第2話

 水面から浮上したのは、周囲を赤で染める入浴剤に似た手だった。


「それでも人間ですか?」

 眼鏡を掛けた男性が率直な意見を述べる。

「首謀者はお前か?」

 横田が睨む。

「いやああああああああ」

 女性はただ泣き喚く。

「首謀者ではなくて、ただ死にたくなくて。取り敢えず湖の近くから離れませんか? また襲ってくるかも分かりませんし」

 ここからは僕が主導権を握ろう。この横田という男にハンドルを握らせてはいけない。

 しかしコントロールするのは、困難を極めるだろう。



 ******


 ルールを決めた。絶対に離れて行動しないこと。そしてそれを破ってはいけないこと。

 と言うが、破る人が出てくるのは想定済みだった。最初に破り捨てたのはやはり横田。女性も強引に連れて行き、何をするかは明白。

 残されたのは僕と眼鏡を掛けた男だった。この人からはまだ何も情報を得ていない。ならば自己紹介のスペースを確保するべきだ。

「君、名前は?」

 水を差し向けたのは僕からで、彼は汲み取るのみだ。

「僕、永田八尋ながたやつひろって言います」

「好きな小説は?」

「太宰治の人間失格。カクヨムで最近読んでいるのは、あの――全然★の数も少ないんですけど、密かに応援しているワナビさんがいて、正直芥川賞も夢じゃない気がしているんです」

 この質問で確信したのは、この人はマイノリティだということ。底辺作家の意見が幾分か分かるということ。

「どうして面白いのに、★の数が少ないんだろうな」

 視線を落とし、考えるそぶりを見せる。

「……正直分かりません。でも、こうも思うんです。独り占めにしてる感覚があって、自分だけが知っている優越感というか」

「それは読み手の自分勝手な意見だ」

 音楽関係のサイトではよく見かける。インディーズグループのコメント欄に彼らは出没して「他人に知られたくない」と身勝手なエゴを張り付ける。クリエイター目線に立たず、自らの目線のみで語る。クリエイターも十人十色だが、皆に知られたい気持ちが強いクリエイターも多いだろう。その考えを見殺しにして、終いにクリエイター本人もそう思っているはずと勝手に脚色をする。

「自分勝手って……」

「ずっと感じてきたことがあるんだ。読み手と書き手は同じ人間じゃない。同種族かも怪しい。多分、共存不可能だ」

 永田は黙り込んだ。僕と共存不可能だと悟ったのだろうか、それは定かでない。小さな小屋に沈黙が訪れ、恐怖が全身を蝕む感覚に侵される。他愛のない話でもしてやり過ごそう、そう思っていると永田はおもむろに口を開いた。

「学校って、服従ですよね」

「服従。それは奴隷制度って意味かな」

 首を横に振る。

「だって、無理矢理知りたくもない知識を教えられて、知りたいという人間の欲を掻き消していると思いませんか? それと小説を閲覧しないのって、何か似ている気がするんです」

「つまり?」

「知りたいを優先しないから、本を読まないんです。学校のせいで人間は受け身になって、人間の最大の長所を自ら掻き消してしまった。すると何が出来上がったか……手足の長い短所しかない化け物の誕生です」

 やはりこの人はマイノリティーだ。しかも超が付くぐらいの。僕は彼の意見に感心していると、横田が息を荒げながら戻ってきた。

 顔面蒼白でなにか良からぬことがあったに違いない。

「お、おい……俺じゃないから……俺じゃないから! お前らのどっちかだろおい!?」

 主語すら消えている。

「何があったんですか? 先ずはそこから――」

「死んでんだよ。俺の彼女が! しかも犯人の書きのこしまである」

 僕と永田は顔を見合わせた。永田はグロイのを見たくないと言うが、気の弱い発言を許容できる段階はとうにない。重い腰を上げて、事件現場へと直行した。


 *******


 永田は僕に訊いてきた。何故友人を助けなかったのか? だから僕は問うた。君ならどうするかと。

 その結果、口ごもるしかなかったようだ。もし僕と同じシーンを用意するなら、皆誰しも同じシーンを再現するに違いない。

 そのままそっくりコピーペーストを張り付けたようなそんなシーンを。

 人間の闇の部分、いわゆる「生存本能」という獣じみた本能を盾にして自分の身を守るのだろう。

 彼女は死んでいた。首を掻っ切られていて辺りに血が飛んでいた。そして犯人の書きのこしで間違いない脅迫文があった。

 壁に大きく、それは血で書かれている。生存者の恐怖を煽るのに、犯人の文言は十分過ぎた。


『お前らは間接的に俺を殺している』


 意味を理解するのに十秒も掛からなかった。この生存者の中に底辺作家が混じっていて、この殺戮を決行したのだろう。

 でもそう考えると矛盾が生じた。誰も彼女を殺しに行けない。少なくとも、僕と永田はアリバイがある。

 そうなると逆説的に犯人は横田となるが、彼が小説を書いているイメージが全く想像できなかった。

「なあ。これつまりそういうことだろ。お前らのどっちかが小説を書いていて、で小説を書いている方が犯人ってことだろ」

「なんでそうなるんですか?」

 永田が口答えした。

「小説を読まれない腹いせで、殺したに決まってんだろ!? 多分、あの巨大魚も犯人の創り出した化け物だ。だからそいつを殺せば問題解決ってわけだ」

 このままだと、僕は「恐怖」へと吞まれた猿に殺される。思考を巡らせている隣、永田は油を注ぐのを止めない。

「そもそも、僕らにはアリバイがあるんです――」

 「だから黙れ! 正直に言え、小説を書いているのはどっちだ?」

「いや、何決めつけてるんですか? そもそもあなたは小説を書いていないんですか――」

 言葉が途切れた。横田に殴られたのだ。

「はあッ。小説家とか漫画家やら、みんな頭おかしい奴ばっかりなんだよ。SNSで自分お前らと違いますアピールすんじゃん。あーいうのも正直女々しいっつーかさあ。なんつーか虫唾が走るんだわ」

 やはり生き物としてのカテゴリーが違うのだろう。創造物を書こうと思った時点で、人間ではなくクリエイターという事なる生物に進化する。むしろ退化しているのだろうか。それは分からない。

「お前ら二人とも感じるんだよ。ああ、こいつらしょうもない作品生み出してるなって」

「しょうもない……?」

「ああ。で、もしかしたらこうも思ってる。お前ら二人ともグルで俺を殺そうとしてるんじゃないかって」

 慌てて訂正した。

「待ってください。少なくとも僕は小説を書いていません」

 永田もそれに倣う。

「僕も小説を書くなんて時間の無駄なことしませんよ」

 クソが。正直予測してなかった発言に内心驚くが、取り乱してはならない。

 横田はこちらをジロジロ見て、急に鼻を塞いだ。僕らも遺体から発せられる腐臭に気付き、顔をしかめる。

「場所を移すぞ」

 淡々と言い、小走りでこの場から抜け出す。永田も距離を離して後に続いた。

 僕はそこに並ばず、死体に目を向けた。


 『お前らは間接的に俺を殺している』


 彼女の唇は笑っていた。


 

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