第26話
「却下です。却下。これも却下!」
ガルガディア辺境伯邸の執務室に、私の冷徹な声が響き渡る。
机の上には、結婚式の見積書が山のように積まれていた。
「セバスチャン、この『バージンロード用・最高級薔薇の花びら(一万枚)』とは何ですか? 踏んで歩くだけのものに金貨一〇〇枚? 正気ですか?」
「で、ですが奥様! 一生に一度の晴れ舞台ですぞ! 薔薇の絨毯は貴族の憧れ……」
「機能性を無視しています。薔薇の棘で怪我をするリスクがあるし、ドレスの裾が汚れます。代案として『色紙を細かく切ったもの(古紙リサイクル)』を採用します」
「こ、古紙!? 貧乏くさいですぞ!?」
「『エコ・ウェディング』という新しいトレンドです。次、ウェディングケーキ。『高さ五メートルの生クリームタワー』……倒壊したら大惨事です。耐震構造計算書はありますか?」
「ケーキに耐震構造!?」
「ないのであれば却下。代わりに、我が領地特産の『魔王饅頭』をピラミッド状に積み上げた『魔王タワー』に変更します。これなら崩れても一個単位で配れますし、宣伝にもなります」
「ちゃ、茶色い! 結婚式が茶色くなりますぞ!」
私は赤ペンで見積書を次々と斬り捨てていく。
私の辞書に「浪費」という文字はない。
たとえ費用が国庫負担(王家の奢り)だとしても、無駄金を使うことは私の美学に反するのだ。
「……ユエン」
向かいの席で、アレクセイ様が困り顔で座っていた。
「そんなに切り詰めなくてもいいんじゃないか? 陛下も『好きなだけ使え』と言っていたし……」
「閣下。タダより高いものはありません」
私は眼鏡を光らせた。
「王家が金を出すということは、それに見合う『政治的パフォーマンス』を求めているということです。あまりに豪華すぎれば、国民から『税金の無駄遣いだ』と反感を買うリスクがあります」
「……なるほど。そこまで考えているのか」
「はい。目指すは『質素だが心温まる、地に足のついた式』。これが好感度アップの秘訣です」
私は電卓を叩き、最終的な予算案を弾き出した。
「総額、当初見積もりの八〇パーセントカット(削減)。浮いた分は、領地の『道路舗装工事』に回します」
「結婚式の費用で道路を作る気か!?」
「愛の架け橋(物理)です」
アレクセイ様は天を仰ぎ、そして優しく微笑んだ。
「……わかった。お前がそうしたいなら、俺は従うよ。……俺にとっては、お前が隣にいてくれるだけで、どんな宝石よりも豪華だからな」
「……っ」
不意打ちのデレ。
最近、この攻撃に対する防御力が低下している気がする。
「……こ、言葉で誤魔化そうとしても無駄です。ドレスもレンタルで済ませますからね!」
数日後。王都の衣装部屋にて。
「嫌です! 絶対に着ません!」
私は試着室の中で抵抗していた。
「お嬢様、往生際が悪いです! 陛下からのプレゼントなんですから、着てください!」
マリーとミナ様が、二人がかりで私に何かを着せようとしている。
「このフリフリ! レース! そして背中の露出! 防御力が低すぎます! もっと機能的な、ポケット付きのパンツスーツとかないんですか!?」
「結婚式にポケットはいりません! 電卓を隠し持とうとしないでください!」
「くっ……離しなさい! 私は合理的精神の塊……」
「観念なさい、お嬢様! えいっ!」
スポッ。
「あ……」
強制的に着せられたのは、純白のウェディングドレスだった。
最高級のシルク。
繊細なレースがあしらわれ、長いトレーンが床に広がる。
コルセットで締め上げられたウエストから、ふわりと広がるスカート。
鏡の中の私は、いつもの「仕事の鬼」ではなく、どこにでもいる花嫁のように見えた。
「……うわぁ」
ミナ様がため息をついた。
「悔しいけど、似合うわね。……やっぱり素材(顔)はいいのよね、お姉様」
「……動きにくいです。歩行速度が三〇パーセント低下します」
私が文句を言っていると、カーテンが開いた。
「……ユエン、着替えは終わったか?」
タキシード姿のアレクセイ様が入ってきた。
そして、私を見た瞬間、彼は石像のように固まった。
「…………」
「……変ですか? やはり、こんなヒラヒラした布切れは、私には不釣り合いで……」
「……天使か?」
「はい?」
アレクセイ様は、夢遊病者のようにふらふらと近づいてきた。
「なんだこれは……。光り輝いている……。後光が見える……」
「照明のせいです。LED(魔石ライト)の配置が絶妙なのでしょう」
「違う。……お前だ」
彼は私の手を取り、震える声で言った。
「美しい。……言葉にならないほど」
その瞳が、熱っぽく潤んでいる。
演技やお世辞ではない、本心からの賛辞。
私は顔がカァッと熱くなるのを感じた。
「……そ、そうですか。では、採用(このドレスで決定)とします」
「ああ。……早く、世界中に見せびらかしたい」
彼は私の手を離さず、そのまま頬ずりをした。
「俺の妻は、世界一だ」
……完敗だ。
この男の直球な愛の前では、私のコストカット精神など、風前の灯火だった。
そして、結婚式当日。
王都の大聖堂は、前代未聞の熱気に包まれていた。
