姿を消さなかったその4体は実験途中で死亡。山咲は、松元と同じく、より急な斜面にすれば、物質空間移動を完全に可能にさせると推論を述べていた。

 多中(2028)は、山咲(2027)の実験手順を踏襲し、そこで人間を用いて実験を行うことにした。身体に負担がかからないよう全身に保護具を付けた状態で19人の人間を1人ずつ放った。時速100kmに達したものの、19人の内、1人も身体が消えることは無かった。多中は、身体レベルに合わせて、斜面の角度や距離のレベルを上昇させないと物質空間移動は可能にならないと推論を述べた。

 多中(2028)の実験を受けて、遠島(2029)は、日本の滋賀県・岐阜県の境にある伊吹山山頂から麓にかけて簡易的なスキージャンプ台を作った。実験参加者を募ったが、集まらず、遠東自らが実験対象者になった。遠東は、滑りやすいようにゴムで覆われた、ソリの接地面に山頂から伸びるホースで潤滑剤を延々と注ぎ、常に接地面に潤滑剤が行き届くようにした。遠東は、世界を超えたいと述べた後すぐに、斜面に放たれた。速度は坂の途中にある測定器の結果によると時速141.6kmに達していた。伊吹山の麓に辿り着いたとき、遠東は気を失っていた。遠東は右腕だけが物質空間移動していた。遠東はそのまま病院に運ばれ、明確な覚醒が起きたのは、3日後だった。ここからは、病院での医療従事者のカルテの記録を基にした。

 遠島は、滋賀県にある急性期病棟にドクターヘリで運ばれた。運び込まれた時の意識レベルはJCS20(大きな声や体を揺さぶると開眼するレベル)だった。最初は食事を口元に運んだり、Kpoint刺激を行っても開口反射は起きず、経鼻経管栄養で栄養を補っていた。右腕はそこだけ輪切りにされたように切れており、身体内部構造がそこから見受けられるが、出血もせず、血管に空気が入り込むことさえ無かった。まるで、右腕のみが透明になっているかのようだった。しかしながら、触れることは不可能であるので、そこに存在するわけでは無いのである。3日後、医療従事者の懸命な呼びかけやリハビリの効果もあってか、遠東に明確な覚醒が起きた。覚醒後しばらくの間、遠東が右腕に違和感があったという主訴が記録されていた。遠東は他にも、右腕が何かに触れている、誰かが右腕を掴んでいる、何かに舐められている、と数日間に渡って、右腕がどこかの世界と繋がっているかのような主訴を述べていた。遠東は。2週間病院に滞在し、そこでリハビリを受けて、医療従事者によるカンファレンスで自宅退院が決まった。そして、神奈川県にある自宅に帰った。ここからは、先日、私が本人に聞いた話だ。

 右腕が持つ感覚に「馴化」してきて、普段、日常生活を送るうえでは支障をきたさなくなってきたと遠東は言った。一方で、時折、寝ているときに右腕を捻られる感覚が襲ってくるときがあり、その際は感覚を思い出し、痛いのだという。右腕を失ったものが「幻肢痛」に悩まされる事例はある。しかし、私が見たところ、その腕はカルテ通り、輪切りにされた状態だった。まるで、MRIの診断結果画面のようだった。『地球の放課後』という漫画があるが、あの漫画の1話のファントムに襲われる女性を思い浮かべたらわかりやすいだろう。あと、漫画『GANTZ』の転送画面を思い出したらわかりやすいかもしれない。私も一人の研究者である。興味を持ち、断面部分を遠東に頼んで触ってみたが、まったく触った感覚が無かった。というより、全くその断面に触れることができなかった。

 私、濱田は遠東の様子を目の当たりにし、2030年、ある実験を行った。富士山頂からの潤滑にされた斜面での物質空間移動事件だ。被験者は集まらず、私が行った。伊吹山は標高1,377 mだが、富士山は3,776 mである。単純計算でも約2.7倍だ。先の研究者の推論を踏まえると、完全な物質空間移動が可能だと予想できた。遠東(2029)の実験を踏襲しつつ、ローションは10倍に増やした。先の実験と同じ粘度の低いsaratouchを用いてだ。私は、世界を超えた後の感覚を味わいたかったのである。期待を胸に込めて、自らを放つ。富士山頂から麓まで伸びる特大ジャンプ台は思っていた以上に長かった。時速は141.6kmを優に超え、160kmに達していた。保護具は道中でボロボロになったが、何とか私は意識を失いながらも麓に辿り着いた。この実験で悔しかったのは、私の身体が物質空間移動する際にはもう意識を失っていて、物質空間移動する感覚を生で味わえなかったことだ。

 私は体の半分が物質空間移動してしまった。そりで気を失った際に、右側臥位だったためか、左半身だけがである。私は医療系の教科書にありがちな正中矢状断面図のような身体になってしまった。このような身体になった今では、左側と右側で見る世界・感じる世界が違う。物質空間移動した先の世界、つまり私が左半身だけ飛ばされた世界では、二次元的な世界で左右か上下に移動するしかできず、斜め移動はできない。まるで、十字キーでしかキャラクターを移動させることができないゲームのようだ。また、人間ではない、クモの脚にオタマジャクシの顔を載せたかのような生物が移動した世界を支配している。この世界が今私がいる世界の未来の姿なのか過去の姿なのか、それとも関係ない異世界なのかわからない。だが、私はそいつらにとって物珍しいらしく、ペットとして飼われている。遠東をうらやましく思った。この悍ましい世界を皮膚感覚でしか知らずにいられるのだから。私には左の視界においてはその別世界、右の視界においては元の世界が占めている。そのため、片方の目を瞑っていないと、世界同士の現像が合わさってしまう。視界で世界が合わさっても、合わさらなくても、常に全く感覚が違う世界に身体が佇んでいるわけで、とても気が気でない状態だ。しかも、向こうの世界の住民は暴力的ですぐに乱暴に私を扱う。向こうの私が投げられたら繋がっている私も同時に連動して身体が動いてしまう。そのため、車の運転や電車に乗ることも難しくなってしまった。実験を行ったのを正直、後悔している。生活を送るうえで何も集中できないし、他の人にも迷惑をかけるため、常に自宅マンションで引きこもっている。いっそのこと、次はエレベストで実験を行い、身体全体をその世界に物質空間移動させようとしている。あの世界に行ったところで私は地獄を見る気がするが、同時に世界を二つ体験する苦しみに比べたらマシだ。

 

 本、ブログは私のこのエレベストで行う『潤滑にされた斜面での実験』(The experiment on the lotion slope)の出資を促すために書いた。もしも、私に協力してくださるなら、私の所属大学まで連絡をお願いする。


 濱田 彰吾 活木賀大学 物質空間移動学部 学部長

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