第13話
王都での物産展、最終日。
『魔王饅頭』のブースは、もはや戦場のような賑わいを見せていた。
「完売間近でーす! お一人様一箱まで! 転売は禁止ですよー!」
ミナ様が拡声器(魔導具)を使って叫ぶ。
「在庫補充急げ! セイロの温度を上げるんだ!」
アレクセイ様が厨房スタッフ(騎士たち)に檄を飛ばす。
私はレジ前で、高速で硬貨を数え、金庫に放り込んでいた。
チャリン、チャリン、チャリチャリチャリン!
その音は、私の脳内ではベートーヴェンの『第九』のように荘厳に響いていた。
(素晴らしい……! 目標利益率を二〇〇パーセント達成。これで辺境の道路整備予算も確保できました)
私が悦に入っていた、その時である。
ズズズズズ……。
地面が小刻みに震え始めた。
「……地震か?」
アレクセイ様が顔を上げる。
いや、違う。これは自然災害ではない。
規則正しい足音。金属が擦れ合う音。そして、多数の馬の蹄の音。
「道を空けろぉぉぉ!!」
広場の入り口から、威圧的な怒号が響いた。
客たちが悲鳴を上げて左右に割れる。
現れたのは、煌びやかな鎧に身を包んだ王立騎士団の一団だった。その数、およそ五〇名。
完全武装だ。
そして、その中央。
白馬に跨り、マントを翻して現れたのは――。
「……見つけたぞ、ユエン!!」
ジェラルド王太子殿下、その人だった。
ただし、私の記憶にある「キラキラ王子」とは随分様子が違う。
目の下にはどす黒いクマ。
頬はこけ、肌は荒れ、自慢の金髪も寝癖で爆発している。
まるで徹夜明けのデスマーチを三ヶ月続けたプログラマーのような形相だ。
「……げっ」
隣でミナ様が露骨に嫌な顔をした。
「ゾンビが来たわ……」
「静かに。ゾンビはお客様ではありません」
私はレジを閉め、眼鏡の位置を直して前に出た。
ジェラルド殿下は、私の姿を見つけると、馬から転げ落ちるように降りて駆け寄ってきた。
「ユエン! ああ、やっと会えた……!」
彼は私の手を取ろうとしたが、私は半歩下がって華麗に回避した。
「ソーシャルディスタンスを保ってください、殿下。感染症対策です」
「何を言っている! 僕だぞ、ジェラルドだ!」
「存じております。それで、本日はどのようなご用件で? まさか、その五〇名の騎士全員で饅頭を買いに来たわけではないでしょう? 団体予約は事前連絡が必要ですが」
「饅頭などどうでもいい!」
殿下は叫んだ。
「迎えに来たんだ! さあ、帰ろうユエン! 悪夢はもう終わりだ!」
彼は両手を広げた。
「君がいない王宮は、地獄……いや、不便極まりない! 誰も書類の場所を知らないし、予算の計算も合わない! 外交官の名前も覚えられない! 君がいれば、全てが円滑に回るんだ!」
「……それは、私の能力への評価ではなく、殿下の無能さの露呈ですね」
「うるさい! とにかく戻れ! 今なら特別に、僕の『側近』としての地位を用意してやる!」
周囲の客たちがざわめいた。
「うわ、自分勝手……」
「復縁じゃなくて、仕事させたいだけ?」
「最低だな、あの王子」
世論は完全にこちら側だ。
私はため息をついた。
「お断りします」
「な、なんだと?」
「聞こえませんでしたか? 『却下(リジェクト)』です」
私は指を一本立てた。
「私は現在、ガルガディア辺境伯領と『終身雇用契約』を結んでおります。待遇は破格。職場環境は良好。経営者(アレクセイ様)は私の意見を尊重し、理不尽な残業も強要しません」
私はアレクセイ様の方を見た。
彼は無言で頷き、私の隣に立つ。
その圧倒的な威圧感に、殿下が「ひっ」と後ずさる。
「一方、殿下の提示する条件はどうですか? 『側近』? 笑わせないでください。それは『名ばかり管理職』で、実態はただの雑用係でしょう?」
