第23話
王都の舞踏会から一夜明けた、翌日の午後。
私とアレクセイ様は、再び王城の謁見の間に呼び出されていた。
ただし、昨夜のような煌びやかな雰囲気ではない。
重苦しい沈黙と、張り詰めた緊張感が漂っている。
玉座には、苦渋の表情を浮かべた国王陛下。
そして、私たちの前には――後ろ手に縛られ、衛兵に押さえつけられたジェラルド王太子(元)が跪かされていた。
「……放せ! 僕は王太子だぞ! 無礼者!」
ジェラルド殿下が喚くが、衛兵たちはビクともしない。
その姿は、かつて私を「断罪」した時の彼とは真逆の、あまりにも惨めなものだった。
「静まれ、ジェラルド」
国王陛下の低い声が響く。
「もはや、お前は王太子ではない。……本日未明、王族会議において全会一致で決定した」
陛下は羊皮紙を読み上げた。
「ジェラルド・ウィンザー。貴様を廃嫡とし、王位継承権の全てを剥奪する」
「なっ……!?」
殿下の顔色が失われた。
「ち、父上!? 正気ですか!? たかが婚約破棄くらいで!」
「たかが、ではない!」
陛下が怒鳴りつけた。
「貴様がユエン嬢を追放したことで、国政は停滞し、経済損失は計り知れない額になった! さらに、ガルガディア辺境伯への不当な攻撃、決闘による王家の威信失墜、そして……」
陛下はこめかみを押さえた。
「執務室に大量のカエルを持ち込み、生態研究に没頭して公務を放棄した件。……これが決定打だ」
「そ、それは……カエルは可愛いから……」
「言い訳をするな! 貴様には王としての資質も、責任感も欠落している!」
陛下は冷酷に宣告した。
「よって、貴様を王都から追放する。行き先は、南の果てにある『湿地帯監視所』だ」
「し、湿地帯……?」
「カエルが好きなのだろう? そこで一生、カエルの数を数えて暮らすがいい。二度と王都の土を踏むことは許さん」
それは実質的な流刑宣告だった。
殿下はガクガクと震え、そしてゆっくりと首を回して私を見た。
「……ユエン」
彼は涙目で訴えかけてきた。
「助けてくれ……! 君なら、父上を説得できるだろう? 僕が悪かった! 反省している! だから……!」
縋るような視線。
かつて、私が愛そうと努力し、支えようとした男の成れの果て。
私は静かに彼に近づいた。
アレクセイ様が「危ないぞ」と止めようとしたが、私は「大丈夫です」と微笑んで制した。
殿下の目の前で立ち止まる。
「……ジェラルド様」
「ユエン! ああ、やっぱり君は優しいな! 僕を許して……」
「勘違いしないでください」
私は懐から、一枚の書類を取り出した。
「これは、貴方が湿地帯で生活するための『ライフプラン提案書』です」
「え?」
「湿地帯は高温多湿で、疫病のリスクが高い地域です。そこで生き抜くためには、徹底した衛生管理と、自給自足のスキルが必要です」
私は書類を彼の胸ポケットにねじ込んだ。
「蚊取り線香の作り方から、泥水の濾過方法、そして食用ガエルの調理法まで記載してあります。私の最後の『コンサルティング』です」
「そ、そんな……助けてくれないのか?」
「助ける? なぜ私が『損切り確定した銘柄』に再投資しなければならないのですか?」
私は冷ややかに見下ろした。
「貴方は私の忠告を無視し、ミナ様の警告も無視し、アレクセイ様の忠告も無視しました。その結果が現在の状況(ステータス)です。自業自得(自己責任)ですね」
「ユエン……」
「お元気で。……カエルたちと、幸せな王国を築いてください」
私はスカートの裾をつまみ、優雅に、そして完璧なカーテシーを披露した。
これが、彼への最後の手向け。
そして、永遠の決別だ。
「嫌だぁぁぁ! 行きたくないぃぃ!」
殿下が泣き叫ぶ中、衛兵たちが彼を引きずっていく。
扉の向こうにその声が消えるまで、私は一度も振り返らなかった。
「……終わったな」
アレクセイ様が、そっと私の肩を抱いた。
「はい。完全に精算完了です」
胸の奥にあった小さな棘が、ようやく抜けた気がした。
陛下が玉座から降りてきた。
「……すまなかったな、ユエン嬢。息子が情けないばかりに」
「いいえ、陛下。賢明なご判断(リスクヘッジ)かと存じます」
「うむ。……して、もう一人の『関係者』はどうした?」
陛下が入り口の方を見た。
そこには、ピンク色の髪を揺らす少女――ミナ様が立っていた。
彼女の隣には、なんと長身のイケメン騎士が寄り添っている。
「お呼びですかー、陛下!」
ミナ様が元気に手を挙げた。
「ミナ嬢。……貴様もジェラルドの共犯として、処罰の対象になり得るのだが」
陛下が厳しい目を向ける。
しかし、ミナ様は悪びれもせず、隣の騎士の腕にギュッとしがみついた。
「あら、私は被害者ですよ? あの王太子に騙されて連れてこられただけですもん。ねー、ダーリン?」
「は、はい! 彼女は無実です! 私が保証します!」
隣の騎士が、顔を赤くして叫んだ。
彼は確か、近衛騎士団の副団長……以前、ミナ様が情報を売りつけたあの騎士ではないか。
「……いつの間に?」
私が小声で尋ねると、ミナ様はウインクした。
「ふふん。情報の取引をしてるうちに、なんか意気投合しちゃって。彼、私の話を『うんうん』って聞いてくれるし、お菓子も買ってくれるの! 最高のリサイクル物件よ!」
