第6話 「自白という救い」

第6話 「自白という救い」


【ブロック1|部屋の匂い】


取調べの部屋は、牢より温かかった。

それが、いちばん怖かった。

冷えがないぶん、逃げ場がない。


蝋の匂い。

濡れた布の匂い。

金属の匂い。

そして、紙の匂い。

書かれる匂い。


「座れ」


椅子は硬く、背もたれがまっすぐだった。

アンナの背中は自然に丸くなる。

丸くなると、叱られる気がして、無理に伸ばす。

肩が痛む。


【ブロック2|優しい声】


マティアスは、怒鳴らなかった。

それが、刃より鋭い。


「アンナ」


名を呼ぶ声は、親しい人みたいだった。


「あなたは、真実を言えばいい」


アンナは、喉の奥で息を止めた。

真実。

ここでの真実は、“事実”ではない。


「……私は、何も」


「分かっています」


マティアスは頷く。


「あなたは、悪人ではない」


アンナの心臓が、変な跳ね方をした。

救われた気がして、同時に、足元が抜ける。


「では、なぜこうなったと思いますか」


【ブロック3|誘導】


ルーカスが、紙を構える。

羽ペンの先が、微かに震える。


「凶作がありました」


マティアスは穏やかに言う。


「病がありました」


アンナは黙っている。

黙っていることが、すでに答えに見える。


「あなたの周りで起きた」


「……私のせいじゃない」


声が出た。

出た瞬間、空気が少し硬くなる。


「“せい”という言葉は、あなたが使いましたね」


アンナは息を飲む。

言葉が、罠になる。


【ブロック4|神の名】


マティアスは十字を指で触れた。


「神は、罪を憎みます」


アンナは思う。

なら、どうして人をこんなふうに追い詰めるのだろう。


「だが神は、あなたを憎んでいない」


優しい声。

それが、逃げ道に見える。


「悪魔が、あなたの弱さを利用したのです」


アンナの胸の奥が、冷たくなる。

弱さ。

泣かなかったこと。

黙ったこと。

一人で立っていたこと。


それらが、“弱さ”に名を変える。


【ブロック5|“物語”の提示】


マティアスは、本を開いた。

紙の音がする。乾いているのに、重い。


「夜、窓が開く。黒い影が来る」


アンナは首を振る。


「知らない」


「空を飛ぶ」


「知らない」


「呪いの言葉を唱える」


「……知らない!」


声が割れた。

自分の声が怖い。


マティアスは、驚かない。

ただ、頷く。


「ええ。最初は皆、そう言います」


【ブロック6|疲れ】


時間が、溶ける。

蝋が短くなる。

水の入った器が、何度も取り替えられる。

喉は乾く。

背中は痛い。

目の奥が熱い。


「アンナ」


また名を呼ばれる。

名を呼ばれるたび、心が削れる。


「思い出しなさい」


「思い出せない」


「思い出せます」


言い切る声。

こちらの答えは必要ない、と言われているみたいだった。


【ブロック7|言葉が壊れる】


アンナは、もう何が本当か分からなくなる。

分からなくなる、というより――

分かっているのに、それが意味を持たなくなる。


「違う」と言っても違わない。

「知らない」と言っても知らないままにはならない。


だったら、何を言えば終わるのか。


その考えが、喉の奥からじわじわ湧いてくる。

それが、怖い。


【ブロック8|隣の部屋】


壁の向こうで、誰かが叫んだ。

短い叫び。すぐ途切れる。


アンナは、身体が反射で震える。

指先が冷たくなる。


ルーカスが、目を逸らした。

ペンを握る手が、さらに白くなる。


アンナは思う。

――ここにいる全員が、疲れている。

――でも、疲れが許されるのは、誰だ。


【ブロック9|一言で変わる空気】


マティアスが、少しだけ声を落とした。


「アンナ。あなたは、賢い」


その言葉が、甘い。


「あなたは分かっているはずです。

あなたが苦しむ必要はない」


アンナは唇を噛む。

血の味がする。


「……どうしたら」


声が、自分のものじゃないみたいだった。


マティアスは、待っていたように言う。


「語ればいい」


【ブロック10|選ばされる】


「何を」


アンナが聞くと、マティアスは答えた。


「あなたが見たことを」


「見てない」


「なら、夢で見たことを」


「夢なんて……」


「悪魔は夢に入ります」


アンナは、笑いそうになった。

笑えない。笑ったら、終わる。


「あなたが言えば、終わります」


終わる。

その言葉が、唯一の灯りみたいに見える。


【ブロック11|救いの形】


アンナは、息を吸った。

蝋と湿った布の匂いが、肺に入る。


そして、頭の中で言う。


――そう言えば、終わるのだろう?


誰に聞くでもない問い。

でも、答えはもう決まっている。


アンナは小さく言った。


「……夜に、来ました」


ルーカスのペンが走る。

その音が、やけに速い。


マティアスは頷いた。


「よろしい」


【ブロック12|物語が始まる】


「窓が……開いて」


アンナは言う。

言いながら、自分の胸が少し軽くなるのを感じてしまう。

その軽さが、吐き気がするほど嫌だった。


「黒い影が……」


「ええ」


マティアスが、優しく促す。


「続けなさい」


アンナは、目を閉じた。

暗い方が、嘘が言える。


「契約を……」


喉が震える。

嘘が、口の中で形になる。


「……交わしました」


【ブロック13|休息】


部屋の空気が、少しだけ柔らかくなった。

それが分かる。


「いい子だ」


誰かが言った。

それが誰でも、もういい。


アンナは、身体の中の力が抜けていくのを感じた。

疲れが、どっと押し寄せる。

でも、それは罰じゃない。

許可された疲れだ。


嘘の自白は、唯一の休息だった。


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