第1話:始まりの日(1/6)~異変の前触れ~

『負けたんだ。"俺"は』

冷たく、そして悔しさと諦めを含んだ言葉が頭の中に響いた瞬間に、視界が暗転する。全身を打ち抜くような痛み、胸にぽっかりと穴が開いたような虚脱感。頭が締め付けられるように痛い。そして……

「―――っ!!」

呻くような声と共に佐神開斗(さがみかいと)の意識は現実に引き戻された。気付けば上体を起こしている。喉がからからで、息が浅くて、苦しい。

はぁ、はぁ、と自らの荒い吐息の音がやけに大きく聞こえた。


「う……」

額に手を当てたら汗でべっとりと濡れている。額だけじゃない、首筋も背中も胸も、体中がぐっしょりと汗にまみれでシャツが体に張り付いている。全身がじめじめして気持ち悪い。

顔を上げて掛け時計を見るとまだ朝の6時位だ。目覚ましをセットしていた時間より随分早い。カーテンの隙間から差し込んでくる陽の光は、普段よりも妙に眩しく感じたけれど……同時に、妙に暖かくて、心地よかった。どんよりと混濁していた気分はちょっとだけ和らいだかもしれない。


視線を左右に巡らせる、壁には天体図のポスターが2枚。一つはいくつもの銀河団や星雲が描画されている宇宙を示したものと、もうひとつは太陽系の様子を収めた図だ。宇宙物理学者だった父の生前の勤め先から送られてきたもので、眺めてるだけで胸のざわつきも少しは安らぐような気がした。



棚には漫画や宇宙・科学関連の雑誌や書籍、他には実在のロケットや宇宙ステーション、映画やアニメに出てくる宇宙船の模型が飾ってある。

あの悪夢の中で空を占拠していたような殺戮兵器なんかじゃない、人類の平和と発展の為に使われる科学技術。父も母も、そんな"人類の叡智"を前向きに信じていたし、開斗自身も今でもそれを信じている。この世界には色々と難しい問題が山積みだけど、人と世界の未来はきっと明るいのだろうと、そう思っていた。


机の上には作りかけのロボットのプラモデルと閉じたノート、伏せたままのペン。その脇のフォトフレームに収められている写真の中では父と母と妹が笑顔を浮かべている、開斗が撮ったものだ。

すうっ、と息を吸って、吐いて、深呼吸。大丈夫だ、ここはいつも通りの世界だ。さっきのアレはただの悪い夢、この世界には何の関係もない。

「体、拭かなきゃ……」

まだ離れない悪夢の残滓を払うように頭を振って、開斗はベッドから降り洗面所へと向かっていった。



体を拭いて着替えた後、朝食のトーストを頬張りながら、誰もいないリビングのソファーにもたれかかってぼうっとしていた。早く起きすぎてしまった。まだ登校する時間でもない。起床直後の最悪すぎる気分は和らいだものの、もやもやとした気分は残っていた。


テレビを点ける、こういう時の適当な時間には毒にも薬にもならない朝番組がちょうど良いだろう。……と思っていた。しかし……

「うぇぇ……」

画面に映っていた番組内容は、「夢と深層心理」の特集。まるで開斗の今の気分を狙い済ましたかのようだった。嫌ならチャンネルを変えればよいのに、しかしどうしても気になるところもあって、つい見入ってしまう。

ストレスだの、脳内の整理だの、願望だの――聞き覚えのある言葉を、それらしく飾って並べているだけだったのだが、それが今の開斗にはかなり効いてしまっていた。


「願望……深層心理、かぁ……」

「はぁ……」

「最悪だ……」

真に受ける必要なんてないだろうとか自分に言い聞かせながらも、愚痴っぽい言葉が次から次へと口をついて飛び出てしまう。あの夢を見たのは今日だけじゃない、「焦土と化した世界」「殺されていく人々」そして「自分が彼女と戦い、殺める」あとついでに「ものっすごく酷く罵倒される」というのもあった。

―――細部は違えどここ数日、毎晩見せられる。その中でも今日の「夢」はまだ鮮明に、生々しく頭の中に残っていた。彼女の胸を貫いた生々しい腕の感触も、最後に自分に向けた、笑っているみたいで、泣き出しそうにも見えたあの表情も……。肌も目も異形と化して、少し大人びていたけれどその顔は"僕の知っている誰か”に、ひどく似ていた。


