第20話

ガルガディア辺境伯領の朝は早い。


私の「辺境伯夫人(仮)」としての業務は、日の出とともに始まる。


「……気温、氷点下五度。昨夜の降雪量、一五センチ。除雪作業のシフト調整が必要です」


私はベッドの上で起き抜けに呟くと、枕元のメモ帳にペンを走らせた。


隣で寝ていた(※昨夜、寒さを理由に私の部屋に布団を持ち込んできた)アレクセイ様が、むくりと起き上がる。


「……おはよう、ユエン。まだ暗いぞ」


「おはようございます、旦那様。冬の朝は時間との戦いです。二度寝は生産性を下げますよ」


「……厳しいな、俺の奥さんは」


彼は苦笑しながらも、私の額におはようのキスを落とす。


これが最近のルーティンだ。


甘い新婚生活……と言いたいところだが、私たちには新たな「問題」が発生していた。


「お嬢様ー! また来ましたよ! 『面接希望者』が!」


廊下からミナ様の大声が響く。


私は深いため息をついた。


「……またですか。今月で一二件目ですね」


「面接希望者?」


アレクセイ様が首を傾げる。


「はい。正確には『貴女には辺境伯夫人の座は相応しくない、私が代わってあげる』と主張する、自称ライバル令嬢の方々です」


王都での婚約発表以来、アレクセイ様の「隠れファン」や、実家の再興を狙う没落貴族の令嬢たちが、ここ辺境まで押しかけてくるようになったのだ。


かつて「北の魔王」と恐れられた彼だが、私がプロデュースした『魔王饅頭』のヒットにより、「実はイケメンで愛妻家」というプラスの誤解(ブランディング)が広まってしまった弊害である。


「追い返せばいいだろう。俺にはお前以外いらない」


アレクセイ様が不機嫌そうに言う。


「いいえ。門前払いは角が立ちます。それに、もしかしたら『使える人材』がいるかもしれません」


私は着替えを済ませ、眼鏡を装着した。


「適切な選考プロセス(面接)を経て、不採用通知を出す。それが誠実な対応です」


一時間後。


応接室には、三人の令嬢が座っていた。


一人は派手な縦ロール髪の伯爵令嬢。


一人は清楚系を装った男爵令嬢。


もう一人は、どこかの富豪の娘だろうか、全身宝石まみれの令嬢だ。


私が姿を現すと、彼女たちは一斉に敵意のこもった視線を向けてきた。


「あら、あなたがユエン様? 噂通りの地味な方ね」


縦ロール様が扇子を開いて高笑いする。


「アレクセイ様が騙されていると聞いて飛んできましたの。わたくしのような華やかな薔薇こそ、魔王様の隣に相応しいわ!」


「そうですぅ。お料理もお掃除もできないような悪役令嬢には、荷が重いですぅ」


清楚系(仮)が猫なで声で追撃する。


本来なら、ここでお茶をかけられたり、罵り合ったりするのが恋愛小説の定石だろう。


だが、私は無表情でデスクに着き、書類の束をドスンと置いた。


「……え?」


令嬢たちが固まる。


「ようこそ、ガルガディア商会……もとい、辺境伯家へ。本日は『辺境伯夫人枠』の採用面接にお越しいただき、ありがとうございます」


「は? 採用面接……?」


「はい。貴女方は、私からその座を奪いに来たのですよね? つまり、現職(私)よりも高いパフォーマンスを出せると自負されている。ならば、その能力(スペック)を証明していただきます」


私は一番上の紙をめくった。


「まず、書類審査です。こちらの『辺境伯夫人・業務記述書(ジョブディスクリプション)』をご覧ください」


私は分厚い資料を彼女たちに配布した。


そこには、私が普段こなしている業務内容が事細かに記されている。


『・毎朝四時起床。全天候型除雪指揮

・魔物討伐隊への補給物資計算および発注

・領内四八箇所のインフラ点検

・予算委員会での折衝(対・頑固な老人たち)

・アレクセイ閣下のメンタルケア(甘やかし含む)

・魔王饅頭の品質管理および新商品開発……』


令嬢たちが紙を見て、目を白黒させた。


「な、何これ……?」

「朝四時……? パーティーは? お茶会は?」


「そんなものはありません」


私は即答した。


「ここは辺境です。貴族の優雅な生活など存在しません。あるのは『生存競争』と『労働』のみ。夫人はその最前線指揮官です」


私は眼鏡を光らせた。


「では質問します。縦ロール様。貴女は、吹雪の中で三日間野営し、オークの群れに包囲された状態で、兵站(へいたん)を維持できますか?」


「で、できるわけないでしょう! わたくしはドレスを着て微笑むのが仕事よ!」


「不採用(NG)。次、清楚系様。貴女は、魔物の返り血を浴びて帰還した閣下の軍服(血みどろ)を、手洗いで洗濯できますか?」


「ひぃっ! 血!? 無理ですぅ、汚いのは嫌ですぅ!」


「不採用。衛生観念と根性が不足しています。次、富豪様。領地の財政が傾いた際、その身につけている宝石をすべて即金で売却し、肥料代に充てる覚悟はありますか?」


「冗談じゃないわ! これはパパに買ってもらった大事なコレクションよ!」


「不採用。公私の区別がついていません」


私は赤ペンでバツ印をつけ、書類を閉じた。


「残念ながら、全員『能力不足(スキルアンマッチ)』です。即戦力を求めておりますので、お引き取りください」


「な、なによこれ!」


縦ロール様が立ち上がった。


「こんなの詐欺よ! 夫人の仕事じゃないわ、奴隷の仕事よ!」


「いいえ、経営者(パートナー)の仕事です」


私は冷たく言い放った。


「貴女方が求めているのは『辺境伯夫人という肩書き』と『イケメンの夫』だけでしょう? その裏にある責任と激務を背負う覚悟がないなら、閣下の隣に立つ資格はありません」


「ぐぬぬ……!」


「それに」


私は扉の方を向いた。


「面接官は私だけではありません。最終決定権を持つオーナーのご意見も聞いてみましょうか」


ガチャリ。


タイミングよく扉が開き、アレクセイ様が入ってきた。


ちょうど朝の訓練を終えた直後で、汗と土にまみれ、腰には巨大な剣を帯びている。


その背後からは、湯気のように殺気が立ち上っていた。


「……ユエン。終わったか?」


地獄の底から響くような低音。


令嬢たちが「ひぃっ!」と震え上がる。


「本物の魔王だ……!」

「噂より怖い……!」

「目が合っただけで殺されそう!」


アレクセイ様は、震える彼女たちを一瞥もしなかった。


一直線に私の元へ歩み寄ると、ドカッと隣のソファに座り、私の肩に頭を預けた。


「……疲れた」


「お疲れ様です、旦那様」


私は懐からタオルを取り出し、彼の泥だらけの顔を無造作に拭いた。


「今日は早かったですね。魔物は?」


「ああ。北の森でワイバーンが出た。三匹ほど斬ってきた」


「ワイバーンですか。素材(皮)が高く売れますね。解体班を回します」


「頼む。……あと、腹減った。あのラーメン作ってくれ」


「はいはい。でもその前に着替えてください。泥だらけで抱きつかないで」


この日常会話。


しかし、令嬢たちにとっては「異常」な光景だったようだ。


血なまぐさい会話をしながら、魔王の世話を焼く地味な女。


そして、その魔王が、女にだけは甘えた子犬のように懐いている事実。


「……無理」


清楚系様が呟いた。


「あんなの……入り込む隙間がないですぅ……」


「わたくし、ワイバーンなんて見たこともないわ……」


「ていうか、あの二人、空気が重いのよ! ラブラブすぎて酸素が薄いわ!」


令嬢たちは顔を見合わせ、そして一斉に出口へ殺到した。


「失礼しましたー!」

「二度と来ませーん!」

「お幸せにー!」


バタン!


嵐のように去っていくライバルたち。


応接室に静寂が戻る。


「……ふぅ。全員辞退ですね」


私は『不採用通知』の山をゴミ箱に捨てた。


「根性なしばかりで困ります。少しはミナ様を見習ってほしいものです」


「あいつを見習われたら、屋敷が崩壊する」


アレクセイ様が苦笑して、顔を上げた。


「……しかし、ユエン。お前、あんな条件を突きつけていたのか」


「事実ですから」


「……よく、逃げ出さないな。お前は」


彼は私の手を取り、節くれだった指先を愛おしそうに撫でた。


公爵令嬢だった頃の白魚のような手は、ここ数週間の労働と寒さで、少し荒れてしまっている。


「後悔してないか? こんな……泥臭い生活をさせて」


「今さら何を言っているのですか」


私は彼の手を握り返した。


「後悔? とんでもない。毎日が刺激的で、黒字(成果)が見える生活。これほど充実した日々はありません」


私はニヤリと笑った。


「それに、この『魔王使い』というポジション。独占市場(ブルーオーシャン)ですから、誰にも譲る気はありませんよ」


「……ハハッ、そうか」


アレクセイ様は嬉しそうに笑い、私の手を唇に押し当てた。


「なら、俺も精一杯働くとしよう。……お前という最高の上司に、捨てられないようにな」


「その意気です。では、ラーメンを作りますので、その間に次の書類を決裁してください」


「えっ、休憩なし?」


「ありません。愛と労働はセットです」


私は立ち上がり、厨房へと向かった。


廊下に出ると、ミナ様がニヤニヤして待ち構えていた。


「お疲れー、お姉様。いやー、見事な圧迫面接だったわね」


「適性検査と言ってください」


「で? ライバルはいなくなったわけだけど……実は、もっとヤバイ客が来てるのよ」


ミナ様が声を潜める。


「ヤバイ客?」


「うん。裏口にね……『行商人』を名乗る怪しい男がいるんだけど。……アレクセイの過去を知ってるっぽい口ぶりなの」


私の足が止まった。


アレクセイ様の過去。


そういえば、私は彼のことをまだ詳しくは知らない。


なぜ彼がこれほどまでに強くなり、心を閉ざし、そして「魔王」と呼ばれるようになったのか。


そのルーツ(原因)については、契約書にも書かれていなかった。


「……通してください」


私は眼鏡の位置を直した。


「過去の負債(トラウマ)があるなら、精算する必要があります。……結婚式の前に、すべて綺麗にしておきましょう」


ライバル令嬢などより、よほど厄介な案件の匂いがした。


だが、今の私には最強のパートナーがいる。


どんな過去が暴かれようと、私が彼を守る。……契約に基づき、全力で。


私はエプロンの紐を締め直し、新たな「戦場」へと足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る