五円玉の記憶

@EnjoyPug

第1話

 私にはいろんな記憶がある。

 悲しいことに、楽しい思い出よりも嫌なことのほうが多い。

 それは子供のころからで、ペンキのように脳にこびりついている。

 落ちることのない、濁色の思い出。


 

 私は成人式を迎え、大人になった。

 免許を取り、貯めた小遣いとお年玉で買った原付に跨る。

 三十キロの速度。

 どこまでも遠くへ行ける気分に浸っていると、小学校の近くにある駄菓子屋が見えた。


 ──記憶が甦る。

 小学校には児童を預かるクラブがあり、放課後になると私はそこで過ごしていた。

 たまに大人が子供たちに百円を渡してくることがある。

 それをもって駄菓子屋に向かい、百円でやりくりするのが好きだった。

 十円のお菓子は量も形も小さい。

 二十円から五十円のお菓子はそこそこの量で味もうまい。

 それ以上になると、量と味に比べてコストパフォーマンスが悪い。

 さらにいくつかのお菓子は、もう一つおまけでついてくる“当たり”がある。

 少し高いが当たりのあるお菓子でもう一つを狙うか、それとも質より量を取るか──。

 百円の制限でする買い物が中々に楽しい。

 小学校低学年の思い出だった。


 ある休日、子供の私はあの駄菓子屋に行きたくなった。

 お金はない。なので、家に落ちているお金を拾って家を出た。

 銀色の硬貨がお金なのはわかる。だが、その意味までは知らなかった。

 握りしめたのは黄色の穴の開いた硬貨。──五円玉だった。

 子供の私は五円玉を五十円だと思い込んでいた。

 銀色のものとは少し違うが、ただ色褪せているだけだと。


 家から駄菓子屋まで歩いて約二十分。

 しかし、子供の小さい足だと実際はもっとかかる。

 私は息を切らしながら歩いた。

 でも辛くはなかった。ポケットに入れた硬貨が私を邁進させた。


 ようやく駄菓子屋に到着する私。胸を高鳴らせて店へと入る。

 店番のおばちゃんが私に気が付いて挨拶した。

 おばちゃんに見守られながら、お菓子を物色する私。

 五十円は百円の半分。だから量は買えない。考えているのはそれだけだった。

 五十円分のお菓子を持って私はレジへと向かい、お菓子を並べる。

 会計でポケットから五円玉を出す。

 おばちゃんは少し黙った後、私の目を見てこう言った。


「これじゃあ、足りないよ。これは五円玉だから」


 指で返される五円玉。

 突きつけられた現実。

 思考が遠ざかり、視界が狭くなる。

 私は「でも」と続けて口答えしようとした。

 ここまでの苦労を否定されたら、頭がおかしくなりそうだった。


「ちゃんとお金を持ってきてくれれば、売ってあげるから。今日は帰りなよ」


 冷たいが優しく話しかけてくれる。

 私は黙って頷き、五円玉を持って店を出る。

 帰り道の中、私は声を出して泣いた。



 そんな記憶を思い出しながら、私は駄菓子屋へと寄る。

 苦い思い出はあるが、楽しいこともこの駄菓子屋にはたくさんある。

 ここで育った私が成人したことをおばちゃんに伝えたかった。

 十年以上も前、何度もここに来た私のことを覚えてくれているだろうか──。

 たとえ覚えていなくても、一言でいいから挨拶をしたかった。


 店の外に置かれている古びたアーケードゲームを懐かしみながら店へと入る。

 置かれている駄菓子の種類も、位置も、匂いも、昔と何も変わらない。


「いらっしゃい」


 レジにおばちゃんがいた。私は会釈をして話しかける。


「久しぶりおばちゃん。覚えてないかもだけど、小学生の時、よくここに来たよ」

「ああ~、そうなの。久しぶり。ごめんねぇ、あんまり覚えてなくて」

「いいよ。ここって子供がいっぱい来るからさ、そういうもんでしょ。それにしてもさ、全然変わらないね。ここ」

「変わらないよ。ところで、なんでここに来たの?」

「俺、今年で成人してさ。たまたまここを通ったから挨拶したくて」

「そっか。おめでとう」


 おばちゃんの一言に私の頬が緩む。


「せっかくだし、なんか買っていくよ。お酒とかある?」

「あるよ」


 私は冷蔵庫にあるチューハイ缶をいくつか手に取ってレジに置く。


「まだやってるって思ってもなかった。ここも長いねぇ。ねぇ、おばちゃん」

「何?」

「おばちゃんって、ここでずーっと駄菓子屋やってたじゃん。印象に残った子供っていたの?」

「あ~……結構いるねぇ。悪ガキもたくさんいたから」

「はははっ、それは~……そうかもねぇ」

「──そういえばね」


 おばちゃんは静かに話し出す。


「むかーしにね、……何年生だろ? 一か二ぐらいの子が来たのよ。その子がね、お菓子を買おうとしててね。出したお金が五円玉だったのよ」

「……へぇ~」

「だからアタシ、言ったのよ。『これは五円玉で五十円じゃない』って」

「あ~……、穴が開いているから勘違いしたってこと?」

「多分ね。その子ね、結局何も買えなくてそのまま帰っちゃった。ちょっと悲しくなっちゃったけど、でも仕方ないよね」


 目の奥で熱が広がる。


「そうだね。これ、全部でいくら?」


 何かが零れる前に私は話しかけて会計を済ませた。

 

「はい」


 おばちゃんは丁寧にお酒をレジ袋に入れて渡してくれる。


「どうも。おばちゃん、ありがとうね」

「どういたしまして」

「じゃあ、また」


 別れの挨拶を済まし、店を出て原付にエンジンをかける。

 私の思い出は楽しいことよりも嫌なことの記憶が多い。

 思い出す記憶は辛くて、強引に蓋をしている。

 だけどおばちゃんはあの出来事を覚えていてくれた。

 その子が私だと気が付いていないかもしれない。

 それでも、褪せて濁った思い出が少しだけ鮮やかになった気がした。

 

 二月の終わり。少し肌寒い、曇り日のことだった。

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