二話 相談事
「弥代ちゃん!」
普段からどことなく取っ付きにくそうな態度を返してくる友人ではあるが、しっかり目を合わせてくれる事が何よりも雪那は嬉しい。前もって会う約束をしていたわけではないのだからいきなり声を掛けて素っ気ない返答をされたってそれは仕方がない事だろう。最近は以前よりも弥代の事を理解する事が出来たのではないかと自負している雪那にとっては痛くも痒くもありはしない。そんな事でしょげたりしないとまるで言わんがかりの態度でこちらからやや食い気味に歩み寄ってみるのだが、どうやら今日は普段とは様子が違うらしい。
近付いてその全身を視界に収めて、漸く彼女は弥代の普段と違う様子に疑問を口にした。
「どうしてずぶ濡れなのですか?」
「生きてりゃよ納得いかない、腑に落ちない事なんて一つや二つ、いやそれ以上あってもなんらおかしくねぇんだ。分かる。分かっちゃいるんだけどよ…、それでも腹の虫は収まらねぇって事があんだよ。…そういうもんなんだよ。だからよ、つまり今の俺は…そういうわけなんだ。」
それがはたして一体どういう意味なのかが雪那にはイマイチどころか全く理解できなかったが、なるほど弥代が言うのであればそれはつまりそういうことなのだろうと無理矢理納得する事にした。
別に深く考えるのが面倒くさそうだったから納得したわけでは決してない。長い髪を纏め上げるにばかり気を取られ初めから話を聞いてなかったから上手く判断が出来ないといったわけでもありはしない。
相手がどんな顔で話しているかも距離があって窺う事は難しい煙の中、仕切りのおかげで既に浴槽に身を沈めているかさえも分からないものだがその声色から察するに既に湯槽で身を伸ばしているのだろう。逆さまにした桶を隅に追いやり身を屈めれば、雪那もまた先に奥へと移動していた弥代に続いた。
「それは大変…えっと、災難でしたね?」
「訳わかんねぇよ。なんで見ず知らずの奴に水ぶっ掛けられなきゃなんねぇのかな俺は…あ、いや?結構俺色んな奴に掛けられる事多い…ような…?」
高い天井を見上げるように顎を逸らしながらずるずると、頭に乗せた手ぬぐいがギリギリ湯槽に浸からないぐらいまで浸かる。あまり行儀が良いとは思えない行動を前にするも、彼女がそれを制する事はない。自分たち以外に他の客がいたとしたなら話は別だろうが。
日のまだ高い昼八つ。通常であれば浸かるにしても時間が早すぎるところを無理を承知で頼み込んで開けてもらっている為に他に客がいる事はない。それどころかまだ沸かし終えていないのだろう熱すぎない湯は寧ろ雪那には丁度いいものだった。
「弥代ちゃんは口が少々悪いですし、また何か相手の方を怒らせるような事をおっしゃったのではないのですか?」
「おい聞き捨てならねぇな?それじゃ俺が始終口が悪ぃみたいじゃねぇか?
「ふふっ、そう思ってるのは弥代ちゃんだけかもしれませんよ?」
「言うようになったなお前…」
「おかげさまで。」
あながち間違ってはいないだろう。胸を張り声を漏らす彼女はどこか上機嫌だ。何もそれはこうして弥代と久しぶりに湯を浴びられるからではない。誘った自分がやっとただ貰っただけの小遣いではなく、駆け出したばかりであるが自分の頑張りで得る事の出来た駄賃で弥代を奢る事が出来るようになったからである。
きっかけはそれこそ
『いや、いいよそれ。お前の小遣いだろうけど結局それって屋敷から出てるもんだろ?なんか悪ぃよ。』
同席していた和馬が雪那に変わり勘定を済ませようとした時だった。これまでであれば誘われた手前、礼だけ述べて静かに奢られる事の多かったあまり懐にゆとりがあるわけではない弥代がそう口を開いたのだ。しれっとした態度でしっかりお釣りのないように巾着袋からじゃらじゃらと小銭を取り出し、動揺を隠せないでいる二人に目もくれずに自分の分を払ってみせた。
店を出て直ぐに今まではこんな事をしなかったではないかと疑問を投げ掛ければ、さっき言った通りだとだけ言葉が帰ってくるのみ。屋敷の離れに戻ってから身近な存在であるこの頃は誰よりも一緒に過ごしている時間が多い和馬、近頃はあまり傍にいない事が多くなった付き人の氷室、下女の戸鞠と順に訊ねて回った結果、雪那が一番納得する事が出来た返しをしてきたのは最後に質問をした戸鞠であった。
『雪那様御自身が働かれて稼がれれば、問題はないのではないですか?』
