第14話

物産展での騒動から一夜明けた、翌朝。


私たちは撤収作業の真っ最中だった。


「お嬢様、見てください! 『魔王饅頭』の追加注文が止まりません! 予約だけで三ヶ月待ちです!」


マリーが注文書の束を抱えて悲鳴を上げる。


「よろしい。前金制にしてキャッシュフローを安定させなさい。キャンセル料は一〇〇パーセントと明記するのを忘れずに」


私は指示を飛ばしながら、空になったセイロを馬車に積み込んでいた。


昨日のジェラルド殿下の醜態は、またたく間に王都中に広まった。


『カエルの王子様』という不名誉なあだ名と共に。


おかげで、私たちのブースは「王子を撃退した聖地」として崇められ、もはや宗教的な熱狂すら帯びていた。


「……これで、心置きなく辺境に帰れるな」


アレクセイ様が、重たい荷物を軽々と持ち上げながら呟く。


「はい。目標利益も達成しましたし、殿下への精神的報復(リベンジ)も完了しました。これ以上の長居はコストの無駄です」


「ああ。……早く帰ろう。俺たちの家に」


彼が優しく微笑んだ、その時だった。


「待てぇぇぇい!!」


聞き覚えのある、ヒステリックな声が響いた。


またか。


私はうんざりして振り返る。


そこには、全身を黄金の鎧(フルプレートアーマー)で固めた、ジェラルド殿下の姿があった。


昨日のボロボロの姿とは一転、無駄に輝いている。


背後には、やはり完全武装の近衛騎士団が控えていた。


「……またですか、殿下。しつこい男は嫌われますよ。統計的に」


「うるさい! 昨日は不覚を取ったが、今日はそうはいかん!」


殿下はガチャガチャと金属音を立てて歩み寄り、剣を抜いてアレクセイ様に突きつけた。


「北の魔王、アレクセイ! 貴様に決闘を申し込む!」


「……決闘?」


アレクセイ様が眉をひそめる。


「そうだ! 騎士としての正々堂々たる一騎打ちだ! 僕が勝ったら、ユエンを返してもらう! 貴様が負けたら……即座に国外退去しろ!」


「……バカバカしい」


私が割って入った。


「殿下、今は忙しいんです。それに、勝ったら私を返す? 私は商品ではありません。所有権は私自身にあります」


「黙っていろユエン! これは男同士のプライドを賭けた戦いだ!」


殿下は聞く耳を持たない。


「逃げるのか、魔王! 『最強』の名が泣くぞ!」


安っぽい挑発だ。


アレクセイ様なら、こんなもの無視するだろう。


そう思って彼を見ると、意外なことに、彼は静かに剣の柄に手をかけていた。


「……いいだろう」


「閣下!?」


私は驚いて彼を見た。


「受けるのですか? 時間の無駄です。時給換算で大赤字ですよ」


「いや、ユエン。……これは必要なコストだ」


アレクセイ様は、真っ直ぐに殿下を見据えた。


「あいつは、力で示さなければ理解しない。……それに、お前を『賭けの対象』にされたままでは、俺の気が済まない」


彼は私の方を向き、不器用に笑った。


「心配するな。……三分で終わらせる」


その瞳には、絶対的な自信と、私への深い執着(愛着?)が宿っていた。


私はため息をついた。


こうなったら、もう止められない。男という生き物は、時々こうやって非合理な行動に走る。


ならば。


(……転んでもタダでは起きませんよ)


私は眼鏡をクイッと上げた。


「わかりました。決闘を許可します。ただし!」


私は大声で宣言した。


「場所はここ、中央広場! そして、ただの喧嘩ではありません! 『王太子殿下vs北の魔王・世紀のドリームマッチ』として興行(イベント)化します!」


「は?」


殿下とアレクセイ様の声が重なった。


私はマリーとミナ様に目配せした。


「二人とも、準備して! 即席のリングを作って! 観客から入場料を徴収するのよ! 大人銀貨一枚、子供は半額! 賭け(ブックメーカー)も胴元として仕切ります!」


「了解ですお嬢様!」

「任せて! 客寄せなら得意よ!」


あっという間に、広場は特設闘技場へと変貌した。


「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! あのカエル王子が、魔王様に挑むよー!」


「王太子の公開処刑……じゃなくて、名勝負が見られるのは今だけ!」


ミナ様の呼び込みで、撤収作業中だった他の店主や、買い物客がわっと集まってきた。


「すげえ、マジでやるのか?」

「俺、魔王に賭ける!」

「大穴で王子に……いや、ないな」


飛ぶように売れる観戦チケット。


殿下は顔を真っ赤にして震えていた。


「き、貴様……僕の神聖な決闘を、見世物にする気か!?」


「経費回収です。場所代、人件費、そして私の精神的苦痛に対する慰謝料。これくらい稼がないと割に合いません」


私はリングサイド(蜜柑箱の上)に座り、ゴング代わりのフライパンを構えた。


「それでは、両者構えて!」


リングの中央。


黄金の鎧に身を包んだ殿下と、漆黒の軍服姿のアレクセイ様が対峙する。


見た目の派手さは殿下の圧勝だが、纏っている空気の重さが違う。


アレクセイ様は、剣を抜きもせず、ただ自然体で立っている。


対する殿下は、ガチガチに力が入っていた。


「行くぞ……! 王家の剣技、見せてやる!」


「始め(ファイト)!」


カーン!


私がフライパンを叩いた瞬間、殿下が動いた。


「うおおおおっ! ロイヤル・フラッシュ・スラッシュ!!」


殿下が必殺技の名前(ダサい)を叫びながら突っ込んでくる。


速い。


……いや、素人目には速く見えるだけだ。


軌道が直線的すぎる。


アレクセイ様は、あくびが出そうな顔で、半歩横にずれた。


ブンッ!


殿下の剣が空を切る。


「なっ!?」


勢い余ってつんのめる殿下。


「隙だらけだ」


アレクセイ様がボソッと言って、殿下の背中をトン、と押した。


「うわぁぁぁ!」


殿下はそのまま、顔面から地面にダイブした。


ドシャァッ!


泥の中に突っ込む黄金の鎧。


会場が静まり返り、次の瞬間、爆笑に包まれた。


「あははは! 転んだぞ!」

「自滅かよ!」


「く、くそぉぉぉ!」


殿下は泥まみれになって起き上がり、再び剣を構えた。


「ま、まだだ! 今のは足が滑っただけだ!」


「……往生際の悪い」


アレクセイ様が、ようやく腰の剣を抜いた。


ただし、鞘(さや)に入ったままだ。


「抜かないのか?」


「貴様にはこれで十分だ」


「舐めるなァァァ!」


殿下が再び突撃してくる。今度は乱れ斬りだ。


ブンブンと剣を振り回すが、アレクセイ様は最小限の動きで全て躱(かわ)していく。


まるでダンスでも踊っているようだ。


「ちょこまかと……! 戦え! 正々堂々と!」


「……わかった」


アレクセイ様が足を止めた。


殿下の剣が、アレクセイ様の顔面に迫る。


当たった――と思った瞬間。


ガキンッ!!


鈍い音が響いた。


アレクセイ様が、鞘だけで殿下の剣を受け止めていた。


そして、手首を軽く返すと、殿下の剣が弾き飛ばされた。


クルクルと宙を舞い、地面に突き刺さる剣。


「あ……」


丸腰になった殿下が、呆然と自分の手を見る。


「終わりだ」


アレクセイ様が、鞘を殿下の喉元に突きつけた。


「……実戦なら、お前はもう死んでいる。三回はな」


「う、うぅ……」


「ユエンを守る? 笑わせるな。自分の足元すら見えていない男に、彼女を支えることなどできん」


アレクセイ様の言葉は、剣よりも鋭く殿下の心を抉(えぐ)ったようだ。


殿下は膝から崩れ落ちた。


「負け……た……?」


「勝者、アレクセイ・ガルガディア!!」


カーン、カーン、カーン!


