第2話 異能:財布置き忘れ(パッシブ)発動中!

駅の改札前で、空っぽのカバンと、満タンの羞恥心を抱えながら――

相馬シンジは完全に詰んでいた。


逃げ場はない。

金もない。

連絡手段もない。


そんな人生の詰みポイントで、

――彼女は現れた。


蒼井美玲。


シンジと同じ春に入社した同期であり、“当社の華の情報コンサル部”に配属された、いわばエリート中のエリートだ。


とはいえ、同期の人数は毎年500人超。

まともに会話したことのない「誰あんた状態」の相手の方が圧倒的に多い。


シンジと蒼井も、その程度の――

知っているけど、知らない関係だった。


ただ、蒼井は少し違う。


新人研修のワークショップではグループリーダーを務め、

見事なプレゼンで最優秀賞をかっさらっていった。

しかも容姿も圧倒的。目鼻立ちの整った美人で、姿勢から所作まで完璧だ。

正直、とても同じ世界に住んでいるとは思えなかった。


同期界隈では“伝説の蒼井”。

誰もが、その名前を知っていた。


ちなみにシンジのいたチームは、というと……

うしろから数えた方が早い。正確には下から二番目。

最下位は発表すらできなかったチームなので、それよりは上だ。


勝ってる。

……たぶん。


そんな蒼井が、今まさにシンジの前を颯爽と通り過ぎていく。


拾い上げた白い手帳をカバンに押し込む仕草さえ、まるで飲料水CMのワンシーン。

改札を抜けると、そのまま階段を駆け上がり、上りホームの終電へと姿を消していった。


シンジは、真っ白になった脳内で、

彼女の落とした手帳すら拾えずにいた。


その場に立ち尽くし、

まるで一時停止ボタンを押された人生のモブキャラだ。


我に返ったときには、

もはや人類史に名を刻むレベルの自己嫌悪が押し寄せてきた。


「あああああ……なンも言えなかったァァァ……!」


泣き叫びたい衝動を、全力で飲み込む。


なお、蒼井の乗るのは東京方面行きの上り終電。

シンジの小田原下り方面は、まだあと二本残っていた。


構内に、終電の発車ブザーが鳴り響く。


電車が去る音とともに――

シンジの中で、何かが終わった。

そう、完全に。


『シンジ、お金のこと頼めばよかったのに!』

『……いや、無理だろ。彼女、急いでたし』


脳内では、超合金製・妄想人格シンジ一号と二号が言い争いを始めていた。


そんな二人をよそに、

現実のシンジは自動改札機の前で棒立ちのままだ。


この状況を打破する方法など、存在しない。

――はずだった。


……そう。そのはずだった。


ところが。


上りホームの階段から、誰かが降りてくる。


(えっ!?)


スローモーションで階段を下るその姿は――


(蒼井さん……!?)


映画の予告風に言えば、“全米がざわついた”レベルの衝撃。


蒼井が、こちらへまっすぐ歩いてくる。


「どうしたんですか?」


鼓動の高鳴りを押し殺し、

シンジは全力で平静を装った。


「え? あ、さっき落としたみたいで、

 ……ここに挟んでたペンがなくなっちゃって」


手帳を取り出して見せる蒼井。

その仕草が、いちいち天使だ。

白い指先が、優雅に手帳のカバーをなぞる。


「あ、僕も探します」


シンジがあたりをキョロキョロ。

しかし、自動販売機の下にあったペンを見つけたのは、やはり蒼井だった。


「これ、父からもらった入社祝いなの」


そう言って、大切そうに手帳へ戻す。


「探してくれてありがとう」


ほとんど何もしていないのに、頭を下げてくれる。

尊さの暴力だった。


蒼井が改札に背を向けて歩き出した、そのとき――

シンジの脳内で、一号が絶叫する。


(今だ! シンジ! なんか言え! そうだ、お金貸してだ!

 蒼井、金を貸せ! はよ言え!!)


「――あのっ、……お疲れさまでした!」


ようやく絞り出した一言に、蒼井の足がぴたりと止まる。


ゆっくり振り返り、

シンジの目の前まで戻ってきた。


「たしか……相馬くん、よね。システム二課の」


(うおおおおおおっ! 名前呼ばれたぁぁ!!)


……と思ったが、

視線の先には胸にぶら下がったままの社員証。


察しの良すぎる現実に、ぬか喜びの"ぬか"を自覚した。


「え、ええ。たぶん同期だと思います」


「ねぇ、相馬くん。一つ聞いていい?」


「はいっ! なんですかっ!」


「……なんで、ずっとそこに立ってるの?」


「あ、えっ……」


「改札前で、ずっと動かないから気になっちゃって」


「あ、いや、その……それは……」


(いまだ! 黙って金を出せ!)


(次は手を上げろだ! 

 蒼井が手を上げたら、すかかさず抱きついてチューしろ。

 チューだ! いけぇー! シンジィィィィィ!)


もう、シンジ一号は完全に制御不能だった。

後ろで二号が、必死に羽交い締めをしている。


「うるさいっ!!」


シンジは思わず、脳内の妄想人格に叫んでいた。


「……えっ?」


蒼井が首をかしげる。

不思議そうな顔。


「あ、いや、その、ちがうんです。一号が暴走して……」


もはや言い訳も限界。

シンジは深呼吸を一つして、告白する。


「実は、財布と定期券を、会社の引き出しに忘れてしまって……」


二十秒で完結する、ダメ男の全力説明。

話し終えると、どっと疲労感が押し寄せた。


蒼井は、ふっと笑みを浮かべた。


「なるほどね。それで立ってたのか」


妙に納得され、シンジもつられて笑ってしまう。


そして彼女は、あっさりと切符代を貸してくれた。


今日は上司の送別会を兼ねたクリスマスパーティーだったらしく、

終電を逃した蒼井はタクシー乗り場へ。


シンジは、次の電車までまだ時間があった。

自然と足並みをそろえ、南口まで並んで歩く。

街のイルミネーションが、二人の足元をやさしく照らしていた。


「蒼井さん、ありがとうございました。

 これで無事、帰れそうです」


「ふふ。大げさだよ」


歩きながら、茶目っ気たっぷりに笑う蒼井。


この時間が永遠に続いてほしかったけれど、

あっけなくタクシー乗り場に着いてしまう。


シンジが頭を下げ、

背を向けて改札へ歩き出そうとした、そのとき――


「あっ、ちょっと待って」


蒼井は手帳から付箋をぺりっとはがし、なにかを書き込む。


「切符代、返してね。じゃあ、これ」


「はい! 絶対返します!」


シンジはそれを受け取り、最終電車めがけてダッシュ。


借りたお金で切符を買い、改札を抜けながら、

そっと付箋を開いた。


――そこには、蒼井のスマホ番号。


社内の内線じゃない。

ガチの番号だ。


手が、わずかに震えた。


「すげぇぇぇぇ……!」


シンジ、満面の笑みで改札を突破。

人生初の“勝利演出”が、今ここに。


そのとき――

ふと視線を感じて振り向くと、

窓口の駅員さんが、暖かい笑顔で口を動かした。


「……えっ?」




「メリークリスマス!」


たしかに、その口元が、――そう言っていた。


おわり

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ラストマン、改札前で詰む ――社内最強ヒロイン(推定SSランク)から番号ゲットしたんだが!? 〜異能:財布置き忘れ(パッシブ)発動中〜 霧原零時 @shin-freedomxx

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