シングル・カット アブノーマル・アンダー・ウォーター

YOSHITAKA SHUUKI

第1話


 雲が空を隙間なく覆っていた。

そこに日差しが入り込む余地なんてなく、周囲には見渡す限り水面が続いている。一言で表すなら巨大な湖。

 そこに、僕と友人はボートで浮かんでいた。


 「面白そうな小説探そうぜ」


 所々に点在する島には、ランキング上位の小説が必ず眠っている。最新はハーレム物とゲーム物が上位を占めており、上陸するとそれらを読める。

 しかし、新着小説や誰にも読まれない小説は違った。友人は釣竿を持つ。


角野読男かくのよむお、俺な……思ったことあんねん。新着にも手、出さんと流石に可哀そうよな」


 釣り糸を水底へと手繰らせていく。リールを巻き、水中から現れたのは髭の生えた二十代。見出しのプラカードを左手に持ち、片方の手で自作の小説を固く強く握っている。

 見出しに『競争してはいけない』と乱雑な字で書かれ、小説のタイトルは『TROLL』であった。

 僕は好奇心を顔に浮かべたが、友人は「つまんなそうや」と一蹴。

「ちょっと待てください。せめて読んでから――」

「じゃあの」

 彼の懇願も聞き入れず、友人は釣り糸を乱暴に引き千切った。運のない悲劇に、作家は暗闇へと再び舞い戻る。

 今、僕の友人は一人の人間を見放した。

「なんで?」

「直観だよ。角野にもあるでしょ」

「例えば?」

「本のタイトルで中身の内容は大体決まる。多分あの人自分の思考とか思想とかを、他人に見せたいだけで面白い面白くないは二の次」

「本のタイトルだけで決めつけるの?」

 怒気を孕んでしまったのに気付いたのだろうか、僕を不思議そうに拝んだ。

「俺は時間がないの。直観を信じずにだらだら見てても時間の無駄だって」

 悪びれもせず言う。悪意はなく、ただただこういう思考を持っていると発言しているだけ。友人に人を貶めようなどの心意はないだろう。

 人って不思議な生き物だよなと思っていると、周囲から音が響いてきた。


「おい角野、何か聞こえない?」

「うん聞こえる。でもなんか人の声のようにも……」

 僕の直観は正しかった。ボートを取り囲むように音は大きくなり、鼓膜の中に直接入り込んできた。


「「「「「どうして途中で閲覧するのを止める?」」」」」

「「「「「どう考えても面白いのに、途中で閲覧止めるのは意味不明だ」」」」」」

「「「「「「カクヨムというサイト自体クソだ。それに気付かないならもう実力行使するしか道はない」」」」」」


 音量はみるみる上がり、耳を防いでも隙間にスルリと入り込む。

 それだけならよかった。後ろから大きな波と共に、何かが追ってくる気配がした。それが作家の集合体だと予想するのに時間は掛からない。

 

 友人と僕は櫂(ボートを漕ぐための道具)で必死に漕ぎだした。後ろを振り返りたい好奇心に駆られ、されど振り返ると後悔が波のように襲う。

 目のない巨大ナマズであった。体表にはびっしりと『なんで読まねえんだよ死ねよゴミクズカクヨム共』と書かれていた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん――」

 怪獣を思わせる声で恐怖心を催促してくるが、負ける気はなかった。尚更、櫂に力が集中した。

 友人は友人だと思えない顔で、僕は僕とは思えない顔で、後ろから迫る恐怖に逃走していた。

 

 次第に見えてきた島に一時退避しよう。テレパシーか何かで通じ合い、一層力が込み上げる。


 そこで初めて理解したのは、巨大ナマズが一匹ではなかったという絶望であった。しかし幸いにも奴らの標的はまた別のボートであり、僕らのボートはターゲットにはされていない。

 数えるだけでも二、三台のボートが同じ島を一時避難場所と捉えているようであった。

 それがさらなる混乱を生み出すのは、容易に考えつく。

 そしてそれ自体が底辺作家の逆襲だと考えるのにも、さほど時間は掛からなかった。

「追いつかれるぞっ!」

 それでも、ただ足掻くのみだった。追いつかれないようにするべく。

 ただし心の中で思っていた。あえて適正距離で泳いでいるのだろうと。躍らせ、不安にさせるのを楽しんでいる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん――」