私が高らかに宣言すると、広場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


「魔王! 魔王!」

「最強! 最強!」


魔王コールが巻き起こる。


アレクセイ様は、照れくさそうに手を上げた。


私はリングに上がり、アレクセイ様の腕を取って高く掲げた。


「見事な勝利でした、閣下! オッズ一・一倍、本命の圧勝です!」


「……疲れた。あいつの相手は、魔物より骨が折れる」


彼が小声で愚痴をこぼす。


そこへ、敗者の殿下がよろよろと立ち上がった。


泥と涙で顔がぐしゃぐしゃだ。


「……なぜだ」


彼は掠れた声で言った。


「なぜ、僕じゃダメなんだ……。僕は王太子だぞ……金も、権力も、地位もある……!」


彼は私を見た。


その目は、迷子の子供のように縋(すが)っていた。


「ユエン……戻ってきてくれよ……。君がいないと、僕は……」


私は、彼に近づいた。


そして、懐から一枚の紙を取り出した。


「殿下。敗因を分析して差し上げましょうか?」


「……え?」


「殿下には、決定的に欠けているものがあります」


私は紙――『今回の決闘イベントの収支報告書』を彼に突きつけた。


「それは、『相手(顧客)のニーズを理解する能力』です」


「ニーズ……?」


「はい。殿下はいつも『僕が』『僕の』ばかり。私が何を求めているか、領民が何を望んでいるか、一度でも考えたことがありますか?」


私はアレクセイ様を指差した。


「彼は違います。不器用ですが、常に相手のために動こうとします。私のために剣を取り、民のために頭を下げる。……だから、人は彼についていくのです」


私は殿下の胸に、請求書を押し付けた。


「これが、今回の決闘の『参加費』および『会場使用料』、そして『敗者への手切れ金』の請求書です。……これを教訓に、一から勉強し直してください」


殿下は、震える手で請求書を受け取った。


そこには、とんでもない金額が書かれているはずだ。


「……ユエン」


「さようなら、ジェラルド様。……今度は、良い王になってくださいね」


私は最後に、初めて彼に対して「様」をつけて呼んだ。


それは、元婚約者としての、最後の手向けだった。


殿下は何かを言いかけたが、言葉にならず、ただ涙を流してうなだれた。


「……撤収!」


近衛騎士団長が、重い空気の中で号令をかけた。


騎士たちが殿下を抱え上げ、逃げるように去っていく。


二度目の敗走。


だが、今度の背中は、昨日よりも少しだけ――哀愁を帯びて見えた。


「……終わったな」


アレクセイ様が、剣を腰に戻した。


「はい。これで本当に、全て終わりました」


私は大きく伸びをした。


青空が澄み渡っている。


王都の空気が、以前よりも美味しく感じられた。


「……ユエン」


「はい?」


「帰ろうか。俺たちの領地へ」


「ええ。……あ、その前に」


私はニヤリと笑った。


「この興行の売上の集計がまだです。閣下、手伝ってください。賭けの配当金の計算が複雑で……」


「……お前、まだ働くのか」


アレクセイ様が呆れ返る。


「当然です。時は金なり。さあ、マリー、ミナ様! 店じまいですよ!」


「はーい!」


私たちは騒がしく笑いながら、馬車に乗り込んだ。


馬車の窓から見える王都の街並みが、ゆっくりと遠ざかっていく。


私は、かつて私が育った街に、心の中で別れを告げた。


(ありがとう、王都。そして、さようなら)


私の新しい人生は、北の空の下にある。


そこには、冷たい風と、温かいスープと、そして――不器用で愛おしい「魔王」が待っているのだから。


馬車は軽快に走り出し、私たちは新しい日常へと帰っていった。


……はずだったのだが。


「……あれ? お嬢様」


マリーが不思議そうな顔で、荷物の隙間を指差した。


「なんか、荷物が増えてませんか?」


「え?」


見ると、饅頭の入っていた麻袋が、もぞもぞと動いている。


「……まさか」


私が恐る恐る袋を開けると。


「……ゲコ」


中から、大量の「カエルの置物」が出てきた。


そして、その下には一枚のメモが。


『捨てないでくれ。……ジェラルド』


「……あいつぅぅぅ!!」


私は叫んだ。


「ゴミを押し付けるな! 産業廃棄物処理法違反で訴えてやる!」


アレクセイ様が爆笑した。


「ハハハ! いいじゃないか。これも『戦利品』だ」


「よくありません! 不燃ゴミです!」


私たちの旅路は、最後まで賑やかになりそうだった。

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