―――幼馴染だった、風露星華(かざつゆせいか)。

「あんな夢……星華ちゃんの事、本当はどう思ってるんだよ、僕……」

明るくて、強くて、何でもできて、皆に好かれて慕われている、輪の中心にいるような子だ。昔は仲が良かったけれど……自分なんかとは住む世界の違う人だ。そう考えてしまうくらいの「距離」を感じているのは確かだ。

だけど、殺したいほど憎んでいるとか、彼女が実はあんな事をするような酷い人間だと考えているとか……深層でも自分がそんな事を考えているとは思いたくはなかった。


『夢なんかじゃない……あれはいずれ起こる”現実”だ』

「えっ……?」

自己嫌悪に沈んでいると、声が頭の中に割り込んでくる。さっきの夢の最後で聞こえてきたのと同じ声だ。無意識のうちに背筋が冷えた。テレビの音が一瞬遠のいたような気がする。この声を聞くのは今日が初めてじゃない、あの夢を見るようになってから、何度かこうして頭の奥に響いてきたやつだった。



「――本日未明、またも原因不明の暴走事故が発生しました」

考え事をしているうちに番組のコーナーがニュースに切り替わった事なんて、意識の外側の出来事だ。

「事故を起こした車両のデータログには、ブレーキを最大限踏み込んだ記録があるものの、車両は加速を続けていたとのことです。同様に『アクセルを踏んでいないのに加速した』『ブレーキを踏んだのに反応しない』等、EDRに記録されている操作ログ上ではドライバーが適正な操作を行っていたにも関わらず、車両が異常な挙動を示す現象が、車両及び内蔵電子機器のメーカー問わず発生しているのがこの数日で複数件確認されています。警察は、未知の自然現象や悪意を持った何者かの干渉による可能性も視野に入れ――」

など不穏な単語を並べたてるアナウンサーの言葉は開斗の意識には入ってきていなかった。



家から出れば冬の朝の冷気が頬を刺す。一呼吸するだけで胸の奥の体温まで奪われていくようだ。けれど、混濁した気分がいくらかは晴れていくような気がして、不思議な心地の良さを感じさせる冷たさだった。

いつも通りの朝の通学路、ごく普通の住宅街の光景だ。元気そうに街路樹の周りではしゃぐ小学生達。遅刻しそうなのか顔を青くし必死に走るスーツ姿の社会人。自転車のチャイルドシートに幼児を載せて走らせる親の人。コンビニの中から自分と同じ制服の学生達が出てくるのも見えた。


本当にいつもと変わらない、ありふれた光景……だけど、こんな光景がいつまでも続いてほしいと、今日は本当に、心からそう願ってしまう。


(やっぱり……あの夢に引きずられてるなー……)

普段よりも相当感傷的になっているのを自覚しながら、開斗は目線を上向かせる。青く澄んだ空や薄い白い雲がよく見える。

あの夢の濁った血の様な焼け焦げた空とは大違いだ。あの夢の世界は風景だけじゃなくて音までもが死んでいた。命を示す音なんて何一つ存在していなかった。

今自分のいる「ここ」は違う。―――鳥の鳴き声や風の音、行きかう人々、通りがかる人たちの騒がしい声や生活音、自動ドアの開閉音や犬が吠える声に走り行く車の音までもが、「生きている世界の音」として心地よく聞こえる。ずっとこうであればいいのに、とまた思う一方で、やはり感傷的過ぎるよな……とも思うのだった。


ただ一方で―――"こんな当たり前のような平和な日々は、人の長い歴史の上でも、今現在のこの地球上という世界の中でも、容易には成立しえない奇跡だ"―――なんていう「お行儀の良い正しい見方」というものが理屈としては正しいという事も開斗は理解はしていた。だから―――


(こういうのを有難がるっていうのは……悪いことじゃないよね)

と、少しだけ思いを巡らせた開斗は、そういう結論に達した。頭の中に声が響いたのはその直後だったろうか。

『そうだ。こんな毎日こそが、かけがえのない大切なものだった。ずっと、ずっと続いてほしかったんだ……』

「声」が頭の中に響いてくる。いつもと違って、どこか寂しそうで悔しそうで、泣きそうで。前からわけのわからない事ばかり言ってきたこの「声」は、今回ばかりは自分の気持ちとそう変わらない事を言ってくれたように感じて、悪い気はしなかった。