「リサイクル……」
副団長を物件扱いとは。たくましいにも程がある。
「それにね、彼の実家、南の港町なの! 美味しい魚介類が食べ放題だって! だから私、彼と結婚して南国ライフを満喫することにしたわ!」
ミナ様は幸せそうに笑った。
王太子の婚約者(候補)という地位を捨て、美味しいご飯と優しい男を選んだヒロイン。
ある意味、彼女が一番の勝ち組かもしれない。
「……お前たちらしいな」
陛下も呆れて、苦笑するしかなかった。
「よかろう。ミナ嬢、貴様の罪は不問とする。……若い二人の門出を祝ってやろう」
「やったー! 陛下大好き!」
ミナ様が副団長に抱きつく。
「お幸せに、ミナ様」
私が声をかけると、彼女は振り返り、ニカっと笑った。
「お姉様こそ! 魔王様とお幸せにね! ……あ、新居ができたら遊びに行くから、またあの激辛ラーメン作ってね!」
「……予約制ですよ。料金は時価で」
「ケチ!」
私たちは笑い合った。
かつては恋敵(という設定)だった私たち。
今は、それぞれの幸せを掴んだ「戦友」として、別れの挨拶を交わした。
城を出ると、外は突き抜けるような青空だった。
王都の風が、心地よく頬を撫でる。
「……帰ろうか、ユエン」
アレクセイ様が、馬車の前で手を差し出した。
「はい、あなた」
私は自然とそう呼んでいた。
馬車に乗り込み、窓から遠ざかる王城を見上げる。
あそこで過ごした一八年間。
辛いことも、悔しいこともあった。
でも、その全てが、今の私を作るための「投資期間」だったと思えば、無駄ではなかったのかもしれない。
「……何を考えている?」
向かいの席で、アレクセイ様が聞いてくる。
「これからのことです」
私は手帳を開いた。
「過去の清算は終わりました。これからは未来への投資(インベストメント)のフェーズです」
「未来?」
「はい。まずは結婚式の準備。それから領地の温泉リゾート開発、特産品の販路拡大……やることが山積みです」
私はペンをくるりと回した。
「閣下……いいえ、旦那様。覚悟してくださいね? これからは『二人三脚』です。私のペースについてもらいますよ」
「……望むところだ」
アレクセイ様は、優しく目を細めた。
「お前が描く未来なら、どんなに忙しくても悪くない。……一生、ついていくよ」
「言質、取りました」
私は彼の手帳(私の真似をして持ち歩くようになった)を取り上げ、今の言葉をメモした。
『アレクセイ・ガルガディアは、妻ユエンの描く未来図に全面的に協力し、一生追随することを誓う』
「……サインを」
「今ここでか?」
「当然です。記憶が新鮮なうちに記録に残す。基本です」
彼は苦笑しながら、揺れる馬車の中でサインをした。
これで契約完了。
私たちの馬車は、軽快な音を立てて北へと進む。
荷台には、空になったカエルの置物(ジェラルド殿下に返却した)の代わりに、王家から受け取った莫大な賠償金と、未来への希望が満載されていた。
「……そういえば」
ふと、アレクセイ様が思い出したように言った。
「ん?」
「結婚式の前に……お前に、ちゃんと言葉にしておきたいことがあったんだ」
「言葉?」
「ああ。……今まで、流れや勢いで伝えてきたが、きちんと言っていなかった気がして」
彼は居住まいを正し、真剣な眼差しを私に向けた。
「ユエン。……愛している」
直球。
またしても、予告なしの攻撃だ。
「……知っています」
私は顔が熱くなるのを隠すように、手帳で口元を覆った。
「契約書にも書いてありますし、毎日聞いていますから」
「何度でも言うさ。……お前が照れて赤くなる顔を見るのが、俺の趣味になりつつあるからな」
「……性格が悪くなりましたね、魔王様」
「お前の影響だ」
彼は楽しそうに笑い、私の手を取って引き寄せた。
馬車の中、二人きりの空間。
誰に遠慮することなく、私たちは重なるように寄り添った。
かつて「悪役令嬢」として断罪され、全てを失ったと思ったあの日。
それがまさか、こんな「最高益(ハッピーエンド)」への入り口だったとは。
人生の収支決算は、蓋を開けてみるまでわからないものだ。
「……ねえ、アレクセイ」
「ん?」
「私、今……とっても黒字(しあわせ)です」
「……ああ。俺もだ」
私たちはキスをした。
甘く、長く、そしてこれからの未来を約束するようなキスを。
ざまぁ完了。
過去精算終了。
これより、私たちの物語は「第4章・甘々新婚ライフと領地経営無双編」へと移行する。
……はずだったのだが。
「……閣下、あの山積みになっている書類は何ですか?」
数日後、領地に戻った私を待っていたのは、留守中に溜まりに溜まった決済書類の山と、「お土産話を聞かせろ」と押し寄せる領民たち、そして「温泉が出すぎて村が水没しかけている」という緊急報告だった。
「……前言撤回します」
私は腕まくりをした。
「甘々ライフはお預けです! まずはこのトラブル(案件)を処理しますよ!」
「イエッサー、奥様!」
私たちの忙しくも愛おしい日々は、まだまだ終わりそうになかった。
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