scene1:追憶座

街をあざやかに染めていた紅葉はすっかり地面にし、代わりに色とりどりのイルミネーションが、せわしなくクリスマスの訪れを告げている。首筋をでる風は鋭さを増し、冬の足音がすぐそこまで迫っていた。



朝日佳奈は、コートのえりを立てながら大学のキャンパスを歩いていた。手渡されたばかりのチラシを、内容も見ずにカバンに突っ込む。講義室の中は、暖房の熱気と学生たちの放つ独特の緊張感で充満じゅうまんしていた。「就活早期化」や「キャリアアップ」という、耳をふさぎたくなるような単語が教壇きょうだんから降り注ぐ。



佳奈はペンを動かすことさえせず、ただぼんやりと虚空こくうを見つめた。将来のことなんて、考えたくもない。そもそも、自分の「今」がどこへ消えてしまったのかさえ分からないのだ。夜兎涼香やとすずか忽然こつぜんと姿を消して、五ヶ月が経とうとしていた 。



いくら連絡を重ねても、涼香の両親まで連絡が取れず、警察には「事件性なし」と一蹴いっしゅうされた。親友を失い、佳奈の世界からは一切のいろどりが消え失せていた。就活どころではない。隣にいたはずの半身がいないストレスが、なまりのように体にのしかかっている。



三時間の不毛ふもうなセミナーを終え、大学を出る頃には、空はすみで汚したように暗くなっていた。家までの馴染なじみの通い道。そこにあるはずの空き地に、見たこともない建物が異様な雰囲気をただよわせていた。



「……追憶座ついおくざ?」



古びたミニシアターのようなたたずまいだが、看板には確かにそう記されている。現実逃避の場所を探していた佳奈の足は、吸い寄せられるようにその扉へと向かう。中に入ると、そこは映画館というよりは改装現場のようだった。積み上げられた段ボールと、乾ききっていない塗装とそうの匂い。

整理のついていないその空間は、まるで今の自分の心のようだと佳奈は思った。



「人生を変える映画体験はいかがですか?」



声を聞き振り返ると、そこには深い黒の闇を切り取ったようなタキシード姿の男が立っていた。古風な身なりだが、整えられた黒髪は執事のように端正たんせいで、どこか浮世離うきよばなれした雰囲気をまとっている。



「そんなにいい映画があるんですか?」



佳奈が尋ねると、支配人と名乗った男は、ニヒルな笑みを浮かべた。



「いい映画かどうかはあなたの『解釈』次第ですが、二本ほどございますよ」



佳奈は小難しさに思考をかき乱され、困惑の色を隠せない表情を浮かべる。



「それにおめでとうございます。あなたが、この劇場の最初のお客様です」



たった二本。だが「最初」という言葉の響きが、不安だった佳奈の心を少しだけ解いた。支配人は慣れた手つきで「二本立てでお安くしましょう」と提案してくる。安く観られるなら、大学生としては願ってもない話だ。



「じゃあ、それでお願いします」



佳奈が財布を取り出そうとすると、支配人はそれを手で制した。



「当劇場のチケット代金は現金ではありません。あなたが大切にしているものを、上映中に預かっています」



佳奈は怪しみながらも、首に巻いていた手編てあみのマフラーを解いた。涼香からもらった、唯一の温もり。それを支配人の手に預ける。



「……返してくれますよね?」



「映画に満足していただければ返却します。もし満足されなかったら、その時あなたに必要な別のものをお渡ししましょう」



支配人の含みのある言葉に一瞬たじろいだが、佳奈は導かれるようにスクリーン1へと向かった。渡されたのは、ジュースと一口サイズのケーキ。この場所で提供されるもの以外は、一切の飲食が禁じられているという。



「素敵な映画の世界へ、いってらっしゃいませ」



劇場の重い扉を開こうとした時、支配人の声が鋭く響いた。



「お客様。本編の前に『ルール映像』が流れますので、必ず守ってください。さもなければ、とんでもないことになりますから……」



その警告を聞き、背筋に冷たいものが走る。無人の劇場。深い座席に身を沈めると、暗転したスクリーンに無機質な映像が流れ始めた。



口外禁止: この映画館および上映された作品のことを誰かに話すことを禁ずる。



完全鑑賞: 上映中の私語や立ち歩きは厳禁。目をそららすことも許されない。



電子機器の無効化: ここでは通信も記録も遮断しゃだんされる。



飲食の制限: 提供されたもの以外は口にしてはならない。



アナウンスのように流れる女性の声。



『これからあなたは映画という窓から別の人の人生をのぞきます。それはかけがえのない経験であり、財産です。この時間だけはこの世界に入りびたってください』



と映像は告げた。



やがて、フィルムの回るカタカタという音が静寂せいじゃくを切り裂き、タイトルが浮かび上がる。




『未来の私』  主演:夜兎涼香




佳奈の息が止まった。スクリーンの光が、彼女の驚愕きょうがくに染まった瞳を青白く照らし出していた。

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追憶座 -シアター・レミニセンス - 天童フリィ @fly_tando7180wr

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