これまではただ与えられるばかりであった小遣いを何かしら働いて稼げばいいなど、雪那は考えもしなかった考えだ。
離れに長年引きこもっている間はお金が必要になる事はなかったのだが、弥代と関わった事で屋敷を出て一緒に過ごすのに茶屋に足を運んだり飯屋に訪れたりと、何事もやはり金がかかる事を知った。吉野宿で出会った時には金銭感覚も鈍く弥代に頭を抱えられていたのは今でも忘れていない。物の価値がどれぐらいするのかというのは弥代に変わり長屋の家賃を肩代わりしたりとする際にも学ぶ機会があったが、思えばそれらはも全て屋敷で祖母に用意してもらったものだ。今まであまり意識した事のなかったことだけにかなり衝撃的だったのをよく覚えている。
そしてそんな雪那は翌日早々、顔を見せた和馬に半ば縋るような形で頼み込んだ。美琴様に相談をさせてほしい、と。
「初め聞いた時はなんちゅー突拍子もねぇ事を相変わらずしやがるなこいつは、って思ったけどよ。まぁお前初めて会った時からそういうところあったよな。驚きのも飽きたぜ。」
「それは否めません。現に美琴様にはご迷惑をお掛けしているなとは思いますもの。」
扇堂美琴と弥代が顔を合わせたのはあの神無月以降ないのだが、二度顔を合わせただけだというのにやけに強く印象に刻まれていた。
何か特別秀でたものがあるという風に映る事はなかったものの、何も持たないが故か自分の立場を、分を弁えた上でそれでも必死に振る舞おうとしていたあの姿が忘れられない。
扇堂家の内情を深く知らない弥代だが、彼女が和馬にとって実の叔母であるといった話は掻い摘んで当人の口から聞かされた事があった。どちらかといえば和馬や雪那から又聞きする方が多いが、その名前を耳にする頻度は以前よりもやはり多いように感じる。それは
余計なお節介を焼いたと今なら思う小狐の出会いから思い掛けず世話になった礼として駄賃をいただくようになった弥代の懐はここ最近少々ゆとりがあるというだけで。確かに雪那に対して言った言葉は以前から薄々思っていた事だったので間違いではないのだが、要するに自分の分は自分で払えるだけの余裕はあるから気にする必要はないと伝えたかっただけであって。自分で稼げるようになってから奢れというわけではなかったのだが、これらの変化というのは雪那自身が良い方向へと転がっているのではないかと弥代は考えていた。
手伝いといってもその殆どは勉強に近いものらしいが、大主である扇堂杷勿から託された里の事案に対して策を講じる扇堂美琴の傍らで耳を傾ける、必要とあらば体の弱い彼女の変わりに和馬と一緒になって何処ぞへと足を運ぶ、そんな日々をこの
昨日討伐屋で指し合いをした屋敷の門番を務める吉田の長男坊の口からも最近は雪那様が屋敷の外へ用事があって出られる事が多くなったと聞いていた。昨年に関しては用はなくとも散歩程度で屋敷を出て弥代と顔を合わせてお茶をして程度だったろうに、目的があって屋敷から出てくるというだけでも彼女自身の成長が感じられて、やはりそれはいい傾向だろう。
しかし突然頼られる、擦り寄られる事となった扇堂美琴自身は酷く困惑した様子だったというのは和馬から耳打ちをされたものだ。
あの日、桜が舞い散る中でほんの少しだけ彼女の事を立派に思えたのはもしかしたら気のせいではなかったのかもしれない。口にする気は沸かないがそんな事を思い出しながら頭の上に乗せていた手ぬぐいで顔を乱雑に拭った。
「にしても…」
何も弥代が雪那とこうして一緒に湯に浸かるのはこれが初めてではない。屋敷で暫く世話になっている間も狭い(といっても湯屋程ではないが二人浸かっても然程狭さは感じない程の。)離れに備え付けられた湯汲みで済ませた事だって何度かあった。だから別に今更何も意識をする事はない筈なのだが、こうした広い浴場である程度距離を空けて見てみると改めて、改めてどうにもこうにも見てしまうものが存在する。どうしても存在してしまうものがある。
「…。」
「どうかされましたか?」
「…あぁ、いや別に…相変わらず邪魔そうだなって、」
なんとも歯切れが悪い。視線を逸らしたところで意識は勝手に自分の何もないだろう胸元に注がれてしまう。首まで沈めている為に揺らぐ水面越しだが見比べてしまうと貧相さを自覚してしまう。いやさせられてしまう。
「じゃま…、邪魔ですか?」
「みなまで言わせんなよ。」
「は、はぁ…?」
口元まで沈み、弥代は
