第3話 告白
「あ、あの・・・」
思いきって声をかけたはいいものの、続きがでてこない。
「はい」
「あの――」
何か言わなければ。
「あの、好きです」
「はい?」
私は何を口走っているんだ。これではいきなり告白したただの変態だ。
「あ、その、バイオリンが、上手だなっていつも思ってて。素敵な音だなって」
ああ、と広田さんの怪訝そうな顔が緩んだ。
「次のクラスの方ですよね、すみません、すぐに思い出せなくて」
「いえ、とんでもないです」
よかった、とりあえず、なんとかなった。
正面から広田さんの顔を見るのは初めてかもしれない。シャープな顎に切れ長の目。顔だけだときつい印象だが、ふわふわした髪がそれを和らげている。
ちょっとタイプかも、なんて考えを振り払い、気になっていたことを聞いた。
「前のクラスなのに、どうしてこの時間に?」
「レッスンの後、空きスタジオ借りて練習してて。今日はつい、時間見るのを忘れてこんな時間に。ほら、家だとなかなか音だせないじゃないですか」
「ああ、そうなんですね」
あんなに上手なのに、レッスン後すぐに自主練をしているだなんて。私とは大違いではないか。
エレベーターが1階に到着した。生ぬるい空気が流れ込む。もうすぐ夏がやってくる。
暑くなってきましたね、なんて言っているうちにあっという間に出口についた。
では、と歩いていく広田さんに、軽く会釈することしかできなかった。
聞きたいことはたくさんあった。なぜそんなに上手なのにバイオリン教室に通い続けているのか。発表会に出るつもりはあるのか。日頃どんな練習をしているのか。週何回バイオリンに触っているのか。職業は?年齢は?下の名前は?
でも、どれもほぼ初対面の私が引き留めてまで聞けることではなかった。
なにより、あんなに上手いのに、レッスン後にスタジオを借りてまで、そして時間を忘れるくらい集中して練習していると聞いて、私のいい加減具合に幻滅した。
まただ、あの時と同じだ。
思い出したくない過去の映像がフラッシュバックする。
結局私はあの頃と何も変わっていない。
何か得意なことが欲しいと、夢中になれるものが欲しいと思って始めたバイオリン。最初のころこそ忙しくても土日のどちらかは必ず練習をしていた。できる時はバイオリンにミュートをつけて、平日も少しだけ練習をしていた。
それが今はどうだろう。レッスン以外でバイオリンケースを開くことはめったにない。これではレンタルの楽器でレッスンの時にしか楽器に触れない人となんら変わらないではないか。
上手くなるはずもなければ、夢中になれるはずもない。
私はバイオリンが弾けるようになりたいんだった。
そうだ、この足で、来週のレッスン後のスタジオを予約しよう。レッスンでできなかったことをその場で練習してできるようにしてから帰ろう。
一瞬寒いお財布事情が浮かんだが、首を振って追い払った。
どのみち安くはない月謝を払っているのだ。全くうまくならないよりは、多少追加の手出しがあったとしても、うまくなる方がいいに決まっている。
そうにちがいない。自分に言い聞かせるように、私は元の道を引き返した。
次の更新予定
2025年12月31日 06:00
波打つ音の二重奏 音野奏海 @otono_kanami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。波打つ音の二重奏の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます