第15話

王都を後にした私たちの馬車は、北への帰路についていた。


行きよりも荷物が増えている。


大量の売上金(金貨)と、ジェラルド殿下が送りつけてきた大量のカエルの置物(産業廃棄物)のせいだ。


馬車が重そうにきしむ中、私は向かいの席に座るミナ様をじっと観察していた。


「……ふふっ、ふふふっ」


ミナ様は窓際で、何やら手紙のようなものを書きながら、不気味に笑っている。


時折、懐から小さな魔導具を取り出し、コソコソと通信しているようだ。


(……怪しい)


私の「リスク管理センサー」が警告音を鳴らした。


彼女は元々、王太子側の人間だ。


昨日は殿下を罵倒していたが、あれが「高度な演技(フェイク)」だったとしたら?


内部情報を収集し、タイミングを見て私たちを裏切り、王家に恩を売って復帰するシナリオも考えられる。


「……ミナ様。何を書いているのですか?」


私が鎌をかけると、彼女はビクッとして手紙を隠した。


「えっ? べ、別になんでもないわよ! 乙女の日記よ、日記!」


「日記にしては、筆圧が強すぎますね。それに、宛名らしきものが見えましたが」


「きのせいよ! あー、お腹空いた! お菓子ないの?」


明らかに動揺している。


隣のアレクセイ様も、不審そうに眉をひそめた。


「……ユエン。あいつ、何か企んでいないか?」


「可能性(プロバビリティ)は五〇パーセント。産業スパイの疑いがあります」


私は小声で答えた。


「泳がせましょう。尻尾を出した瞬間、契約解除および損害賠償請求を行います」


その日の夕方。


私たちは街道沿いの宿場町に到着し、宿をとった。


深夜。


私が寝たふりをしていると、隣のベッドからミナ様がそっと抜け出した。


彼女はパーカーを羽織り、忍び足で部屋を出て行く。


(……行動開始ですね)


私はすぐに跳ね起きた。


「閣下、起きてください。現行犯で押さえます」


隣室のアレクセイ様を叩き起こし、私たちはミナ様の後をつけた。


彼女は宿の裏手、人気のない森の方へと歩いていく。


月明かりの下、そこにはすでに一人の男が待っていた。


深いフードを被っているが、その腰に帯びた剣には、王家の紋章が刻まれている。


間違いなく、王家の使いだ。


「……やはり、通じていたか」


アレクセイ様が剣に手をかける。


「待ってください。会話を録音(記録)します。証拠固めが先です」


私たちは茂みに隠れ、聞き耳を立てた。


「……待っていたぞ、ミナ」


男がフードを取った。


ジェラルド殿下の側近、近衛騎士団の副団長だ。


「はい、これ」


ミナ様は、懐から分厚い封筒を取り出し、騎士に渡した。


「約束のブツよ」


「おお……! かたじけない!」


騎士は封筒の中身を確認し、震える声で言った。


「こ、これで殿下もお喜びになる……!」


「……黒ですね」


私は確信した。


あれは我が軍(ガルガディア商会)の機密情報、あるいは顧客リストに違いない。


「ミナよ。殿下は君の帰りを待っている」


騎士が熱っぽく語りかけた。


「殿下は仰っていた。『ミナの暴言はショックだったが、あれは魔王に脅されて言わされたに違いない』と。君を許す準備はあるそうだ」


「へぇ……」


「さあ、一緒に帰ろう! 今ならまだ間に合う! あの貧乏な辺境伯領など捨てて、煌びやかな王宮へ!」


騎士が手を差し出す。


ミナ様は、その手を見つめて沈黙した。


王宮へ戻れば、贅沢な暮らしが待っている。


ドレスも、宝石も、甘いお菓子も放題だ。


対して、私たちの領地は極寒の田舎。食事は質素(最近は改善されたが)で、労働も求められる。


普通の令嬢なら、どちらを選ぶかは明白だ。


(……裏切りますか、ミナ様)


私が飛び出す準備をした、その時だった。


「……バーカ」


ミナ様が、騎士の手をパシンと叩き落とした。


「は?」


「誰が戻るか、そんなブラック職場!」


ミナ様は腕組みをして、騎士を睨みつけた。


「王宮? 贅沢? 笑わせないでよ。あそこじゃ、私はただの『可愛くて都合のいい人形』でしょ? ニコニコして、殿下の機嫌を取って、中身のない会話に付き合わされて……飽き飽きなのよ!」


「ミ、ミナ……?」


「それに比べて、こっちは刺激的よ!」


彼女は目を輝かせた。


「ユエンお姉様を見てみなさいよ! あんなに堂々と、自分の力で金を稼いで、魔王まで手懐けて! 毎日がお祭り騒ぎじゃない!」


「だ、だが、辺境は貧しいだろう?」


「貧しい? これから富むのよ! 私には見えるわ、あの領地がドル箱に化ける未来が! 私はそこに『初期投資』してるの!」


なんと。


彼女は私以上に、ビジネスライクな視点を持っていたらしい。


「それにね……ここのご飯の方が、美味しいのよ」


ミナ様はふふんと笑った。


「アレクセイの作るラーメンも、お姉様が開発した謎の激辛料理も……王宮の冷めたフランス料理より、ずっと魂が震える味がするの」


「そ、そんな馬鹿な……」


「というわけで、帰る気はないわ。……あ、でも商売は別よ」


ミナ様は騎士に手のひらを差し出した。


「代金、ちょうだい」


「うっ……わかっている」


騎士は懐から、重そうな革袋を取り出し、ミナ様に渡した。


チャリン、と硬貨の音がする。


「確かに。……また『ネタ』が入ったら連絡するわ」


「頼む。殿下は君の情報だけが頼みの綱なのだ……」


騎士は肩を落とし、トボトボと闇に消えていった。


取引終了。


ミナ様が革袋を重そうに振って、「よしっ!」とガッツポーズをした瞬間。


「……お疲れ様です、敏腕スパイさん」


私は茂みから姿を現した。


「ひゃああっ!?」


ミナ様が飛び上がった。


「ゆ、ユエンお姉様!? アレクセイも!? い、いつからそこに!?」


「最初からです。……さて、事情聴取を行いましょうか」


私は彼女の手にある革袋と、騎士に渡した封筒の中身について視線を向けた。


「何を売ったのですか? 機密情報なら、契約違反で訴えますが」


「ち、違うわよ! 誤解よ!」


ミナ様は慌てて首を振った。


「私が売ったのは……これよ!」


彼女が見せた控えのメモには、こう書かれていた。


『ジェラルド殿下秘蔵・ポエム集(中二病全開バージョン)の写し』


「……はい?」


私が首を傾げると、彼女は早口で説明した。


「王宮にいた頃、殿下がゴミ箱に捨てた書き損じのポエムを拾ってコレクションしてたのよ! 『漆黒の翼が疼く……』とか書いてあるやつ!」


「……なんと」


「殿下、それを私が持ってるって知って、騎士を使って『買い戻したい』って言ってきたのよ。だから高値で売りつけてやったの!」


私はアレクセイ様と顔を見合わせた。


アレクセイ様は、憐れむような目で天を仰いだ。


「……ジェラルド、お前……」


「さらに!」


ミナ様は得意げに続けた。


「追加オプションとして、『ユエンお姉様の近況レポート(フェイク)』も売ってあげたわ。『ユエン様は毎晩、殿下の名前を呼んで泣いています』って嘘八百を書いてね!」


「……捏造報道ですね」


「だって、そう書いた方が高く売れるんだもん! あの王子、そういう『可哀想な元婚約者』の妄想が大好物だから!」


ミナ様は革袋を抱きしめた。


「見てよ、この金貨! これ全部、私の売上! あいつの小遣い、巻き上げてやったわ!」


……恐ろしい。


この子は、天然のようでいて、誰よりも強かだ。


王太子の未練心と羞恥心を巧みに利用し、現金化する錬金術(ビジネスモデル)を確立している。


「……採用(ハイア)して正解でしたね」


私は眼鏡を押し上げた。


「貴女のその『クズ男に対する容赦のなさ』と『商魂』、高く評価します」


「でしょ? 褒めていいわよ!」


「ですが、情報の独占販売は禁止です。売上の一部は、場所代(ショバ代)として商会に納めてもらいます。二割でどうですか?」


「えーっ!? ケチ! 一割にしてよ!」


「一・五割で手を打ちましょう。その代わり、殿下のポエム集の『続編』が入手できたら、出版権を認めます」


「商談成立!」


私たちはガッチリと握手を交わした。


その様子を見ていたアレクセイ様は、深いため息をついた。


「……お前たち、本当に似た者同士だな」


「心外です。私は合理的、彼女は享楽的です」


「どっちも『金と食い気』じゃないか」


彼は呆れつつも、どこか楽しそうに笑った。


「まあいい。……裏切り者がいなくて、安心した」


彼は大きな手で、私とミナ様の頭をポンポンと撫でた。


「帰ろう。夜風が冷える」


「あ、待ってアレクセイ! お腹空いた!」


ミナ様が甘えた声を出す。


「さっき『魂が震える味』とか言ってたし、何か作ってよ!」


「……ラーメンの材料はないぞ」


「えーっ! じゃあ、あのカエルの置物を煮込んで出汁をとるとか……」


「それはやめろ。呪われる」


私たちは騒がしく笑いながら、宿へと戻った。


月明かりが、凸凹トリオの影を長く伸ばしていた。


疑いは晴れた。


それどころか、ミナ様という存在は、私たちのチームにとって不可欠な「化学反応(スパイス)」をもたらしてくれることが証明された。


彼女がいれば、退屈な辺境生活も、きっと騒がしく、そして利益率の高いものになるだろう。


翌日。


馬車は再び走り出す。


荷台には、ミナ様が手に入れた金貨袋が追加され、さらに重量を増していた。


「……重いですね」


「幸せの重みよ、お姉様!」


私たちは顔を見合わせて笑った。


目指すガルガディア領まで、あと少し。


そこでは、留守を預かる家令のセバスチャンたちが、私たちの帰還を首を長くして待っているはずだ。


そして、彼らが想像もしないような「お土産(カエルと、ミナ様と、大量の業務改善命令)」を持ち帰る私たちが、どんな反応をされるのか。


今から楽しみで仕方がない。


(さあ、ラストスパートです。帰ったら、すぐに『温泉リゾート開発』に着手しますよ!)


私は手帳を開き、新たな事業計画を書き込み始めた。

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