自分たち以外に誰も客がいない事を良いことに長湯をした二人が出る頃には、先ほどまで天辺にあった筈の陽が西の空へとかなり傾きだしていた。
雪那と共に屋敷から出てきてであろう和馬は二人が中にいる間、ずっと湯屋の入口で後ろ手を組んで待っていたようで、流石に一刻に満たずとも長い間立ちっぱなしでいた為かその表情には多少の疲れは見られた。何もしないで待つだけの時間程辛いものはないだろう。
この時間帯に湯に浸かってもう一度入るという事はないし、長屋に戻ってから飯の支度をする気にもなれなかった弥代は珍しく上機嫌に二人に声を掛けることにした。
『だからっ!絶対に止めておいた方が良いって俺釘刺しときますよ?伽々里さんそういうの好きじゃないっていい加減覚えた方が絶対良いですよ相良さん。俺には一回で覚えろっていうのに何度目ですか?何度同じ過ち起こしてるんですか?信じられませんよ本当に!』
そう言って、呆れ返った様子で先に帰ってしまった芳賀を思い出しながら相良は深い溜め息を零す。
昨日の会話以降、それまでもそうだったが拍車が掛かったように同じ屋根の下で彼女、伽々里から彼に向けられる態度というものは冷ややかなものだった。変に意識をしすぎというのは当然分かってはいるのだが、好いている相手にそんな扱いを受けて喜べるわけもなく。屋敷からかれこれ
以前まで一時の間屋敷から依頼を受けて彼女が用意をしていた薬に関しては今は注文が来る事はないのはせめてもの救いか。これ以上彼女にあまり負担を掛けたくない気持ちが先走って動いてしまうのは愚か者のすることだと分かっていながらも、彼女がまさに芳賀の言い残したようにそんな事望んでないし好きではないと分かっていても、どこか盲目的に相良は動いてしまった。
頭で分かっていても出来ない事なんていくら生きていたって多くあって仕方がないのだ。
(と言いましても…、)
客商売だというのにガンを飛ばしてくる体格のいい男を前に、相良は目線を合わせるように腰を折り意を決したように今一度頼み込む事にしてみた。
「で…ですからその、こちらの梅の実を買取りたいのですが…駄目でしょうか?」
「何度も言わせんじゃねぇぞ
「………。」
久しぶりに味わう事となったその険悪そうな受け答えは中々堪えるものがある。喉の奥がぎゅっと締まる感覚を静かに飲み下して、しかし相良は微塵も腹の中に納めたそれを感じさせない声色を発した。
「いえいえ何もご主人、悪い話ではありませんよ?
「金の問題は話しちゃいねぇんだよ。“色持ち”にそもそも売る品は用意しちゃいねぇって俺は
「なんとも手厳しいですね。」
荒々しく算盤の角が鼻先に向けられる。余程店の主人は“色持ち”に対して良い印象がないのだろう。こちらが何を言ったところで通じる気配はなさそうだ。言われた通り大人しく立ち去ればそれでこれ以上何も起こらない、事なきを得られるのだろうが、そう易々と引き下がる事が出来ないのがこの相良志朗という男だ。
武蔵国よりこちら、相模国の榊扇の里に移り住んでから一年という月日が経つ。里の権力者、統治する扇堂家自体が“色持ち”である為に、他の住む土地を追いやられた“色持ち”が多く暮らしはする里であるが、中にはやはり“色持ち”に対して理解のない者も存在はする。他と比べた時に幾分か理解があるというだけで、古くより根付いたこの島国特有の“色持ち”に対する迫害意識というものは決して消えはしない。簡単に拭えるものではないのだ。
敬愛していた祖父に幼い頃から聞かされていたこの島国の歴史というものがそれをひどく物語る。負の遺産が残り続けるこの島国の中でも一際色濃く残るその迫害意識は非常に息が詰まるものだった。
「困りましたね。他にこれ程立派な実は見つけられませんで。逆にどれぐらいでしたら譲っていただけますでしょうか。」
本来なら並ぶ笊に乗せられたそれ丸ごとをいただきたいものだが、そうも言ってられない。あれほどまでに先ほど芳賀から止しておけと言われたのに何も買えずじまいで帰ればそれはそれで面目が立たないとも言えようか。瓶を一本埋める事が出来ない量だって漬ける事はできるだろうと、最悪また日を改めて探しに回ればいいと思いしつこいと言われようとも食い下がる。食い下がって、食い下がって…どうにか彼が手に入れられたのはたった一粒の梅の実だった。
情けを掛けられたようなその梅の実を一つだけ握りしめてまた深い溜息を零す。
「…まぁ、何も持って帰れないよりはマシでしょうしね。」