「すごい人だ……」
控室の窓から外を見て、アレクセイ様が呟く。
大聖堂の前の広場には、貴族だけでなく、平民たちも押し寄せていた。
『魔王様万歳!』『ユエン様万歳!』と書かれた横断幕。
そして、全員の手には『紅白魔王饅頭』が握られている。
結局、私の「地味婚」計画は、周囲の暴走によって粉砕された。
陛下が「国の威信がかかっている」と予算を倍増させ、ミナ様が「世紀のショーにする」と宣伝カーを走らせ、セバスチャンが「薔薇がダメなら金粉を撒きましょう」と謎の代案を実行した結果。
史上最高に派手で、カオスな結婚式になってしまったのだ。
「……計算外です」
私は純白のドレスに身を包み、深呼吸をした。
「リスク管理が甘かったようですね。群集事故が起きないか心配です」
「大丈夫だ。警備には俺の部下(元盗賊含む)を配置している」
アレクセイ様が、私の隣に立つ。
漆黒のタキシードが、彼の大きな体をより逞しく見せている。
「行くぞ、ユエン。……覚悟はいいか?」
「覚悟? ビジネスに覚悟は不要です。必要なのは準備と戦略だけ」
私は震える手で、彼の手を取った。
「……ですが、今日だけは。貴方にエスコート(リード)を任せます」
「任された」
重厚な扉が開く。
パイプオルガンの荘厳な音色。
ステンドグラスから降り注ぐ光。
そして、数千人の参列者からの視線と拍手。
私たちは、長いバージンロードを歩き出した。
一歩、また一歩。
足元の絨毯は、結局セバスチャンが押し切った真紅の薔薇だった。
(……歩きにくい。ヒールが埋まります)
私がバランスを崩しかけると、すかさずアレクセイ様が支えてくれる。
「大丈夫か?」
「……減点一です。エスコートがぎこちない」
「善処する」
祭壇の前には、ニコニコ顔の国王陛下と、号泣しているミナ様(と、その彼氏の副団長)が見えた。
神父様が咳払いをする。
「新郎、アレクセイ・ガルガディア。汝、健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時も……」
「誓います」
アレクセイ様は、食い気味に即答した。
「どんな時も、俺の命ある限り、彼女を愛し抜くことを誓います」
力強く、迷いのない声。
会場から溜息が漏れる。
「新婦、ユエン・ヴァーミリオン。汝……」
「誓います」
私も負けじと答えた。
「ただし、貧しき時は全力で黒字化し、病める時は即座に専門医を手配し、富める時は適切な資産運用を行うことを条件に、彼を支えることを誓います」
「……えっ?」
神父様が固まった。
会場がざわつく。
「あはは! お姉様らしい!」
ミナ様が爆笑し、それが呼び水となって、会場中が温かい笑いに包まれた。
アレクセイ様も、肩を震わせて笑っている。
「……最高の誓いだ」
彼はベールを上げ、私の顔を覗き込んだ。
「では、契約の履行(キス)を」
「……大勢の前ですよ。恥ずかしくないのですか?」
「見せつけてやろう。俺たちが、世界一幸せな『共犯者』だってことを」
彼は私の腰を引き寄せ、強引に唇を塞いだ。
長く、熱いキス。
カメラのフラッシュ(魔導具)が一斉に焚かれる。
私の頭の中の計算機が、エラーを起こして停止した。
(……ああ、もう。どうにでもなれ)
私は彼の首に腕を回し、背伸びをして応えた。
コスト? 利益?
そんなものはどうでもいい。
今この瞬間、私が感じているこの「幸福感」は、どんな数字でも表せない、プライスレスな資産だ。
「おめでとう!!」
歓声の中、私たちは振り返った。
空からは花びらと、なぜか金色の紙吹雪(セバスチャンの仕業だ)が舞い降りる。
「……派手ですね」
「ああ。でも、悪くない」
私たちは顔を見合わせて笑った。
こうして、私たちの結婚式は、予算オーバー確実の、しかし最高に幸せな大団円を迎えた。
だが。
本当の戦いは、ここからだった。
披露宴が終わり、二次会が終わり、ようやく二人きりになれる夜。
ホテルのスイートルーム(王家の奢り)に入った瞬間、アレクセイ様の雰囲気が変わった。
ガチャリ。
彼が鍵をかけ、ゆっくりと振り返る。
その目は、昼間の優しい夫の目ではなく、獲物を追い詰めた「魔王」の目だった。
「……さて、ユエン」
彼は蝶ネクタイを緩めながら、私に近づいてくる。
「式の間、ずっと我慢していたんだが……」
「な、何でしょうか。精算処理なら明日に……」
「精算? ああ、そうだな」
彼は私を壁際に追い詰め、ドン、と手をついた(壁ドン)。
「未払いの『愛』を……利子をつけて回収させてもらおうか」
「……ひっ」
逃げ場はない。
私は悟った。
今夜こそ、私の「鉄壁の理性」が、完膚なきまでに破壊される夜になるのだと。
(……覚悟を決めましょう。これも契約のうちです)
私は震える足で立ち、精一杯の強がりで彼を見上げた。
「……お手柔らかにお願いします、旦那様」
「約束はできないな」
夜は、まだ始まったばかりだった。
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