「あ……」

歩みを進めながら、その視線は斜め前に吸い寄せられる。少し離れたところを歩いてる女子生徒のグループだ。通学中の学生の姿が散見される中で、その一角は周囲に比べても明るい空気に満ちていた―――ように、開斗には思えた。

行儀よく、広がらず纏まっているのに、楽しそうで、華やかで……。その中心にいるのが風露星華だ。屈託なく笑い、友達の肩を軽く叩いて、軽く叩かれ、また笑う。柔らかに、でもきらびやかにも感じる。少し茶色がかった長い黒髪でさえ輝いて見える。彼女が誰からも好かれていて皆の事を好きでいるような子だというのは少し離れた所から見てるだけでも分かるだろうと開斗は思う。


一瞬、夢の中の"彼女"の事が頭をよぎった。彼女が平気で人を傷つけ大勢の命を奪って世界を滅ぼす?なんという馬鹿げた夢だ。そんな寝ぼけた事を言うような愚か者は死んだ方が良いんじゃないか?などという過激すぎる感情さえ自己嫌悪交じりに頭の中に生まれてしまう。

『むぅ……』

あの「声」がまた聞こえてきたような気がする。今度は何を言っていたのかわからない、小さく、力なく唸っていた……ような気がした。 


歩調を緩めて距離をとる。

あんな夢を見てしまったという事もあるけれど、それを抜きにしても、自分は彼女に対して「壁」を感じていて、近づくのには気が引けた。

少しだけ晴れていた気分をまたもや濁らせながら、自然に人の流れへ紛れる。学校が見えてきた。ここの信号のついた横断歩道は、通勤・通学の時間帯は人でごった返す。列の後ろのほうに並べば彼女たちに気付かれることはないだろう。


赤信号で待ちながらぼんやりと、行きかう車を眺める。その走行音を聞いているうちに、今朝垂れ流していたテレビのニュースが頭の中によみがえってくる。

『――本日未明、またも原因不明の暴走事故が発生しました』

あの時は考え事をしていてよく聞いていなかったけど、運転ミスや整備不良や車の欠陥でもなく未知の何かの原因で……とかいう単語が出てきたような記憶はある。いや、考えすぎだ、もしそうだとしても今ここでなんてありえない、と思う。

だけど、なんだか、理由も根拠もないのに悪寒にも似た嫌な予感を感じてしまう。反射的に悪寒で震えていたことを開斗は自覚できていなかった。ただ、胸騒ぎだけがどんどん強くなってきていた。



エンジン音やモーター音、排気音やタイヤがアスファルトを噛む音。つい先ほどは"平和な日常を象徴するような音"と心地よく感じていたそれらの音が、今はやけに不安を掻きたてる。交差する車線の信号が黄色、そして赤へと変わり、車列がスピードを緩め、停止。ほどなくして、目の前の歩行者用信号も青に切り替わった。

周りの人たちは一斉に動き始め、人の列が横断歩道に流れ込む。先頭の方では子供が元気そうに母親から離れて駆け出していったのも見える。嫌な予感に苛まれつつも、目の前のそんな光景を微笑ましく思いながら、人の流れに合わせる様に開斗も足を一歩踏み出した。その瞬間―――


『止まれ!左から暴走車が来る。周りにもそう伝えるんだ』

頭の中であの「声」が響く、いつもよりもさらに硬くて重いトーン。切迫した真剣さに動かされて、反射的に開斗は指示された方向に目を向けた。

左側、車線の奥、かなり遠くの方に向けて目を凝らす。―――悪寒が走る、一瞬で確信させられた。追い越し車線上の白いワゴン車が猛烈な勢いで迫ってくる。赤信号で他の車が止まっているのは一目瞭然のはずなのに、速度もそうだが追い越し車線を走ってる事自体が明らかに異常だ。

「原因不明の暴走事故」「ドライバーの操作を受け付けない」さっきから気にしていたあのニュースの文言が頭の中でフラッシュバックされていく。

(本当にここで……)

一瞬の思考と同時に、足を止めて前を見る。無数の足音はそのまま。他の歩行者達は皆、変わらない空気、変わらない様子で歩みを進めている。楽しげに談笑している星華達も、小さな歩幅で走る最前のあの子も……。


―――まずい、自分以外誰も気付いていない!