 感情の読み取れない鳴き声に孕ませたミクロの感情を読み取る。


 何故人は新着小説を読まないのか。

 読んだとしても、何故友人のようにすぐ手放してしまうのか。金銀財宝が眠っているかもしれない、新たな感動を楽しませてくれるかもしれない。

 同じメニューを注文し、お金の無駄を防ぐのに似ている気がする。合理的な理由だと思う一方、「知る」という人間の長所を自ずと消してしまっているように思える。

 結果、知識が偏る。自分が自分の好みを食べ過ぎたせいで、他人の好みを否定する。

 新着小説を読まないという事態が、今この日本の不条理を牛耳っているのではないか。

 

 距離を大分引き剥がした。友人は汗を手の甲で拭っている。

「生きた心地せんかったわ」

 油断はできない。本当に怖いのは人間だ。僕は手の甲で拭わず、瞳に汗を染み込ませた。

「まだだよ友人、本当のサバイバルはこれからだ」

 島は目前、生存者は皆あそこに集う。それが何を意味するか、鈍感な友人も読み取ったらしい。

「だ、大丈夫だって」

「何が? 根拠は? 何もないよね」

 灰色の空に光一つない。


 *****


 生存者は三人。僕と友人を含めると、五人となる。

 息が上がっていた。当然、不安と恐怖が蠢き、自己紹介どころではなさそうだった。

 辺りには林が生い茂り、木が視界を防いでいる。森というかジャングルになっていた。逃げ場はない。湖に囲まれ、完全に包囲網にされている。

「おい、あれはなんだ? 今までカクヨムにあんな奴いなかったぞ」

「ねえ横田くん、食べられちゃわないよね平気だよねえ!?」

「知らねえよ!」

 女性が殴られ、うずくまる。横田という男は大柄で、煙草の臭いが微かに感じ取れる。

「おい何だこれ。誰か説明しろよ」

「「「「「……………………」」」」」

「説明しろっつってんだろ!?」

 横田は大声で怒鳴り上げる。人が不安を仰ぎ、それは細菌のように周りに伝染させていく。

 思った通りの展開になった。横田のようなタイプは、このサバイバル空間においては不必要な存在。居るだけでバッドエンド、死んでくれたらハッピーエンド。しかし友人は僕を差し置いて勇敢に立ち向かう。

「そういうのは良くないんじゃないすかね」

「あ? お前この状況でよくそんな発言できるな。死にかけたんだぞ! なんか知らないけど、変な魚に殺されかけたんだぞ!」

「いやでも」

「妙に冷静だなお前。もしかして魚を操ってたりしてんのか? だからそんな冷静なんだろ白状しろや!」

 彼の思考は恐怖に掻き消され、まともな意思疎通は不可能に見える。

 不安は時に人の「長所」を掻き消し、怒りは時に人の「全て」を消し去る。そうなった場合、誕生するのは猿である。この現状はその良い例だと思う。

 友人は猿に殴られ、投げ飛ばされた。友人の背後、水中から影が浮かび上がってきていたが二人とも知る由もない。

 猿のこの暴力が、最終的に犠牲者を出すことになるなんて。


 水飛沫が上がり、友人の背後には恐怖の巨大ナマズ。音が鳴った瞬間には、友人は湖に引きずりまれていた。

「角野、か、角野。何ぼーっと見てんだよ! 助けろおい!」

 僕の名前を呼ぶ友人。他の生存者は恐怖に喚きながら、凄惨な光景を眺めていた。

「別に君を友人だと思ったことはないよ」

「は? …………この状況で何言ってんだよ」

「というか僕に、そんな主人公みたいな自己犠牲行動はキャラじゃない」

 友人は絶望した表情を浮かべたが最期、巨大ナマズと共に水の中へと姿を消した。やがて上がってくるのは、彼の右手。


 

 周囲を赤で染める入浴剤に似た手だった。

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