第3話 影を造る島

1 — 役割が集まる場所


八咫烏は、どこにも本部を持たない。

だが、例外が一つだけあった。


役割が「造る」段階に入ったとき、

人と技術は、必ず一か所に集まる。


その場所が——

端島だった。


軍艦島と呼ばれ、

崩壊と老朽化の象徴として語られる島。


だが八咫烏にとって端島は、

「終わった場所」ではない。


終わったことにされている場所だった。


それは、

影を隠すために最も都合のいい条件だった。


2 — 島は、隠すために死んだ


端島が選ばれた理由は、

美談でも戦略でもない。


冷酷な現実だった。


人が住んでいない


立入制限が常態化している


崩落・老朽化という“正当な言い訳”がある


そして、地下に巨大な空洞が残っている


八咫烏は、

炭鉱時代の縦坑と横坑を調査し、

海底へと延びる旧坑道を見つけた。


そこに“造れる”と判断した。


島を掘るのではない。

島の中に、もう一つの島を造る。


そうして端島は、

表では朽ち、

裏では生きる島になった。


3 — 端島深海基地の日常


地下百二十メートル。


そこに広がる空間は、

軍事基地というより工房に近い。


怒号はない。

号令もない。

敬礼もない。


あるのは、

低い声の報告と、

機械音を抑えた作業音だけ。


八咫烏の掟では、

階級や肩書きは無意味だった。


重要なのは、

その瞬間に何ができるか。


「観る者」が世界を示し、

「造る者」が答えを形にし、

「止める者」が使う。


それだけだった。


4 — 黒鯨は“結論”だった


黒鯨は、

最初から原子力潜水艦として構想されたわけではない。


八咫烏が問い続けたのは、

たった一つだった。


どうすれば、国家が壊れる前に止められるか。


通常戦力では、

中国にもロシアにも届かない。


抑止は、

すでに言葉になっていた。


だから答えは、

“存在しない戦力”だった。


見えない


聞こえない


記録に残らない


そうして辿り着いたのが、

深海に溶ける原子力潜水艦。


それが黒鯨だった。


5 — 設計思想という異端


黒鯨の設計書は、

通常の兵器開発と決定的に違っていた。


性能要求の最上段に、

こう書かれていた。


「勝つな。

目立つな。

ただ、残れ。」


マイクロ原子炉MHX-12Nは、

速力も出力も抑えられている。


その代わり、

振動を殺し、

熱を隠し、

鼓動を消した。


砂原匠は、

完成間近の黒鯨を見て、こう言った。


「これは艦じゃない。

海が一部、

意志を持っただけだ。」


6 — 堂嶋遼という“止める者”


堂嶋遼が選ばれた理由を、

本人は知らない。


だが八咫烏は、

彼の戦歴を細かく見ていた。


彼は、

沈められる場面で、

何度も“沈めなかった”。


撃てたのに、撃たない。

追い詰めても、退路を残す。


それは、

軍人としては危うい資質だった。


だが八咫烏にとっては、

必要不可欠な条件だった。


黒鯨は、

沈めるための艦ではない。


止めるための艦。


それを任せられるのは、

堂嶋遼しかいなかった。


7 — 出撃前夜


台湾が燃え、

沖縄が叩かれ、

北でロシアが動いた夜。


端島深海基地には、

異様な静けさがあった。


誰もが理解していた。


今日、

黒鯨は“戻れない存在”になる。


鞍馬京介は司令室で、

短く言った。


「役割を、移す。」


それは命令ではない。

引き継ぎだった。


8 — 黒鯨、起動


艦内灯が、

必要最低限の明るさで点く。


堂嶋は司令席に座り、

起動操作を行う。


原子炉は唸らない。

艦は震えない。


ただ、

“そこにある”という感覚だけが生まれる。


加々美が、

ソナーを聞きながら呟く。


「……もう、

 黒鯨の音と、

 海の音が区別できません。」


それでいい、と堂嶋は思った。


9 — 島から、海へ


地下C層。


三重水門が、

段階的に圧を解放する。


海水が流れ込み、

黒鯨は自然に浮力を得る。


推進器は回らない。

黒鯨は、

“押し出されるのではなく、

 海に受け入れられる”ように動く。


かつて炭鉱だった坑道を改造した

海底トンネル。


黒鯨はそこを、

音もなく進んだ。


10 — 影になる瞬間


最後の水門が開く。


外洋の水圧が、

艦体を包む。


その瞬間、

黒鯨は“基地の所有物”ではなくなった。


堂嶋は、

深海の暗闇を見つめ、

低く言った。


「……行くぞ。」


それは誰に向けた言葉でもない。


黒鯨は、

世界へ溶けていった。


記録されず、

称えられず、

存在すら疑われながら。


だが確かに、

均衡を支える影として。

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