「だ、だが、未来の王妃になれる可能性も……」
「可能性(プロバビリティ)が低すぎます。それに、王妃という激務に対する報酬が見合っていません。責任だけ重くて、権利がない。典型的なブラック企業です」
私はきっぱりと言い放った。
「私はホワイト企業(辺境)を選びました。二度と、そのブラックな職場には戻りません」
殿下の顔が赤くなり、そして青ざめた。
「そ、そんな……金か? 金なら払うぞ! いくらだ!?」
「お金の問題ではありません。信頼関係(トラスト)の問題です」
「信頼だと!? 僕を裏切ったのは君だぞ! この……野蛮な男にそそのかされて!」
殿下は震える指でアレクセイ様を指差した。
「おい、そこの魔王! 貴様、どういう術を使った!? 洗脳か!? それとも脅迫か!?」
アレクセイ様は、眉一つ動かさずに答えた。
「……俺は、ただ彼女を必要としただけだ」
低い、地を這うような声。
「そして、彼女も俺を選んだ。……それだけだ」
「嘘だ! ユエンがこんな……熊みたいな男を選ぶはずがない! 彼女は洗練された王都が好きなんだ! こんな田舎者と……」
「失礼ですね」
私が口を挟んだ。
「閣下は熊ではありません。あえて言うなら『高機能な大型重機』です」
「じゅ、重機……?(アレクセイ様)」
「力持ちで、頑丈で、メンテナンス(食事)さえすれば文句も言わずに働く。そして何より、私の指示(コマンド)に忠実です。殿下のように、エラーばかり吐く旧式OSとはスペックが違います」
「き、貴様ぁぁぁ……! 僕を旧式だと!?」
殿下が完全にブチ切れた。
「もういい! 言葉でわからないなら、力ずくで連れ戻す! おい、やれ!」
彼が騎士たちに命令を下した。
「その女を捕らえろ! 抵抗するなら、周りの店ごと破壊しても構わん!」
「なっ!?」
客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
騎士たちが剣を抜き、じりじりと包囲網を狭めてくる。
「……正気か」
アレクセイ様が前に出た。
「民衆の前で剣を抜くなど……王族のすることではないぞ」
「うるさい! 逆らう者は反逆者だ! やれぇぇ!」
騎士たちが躊躇いながらも、命令に従って動き出す。
アレクセイ様が剣に手をかけた。
「ユエン、下がっていろ。……全員、叩き伏せる」
「お待ちください、閣下」
私は彼の腕を掴んだ。
「ここで戦闘になれば、せっかくの売上(現金)が危険に晒されます。それに、お客様に怪我人が出れば、賠償責任が発生します」
「だが、このままでは……」
「大丈夫です。私には『切り札』がありますから」
私はニヤリと笑い、背後のテントに向かって声をかけた。
「出番ですよ、ミナ様!」
「えーっ、ここでぇ!?」
テントの中から、嫌そうな声が響いた。
次の瞬間、ミナ様が飛び出してきた。
手には拡声器。
彼女は殿下の前に躍り出ると、仁王立ちした。
「ストーップ!!」
「なっ……ミ、ミナ!?」
殿下が目を丸くした。
「ミナじゃないか! 探したぞ! 君まで誘拐されていたのか!?」
「誘拐じゃないわよ、バーカ!」
ミナ様があっかんべーをした。
会場が静まり返る。
「バ、バーカ……?」
「ジェラルド! あんた最低よ! 仕事ができないのを私のせいにして、八つ当たりして! 私の大事なドレスにインクをこぼしたこと、一生忘れないからね!」
「な、何を言っているんだミナ……? 君は僕の癒やしだろう?」
「癒やし? 冗談じゃないわ! 私はあんたのママじゃないのよ! 夜中に『怖い夢を見た』って私の部屋に来るの、キモいからやめてくれる!?」