血の気が引く、顔が青ざめる。悪寒が走る。心臓を鷲づかみにされたように体が強張る。一瞬大きく息を吸って

「渡っちゃ駄目だ!左、暴走車が来てる!!」

今までに出した事のないような大きな声で開斗は絶叫した。とは言え、人がそれを聞いた瞬間に事態を正確に理解して的確に動けるだなんていうのはどだい無理な話だ。


皆が目を丸くして驚愕と困惑の視線を開斗に向ける。あるいは少数の人々は声の直後に開斗の指した方向を見て”それ”気がつき青ざめ、開斗より遅れて同じように叫ぶ。

「本当に来てるぞ!」「戻れ!」

そうして、皆が危険を察したのには少しのタイムラグを要した。悲鳴が連鎖し、人々は半ばパニックになって引き返していく。

だけど―――

「純ちゃん!こっちに!」

(あの子……)

一番前にいたあの子供は気付かずにキョトンとしている。そこから少し離れて母親が叫んでいるけれど、状況がまだ飲み込めてないのだろう。その場で立ち止まっていた。


「くっ…!」

思考よりも先に、開斗の足は地を蹴っていた。間に合うかだなんて考えている暇もない。助けなければ……という思考が付いてきたのは飛びだしていった後だった。

『おい馬鹿!やめろ!』

と声が叫んでくるが無視する。生まれて初めてだっていうくらいに必死で、足を回転させて腕を振り、ただ前に前にと走る。

「純ちゃん!」「君、止めるんだ!」「止まれよ!轢かれるぞ!?」「開斗くん!?」

すれ違う人たちの声が聞こえたような気がした。あの子の母親の声と、知らない声がいくつも、それと聞き覚えのある人の声。

だけどそんな事を認識する余裕もなかった。車は視界に入るくらい、もう間近に来てる。沈み込む車体、強烈な圧力、威圧的な車体、轟音。このままだと2人とも撥ねられる……

(間に合わ……)

『くそっ……えぇい、仕方ない』

全力疾走しながらも絶望的な思考に襲われた……その次の瞬間に、ヤケになったような「声」が聞こえる。

同時に急に体が軽くなったような錯覚を開斗は覚えた。いや、錯覚ではない。足が軽い。視界が妙に澄む。踏み込みが深い。足の裏が強く地を蹴っているのを感じる。走るという行為のための全身の動作が全て噛み合って、無駄な動きがそぎ落とされていると自分でも分かる。当たってくる空気の壁が強く、激しくなってる……という事はそれだけ速く走っているという事だろう。

(いける……?)

そして次の瞬間には、自分の体が“自分のものじゃなくなる”感覚を覚えた。それに不快感や戸惑いを覚えず、逆にその感覚に自ら従う。さらに深く踏み込んで、跳躍。至近距離のその子を腕の中に抱きかかえて、地面に落ちながら勢いのまま前に転がっていく。

直後に、すぐ後方を風圧と共に鉄の巨体が通り抜けていった。風圧で飛ばされそうになるくらいの至近距離。本当にギリギリだったろう。


(助かった……)

転がりながら、だけど腕の中の命も、自分自身も助かったことに一瞬の安堵の気持ちを覚えた。その瞬間だった。ガンッ!と鈍く大きい激突音が頭の中に響く。激痛に頭を貫かれるのと、視界が真っ白に染まったのはほぼ同時だった。意識が急激に薄れていく。

(信号機の柱……)

「―――!」「―――!―――!!」

安心して油断して、判断が遅れた。最後に視界にはいったアレにぶつかってしまったんだろう。腕の中にある男の子の声も意識から遠ざかっていく。

他の誰かの声も近くから聞こえてきたような気がした。すごく切迫した声だ、彼の親の声だろうか。この子を助けられたのか、ならよかった……。

もう一つの声は知っている誰かの声、僕の事を呼んでいるのだろうか?そんな事を考えた瞬間、佐神開斗の意識は完全に途絶えてしまった。

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