好きが仕事になるコト
宮塚慶
好きが仕事になるコト
『
画面の向こうで、我が兄貴――
たった二歳しか違わないのに、映された兄貴の顔はパパ顔負けに渋かった。
「分かってるってば。それ言うためにわざわざ連絡してきたの?」
『そうだ。何度でも言ってやるが、お前の将来を不安視してるんだよ』
高校も三年生になり、そろそろ本格的に進路のことを考えなくてはならない時期。
未だ決断できずに迷うあたしを叱責するためだけに、兄貴はわざわざビデオ通話を繋いできたのだ。
上京して大学に通う兄貴はそれなりに充実しているらしく、今日も休日だと言うのに出かける前であろう外行きの服装を着こんでいる。
そんなに忙しいなら電話してこなくていいのに、と胸の内で毒を吐いた。
離れて暮らしているから小言も落ち着くと思ったのに、むしろ連絡回数はどんどん増えているように思う。
そのどれもがあたしの将来に関する心配事で、あまりにもしつこいので嘆息するしかない。
「いくら可愛い妹だからって、心配しすぎじゃない?」
『あのなあ』
舌をペロりと出して、カメラに向けてウインクして見せる。
愛する妹のおどけた悩殺スマイルを見て、兄貴は心底嫌そうに顔をしかめた。なんでよ、飛び跳ねて喜んでくれればいいのに。
『……お前がやりたいことを決めてくれれば、俺だって連絡しなくて済むんだぞ』
「しつこいなー。兄貴の方こそ、彼女でも作った方がママたちも安心するよ?」
『話を逸らすな!』
怒られた。年齢イコール彼女いない歴だからって、図星を刺されて癇癪起こすなんて酷い。
……それはこっちも同じだけど。
こんな軽口を叩きながらも、あたしの内心は大丈夫じゃない。
兄貴の言うとおり。自分のやりたいことが分からないから。
勉強でもスポーツでも、何か一途に情熱を向けられればよかったのに。一七年間の人生はあたしに何も残してくれなかった。
両親が心配しているのも当然知っている。
――直接言うのに疲れて、こうして兄貴を使っているのも。
それでも、先のことを考えると心が乱れる。ぐんと伸びをして深呼吸すると、追及を諦めてくれたのか兄貴は別の話題を出した。
『絵は? 最近描いてないのか?』
「描いてるよー。新しいの、見る?」
普段の会話へ切り替わったことに安堵して、返事も待たずに最新の落書きデータを送りつける。
今日の絵は中々可愛らしく描けた。自信作だ。
兄貴はそれを見ながら、ほう、と感心したような声を漏らす。
『なあ碧』
ふとビデオ通話越しの顔が険しくなった気がして、あたしは身構える。もうお説教は勘弁。
どうしたんだろう、何かマズい絵だったかな。
女の子のイラストだったから、彼女の居ない兄貴は寂しさに絶望したのかもしれない。可哀想に。
『お前、これを仕事にはしないのか?』
……ん?
不意に聞こえてきた言葉が理解できなかった。今、兄貴はなんと言っただろう。
「仕事? 絵を?」
『ああ。俺はお前の絵、結構上手いと思うけどな』
「ふぇっ!? 兄貴が絵を褒めた!」
いつも兄貴に絵を見せると、素人ながら鋭い指摘をぶつけてくる。
やれ顔のパーツが歪んでいるだとか、やれ画角に対して腕の長さがおかしいだとか。
余計なお世話だと思いつつも案外的確なことを言うので、あたしはそのアドバイスを結構頼りにしていた。
ところが、今日は絵の修正点に関する意見ではない。なんか素直に褒められたし。
想定外のことを言われて理解が追いつかなかった。
絵を仕事に、なんて考えたこともない。これは遊びで、ただの落書きだ。そりゃあ描いている間は真剣で無我夢中だが、お金を稼ぐなんて出来っこない。
「む、無理だよそんなの! 兄貴がいつも言うんじゃん、あたしの絵は下手っぴだって!」
『気になるところは教えてやるが、別に下手だと言ったことはないぞ』
「嘘! ……いや、たしかに下手とは言われてないかも。でも仕事になんて出来ないし!」
『なんでだよ。描くの好きじゃないのか?』
その言葉にハッとさせられる。
こうして兄貴や友達に見せた時、感想をもらえるのが嬉しい。投稿サイトに出して「いいね」をもらえると、堪らなく気分が良い。
でも、それは承認欲求を満たす一つの手段だと思っていた。
他人に評価されることに浮かれていると行動原理を自己分析し、驕らないように自分を戒めてきたのだ。
でも、そうか。
あたしは絵を描くこと自体が好きなのか。
「……兄貴、結構あたしのこと見てるんだね」
『なんだそれ』
「いやあ、愛されすぎて困っちゃうなあ」
『気色悪いことを言うな』
気がつくと、あたしの心は幾分か穏やかな状態になっていた。
未来のことを考えて気落ちする感覚はもう無い。
通話先の兄貴がこちらを見て頬を緩めてくれている。こちらも同じ表情をしていることは、自分のカメラを確認するまでもなく明白だ。
『ま、なんか掴めたならよかったよ。じゃあな』
そう言って、あたしの返事も待たずに通話を切る兄貴。一方的なやつだ。
部屋に静寂が訪れて、ふと天井を見上げる。シーリングライトが煌々と辺りを照らしていた。
今まで、描くことを真剣に捉えたことはない。デッサンや表現力は自分で必死に練習して得たもので、特別に勉強したりもしなかった。部活に入ったり、ライバルと競い高め合ったりもしていない。
もしかすると、プロから見たらとんでもない描き方をしているかもしれないけれど。
でも、たしかに描くのは好き。これを仕事にできたら最高だと思う。
「あたし、できるのかな」
通話を終えたパソコン画面に視線を戻す。自分の描いたイラストの少女がこちらを見ていた。
手にペンを持ち、笑んだ顔で絵を描こうとしている少女。空中に奔らせた青い軌跡がこれから何かを生み出す、そんな一枚。
あたしは、画面の彼女に問いかける。
「あなたは、何を描くの?」
口に出して、夢中で描いた絵の題材が自分自身なのだと気づく。
胸のつかえはすっかりと消えてなくなり、答えが見つかったように思えた。
この子のように、あたしも何かを描きたい。描き続けたい。この先もずっと。
今抱いている感情が一時のものではないことを確認するために、あたしは再び体を伸ばす。
どうだい自分。仕事にしてでも絵を描きたいかい?
……うん、大丈夫だ。気持ちは変わらない。
あたしは椅子から立ち上がり、意を決して自室の扉を開いた。
「ママー! ちょっと話があるんだけど」
好きが仕事になるコト 宮塚慶 @miyatsuka
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