第11話 「善悪を知るということ」

「善悪を知るということ」


【ブロック1|声】


「あなたたちは、決して死にません」


その声は、甘かった。

果実の匂いよりも、夕暮れの風よりも。


女は、足を止めた。

裸足の裏に、草の冷たさ。

葉が擦れる音。

遠くで、水が流れている。


「本当に?」


女が聞く。


蛇は、ゆっくりと身を起こした。

鱗が、光を反射する。

音はしない。

それなのに、確かに“近い”。


【ブロック2|囁き】


「ええ」


蛇は、微笑むように言った。


「その木の実を食べた日に、あなたの目は開かれる」


女は、木を見た。

瑞々しい実。

皮の張り。

噛めば、音がするだろう。


「善と悪が、分かるようになる」


蛇は続ける。


「神のように」


その言葉に、女の胸が小さく鳴った。


【ブロック3|疑問】


「でも……」


女は、言葉を選ぶ。


「神は、食べてはいけないと」


蛇は、くすりと笑った。


「神はね」


少し、声を低くする。


「あなたが“神のようになる”ことを、知っているんですよ」


その瞬間、

女の胸に、初めての感情が生まれた。


――ずるい。


それは、怒りでも恐怖でもない。

排除される側の感覚。


【ブロック4|触れる】


女は、実に手を伸ばした。

皮は、ひんやりしている。

指に、微かな湿り気。


「食べたら……どうなるの?」


蛇は答える。


「分かるようになります」


「何が?」


「正しいことと、間違ったこと」


女は、少し笑った。


「それは……良いことじゃない?」


【ブロック5|最初の噛み音】


歯が、皮を破る。


――ぷつ。


甘さが、口に広がる。

果汁が、舌を満たす。

噛む音が、森に響く。


一瞬、

世界が、鮮明になる。


色が、濃い。

風が、冷たい。

自分の鼓動が、うるさい。


【ブロック6|開く目】


「……見える」


女は、呟いた。


蛇は、満足そうに身をくねらせる。


「でしょう?」


女は、自分の手を見る。

指。

爪。

傷。


「これは……」


言葉が、喉に詰まる。


「恥ずかしい……?」


初めて知る感情。

初めて、名づけられた自分。


【ブロック7|善と悪】


「これが……善」


女は、木を見る。


「これが……悪」


自分の裸身を見る。


線が引かれる。

はっきりと。


世界が、切り分けられる。


【ブロック8|蛇の笑い】


そのときだった。


「――愚か者め」


蛇が、高らかに笑った。


音が、跳ねる。

葉が揺れる。


「あなたは、神のように“善悪を知った”」


蛇は、ゆっくり言う。


「だがね」


一歩、近づく。


【ブロック9|決定的な言葉】


「善悪を“決める”力を、

あなたが持ったと思ったか?」


女の喉が、ひくりと鳴る。


「違う」


蛇は、はっきり言った。


「あなたは、裁く側になっただけだ」


【ブロック10|切る力】


「切ることができる」


蛇は続ける。


「誰が正しく、誰が間違っているか」


「誰が善で、誰が悪か」


女の胸が、ざわつく。


「それって……神と同じ?」


蛇は、首を振る。


「神は、創る」


「あなたは、切る」


【ブロック11|最初の刃】


女の視線が、隣に立つ男へ向く。

同じ実を食べた男。


「……あなたは」


言葉が、勝手に出る。


「間違ってる」


その瞬間、

男の顔が、“悪”になる。


女は、息を呑む。


――あ。


【ブロック12|気づき】


「分かったでしょう」


蛇が、楽しそうに言う。


「善悪を知るということは」


「世界を、傷つけるということです」


女の指が、震える。


「戻せない……?」


蛇は、また笑う。


「切ったものは、戻りません」


【ブロック13|静かな絶望】


風が、吹く。

葉が、落ちる。


世界は、まだ美しい。

だが、

もう、同じではない。


女は、初めて思う。


――知らなければ、

――傷つけずに済んだのでは。


【ブロック14|最後の囁き】


蛇は、去り際に言った。


「善悪を知った人間はね」


振り返らずに。


「神にはならない」


「神のふりをする生き物になるだけだ」


【ブロック15|余韻】


女は、実の芯を捨てた。

土に落ち、転がる。


その音が、

妙に大きく響いた。


世界は、今日も続く。

だが、

裁きは、ここから始まった。




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