が、その一粒で何が出来るというのか。梅干しにするにしたってそこそこ出来のいい大振りな一粒だ。とはいっても、もう少し小振りだったとしてもたった一粒を彼女に差し出して反応を困らせるのは目に見えている。使い道もないそれを握ってトボトボと帰路に相良はつきはじめたその時だった。
横から軽い衝撃がやってくる。反射的に手を伸ばす。自分の胸元より下を通過する何かは掲げた腕の中にすっぽりと収まるかのように吸い込まれた。
人、で間違いないだろう。相良は思わず声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
真上からではない、先の店の主人の時のように目線を合わせるように、しかしその手は相手の傾いた体を支えたまま、深々く被った頭巾に覆われてよく見えない表情を覗きこむように向けられる。
「…、」
一瞬にして日暮れになってしまたのかと疑いそうになるような、あまりにも鮮明すぎる“色”に目を奪われる。
『−−はしない、お前−−−−う。』
それはあまりにも刹那の出来事。どこかで聞いた声を思い出す。思い出してすぐさま消えゆくそれは、酷く、酷く鮮やかな“色”に包まれていて、どこまでも強烈な色褪せる事のない、謎の記憶。
「…えっと、」
束の間の出来事。彼はすぐさまハッとし、自分が支える存在へと改めて意識を傾けた。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
歳の頃にして十三、十四といったところか。
普段見慣れている弥代よりも身の丈だけならありそうではあるが幼い、どこかあどけなさが抜けない表情を浮かべる、蜜色の瞳をした少女だ。頭巾の裾からは隠しきれていない真っ赤な髪が姿を覗かせているが相良はそれには敢えて目をくれず、優しく呼びかけた。
大きく身開かれた瞳が真っ直ぐに相良を捉えるばかり。その小さな口をぱくぱくと動かずだけで声は何も聞こえない。
喋る事が出来ないのかと思えば体勢を変える。安心させるようにしっかりと彼女の足で立たせてから、その肩にそっと手を添えて下から見上げるような形で先ほどよりもゆっくりと言葉を紡いだ。
「怪我はありませんか?どこか痛みますか?」
「…へ、」
「へ?」
「へいき…です、大丈夫ですから……その、本当に大丈夫ですから。」
どうやら口はきけるようだ。ぱっと見で怪我をしているようにも見えなかった為、一安心といったところか。自分の事でもないのに胸を撫で下ろした相良は気を緩めてた。
「そうですか、怪我もなさそうで安心しました。しっかりもう歩けますか?御両親はどちらに?もし良ければ送ってさしあげますよ?」
自分の袴に付いた砂を払いながらその小さな体を隠すように、彼は少女の背後に回った。その両手を軽く両肩に置いて、身を屈めれば見ず知らずの彼女に小さく耳打ちをした。
「人の少ない所まで連れて行って差し上げます。」
少女は静かに頷いた。
「危ない、えっと…危ないところを助けていただいてありがとうございました…っ!」
「そんな礼をわざわざ言われるような事はしていませんよ私。見過ごすのは後々気に病むでしょうから、先んじて芽を摘んだに過ぎません。逆に御礼を述べたいのはこちらです。貴女の身に何事もなく安心しました。信じてくださってありがとうございます。」
人気の少なくなった通りの角、被っていた頭巾を少しだけズラしてその表情がよく見えるようになった少女が深々と頭を下げた。
大きな騒ぎとまではなっていなかったが、少女が駆けてきたであろう方向からやたらと目につく動きをする影が見えた。“色”を持つ幼い子どもが一人で人混みの中に紛れるなど危険でしかない。
榊扇の里がある程度“色持ち”を受け入れているからといって皆が皆理解があるわけではない。今だって物珍しさに“色持ち”の子どもが攫われ、売られなんていうのはこの国では少なくはないのだ。
そういう意味で考えれば日頃女でありながら決して女らしく振る舞う事のない男勝りな弥代の態度も、それらの逃れる為の自衛のようにも感じる。幼少期は常に祖父が隣におり、そういった危険に晒される事のなかった相良だが、“色持ち”特有の事情とでもいおうか、それらには理解があった。
恐怖に喉を震わせ、救いを求めるような縋るあの瞳はどこか、どこかあの日の彼を思い出させた。
「東で“赤”を持たれた方とこうしてお会いするのは初めてです。南といえば