「ぶふっ!」
客の誰かが吹き出した。
「ちょ、ミナ! それを言うな!」
殿下が真っ赤になって慌てる。
だが、ミナ様の暴露(リーク)は止まらない。
「それにね、みんな聞いて! この王子、実は『カエルの置物』を集めるのが趣味なの! 執務室の引き出しの中、カエルだらけなのよ! ゲコゲコ鳴くやつ!」
「や、やめろぉぉぉ!!」
殿下が頭を抱えて絶叫した。
騎士たちも、剣を持ったまま肩を震わせて笑いを堪えている。
「さらに! 先週の公務サボって行った場所、視察じゃなくて『カジノ』よね!? 負けが込んで、王家の宝剣を質に入れようとしたこと、バラしていいの!?」
「ぎゃあああ! それは国家機密だぁぁぁ!!」
殿下はその場に崩れ落ちた。
威厳も、シリアスな雰囲気も、粉々に粉砕された。
私は冷静に、その様子を観察していた。
(効果は抜群ですね。精神的ダメージ(メンタルブレイク)により、指揮系統が崩壊しました)
私はアレクセイ様に目配せした。
「閣下、今です」
「……ああ」
アレクセイ様は、呆れつつも前に進み出た。
そして、崩れ落ちた殿下の胸ぐらを、片手で軽々と持ち上げた。
「ひぃっ!」
殿下が空中で足をバタつかせる。
「……聞け、ジェラルド」
アレクセイ様が、ドスの効いた声で告げる。
「ユエンは渡さん。ミナ嬢もだ。彼女たちは今、俺の領地で笑っている。……それを邪魔するなら、俺が相手になる」
彼は殿下を睨みつけた。
その背後には、幻影の黒いオーラ(覇気)が見えるようだ。
「……次に来る時は、軍ではなく、誠意を持って来い。でなければ……」
彼は殿下の耳元で囁いた。
「お前の恥ずかしい秘密を、全国にばら撒くぞ(ミナを使って)」
「ひぃぃぃ! ごめんなさいぃぃ!」
殿下は泡を吹いて気絶した。
ドサッ。
ゴミのように捨てられる王太子。
騎士団長らしき男が、慌てて駆け寄ってきた。
「で、殿下! ……くっ、撤退だ! 殿下をお守りしろ!」
「覚えてろよ、北の魔王! この借りは必ず返す!」
捨て台詞と共に、王立騎士団は逃げるように去っていった。
嵐が去った後には、静寂と、そして――。
「わぁぁぁぁっ!!」
爆発的な歓声が巻き起こった。
「すげえ! 魔王様が王子を撃退したぞ!」
「見たか、あのかっこいい啖呵!」
「ざまぁみろ王太子!」
「カエルの王子様、万歳!」
客たちが拍手喝采を送ってくる。
「……勝ったな」
私は眼鏡を直した。
「物理的な戦闘を回避し、情報戦(暴露話)で勝利を収める。コストパフォーマンスも最高です」
「……お前たち、本当に恐ろしいな」
アレクセイ様が、疲れ切った顔で戻ってきた。
「あんな男に、少し同情してしまったぞ」
「自業自得です」
私は彼にタオルを渡した。
「お疲れ様でした、閣下。これで邪魔者はいなくなりました」
私は彼を見上げて、ニッコリと笑った。
「さあ、ラストスパートです! 残りの饅頭を売り切って、完全勝利で辺境に帰りましょう!」
「……ああ、そうだな」
彼は私の頭に大きな手を置いた。
「帰ろう、ユエン。俺たちの家に」
その言葉に、私は胸が温かくなるのを感じた。
家。
そう、あそこが私の帰る場所なのだ。
「はい、閣下」
私は彼の手に、自分の手を重ねた。
こうして、王都での騒動は、私たちの圧勝で幕を閉じた。
だが、これで終わるわけではない。
ジェラルド殿下の失態は王の耳に入り、事態はさらに大きく動くことになる。
そして、私とアレクセイ様の「契約関係」も、新たな局面を迎えようとしていた。
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