目を惹くという意味ではそれこそ弥代以上だろう。弥代の青い髪も目を惹くものはあっても普段の装いの色も近しいが為に馴染んで見える。が彼女の“色”、“赤”というものはそれを遥かに上回る。言うなればすれ違い者の目を全て奪いそうな…
「…すみません。私もそうですが、やはり“色持ち”の方は皆その“色”を褒められるのは得意ではないですよね。あまりにも綺麗だったものでつい、口が滑ってしまいました。」
自分だってこの異色の瞳を褒められるような事があれば同じ反応をした事だろう。口を摘むんでとても寂しそうな目をした彼女はそれ以上何も言う事はなく、最後に小さくお辞儀をしてから相良に背を向けた。
「あっ、相良さん!どこほっつき歩いてたんですか?一人でウロチョロしないでくださいよ。元々頼まれてたおつかいを俺一人にさせる気ですか?早い所帰りましょうよ。日、暮れちゃいますよ?」
向けられた背中が見えなくなるまで見届けた頃、背後から聞き慣れた声が投げかけられる。とっくの昔に先に帰っていたと思っていた芳賀だ。すっかり人混みの中ではぐれた事を忘れていた。
「何ですかジッと見て?」
「あぁ、いいえ…。少々世知辛いなと思いまして。」
「世知辛い?
「いえいえ、私ではなく。そうですね……人目を惹かぬなど、きっと出来ない事ではないかと思えてならないのですよ。」
「何すかそれ?」
芳賀黒介という青年はこの島国では珍しい、“色持ち”に病的なまでに取り憑かれた、それを神からの恩恵として祀っていた集落の産まれだ。“色持ち”をそのように崇めるというのに身請けした“色持ち”の女を無理矢理
己が過去に犯した罪の大きさを自覚し、言い逃れることなく向き合い、“色”のありなし関係なく分け隔てなく接する事が出来るように今では育っている。相良からすれば実に喜ばしいことだ。
祖父も長くそれを望んでいたから。
「若いあなた方がそういった
こんな事を彼にいってもあまり意味はないのだろう。そんな事相良自身がよく分かっている。それでも望むぐらいは許してほしいものだ。
「若いあなた方って、相良さんだって十分に若いじゃないですか。アンタにだってまだまだこれからがあるのを、変な言い方しないでくれませんか?腹立つんで。」
「口が悪いですよ。私そんな言葉遣い教えた記憶ありませんが?」
「教えてもらった事ばっかりって思わないでくださいね〜!俺だって他所で知識蓄えてくる事ぐらいあるんですぅ!」
「可愛げがまだあってもよろしい歳ですよ貴方。」
「知りませーんっ!」
生意気に育ったものだ。それもここ二年ほどの話。初め引き取ったばかりの頃は大人しく何事も言われた事を鵜呑みにして後ろを黙ってついてくるような可愛げがあったというのに。
最近では何かと反抗的な物言いをしてくる事が増えた。血の繋がりはなくとも、息子というには歳があまり離れてはいない彼をなんと言い表せばいいものかと相良は考える。以前にも伽々里の前で酒を嗜みながらそんな事を直接口にしたものだ。
『無理に型に嵌める必要がどこにおありで?型に嵌めて違うとなってしまった時、それはどうされるおつもりですか?』
(それでもそれに縋りたい時もあるのですよ、心が矮小なのです人間というものは貴女と違って。)
色があろうとなかろうと気にせず接せるように育った彼を見て、相良はそう教えた筈の自分自身が誰よりも“色”を意識している事を知った。
先の少女に最後向けた言葉がどれほど酷かったかを知る。
「それよか何でしたっけ?梅ですか?絶対買って帰っても伽々里さん嫌な顔しますからね?そうなるって伝えましたからね俺?ほら店閉まる前に行きますよとっとと買いに。」
「他に頼まれたおつかいだってありますが?」
「先に近い方寄るのが良いんですよこういうものは!早くしてくださいってば、陽暮れちゃうって言ってんの聞こえてなかったんですか?」
梅雨はまだ明けない、水無月の夕暮れ刻。男児の成長を祝う月は過ぎているというのに、少しだけ大人になった気がする教え子の成長を前に、相良は小さく口元を緩ました。
そして彼はその二日後、なんの偶然か先日顔を合わした赤髪の少女と再会を果たすのだった。
次の更新予定
五節・梅子黄、破られし縁 鬼ノ目 @mitumitumi_yama
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