第12話

王都での物産展も、折り返し地点を過ぎた。


私たちのブースは連日大盛況だった。


ミナ様の暴露トークと、アレクセイ様の強面、そして『魔王饅頭』の中毒性が相まって、売上は右肩上がり。


宿の金庫は、すでに蓋が閉まらないほどコインで溢れていた。


「……ふふふ。笑いが止まりませんね」


夜、宿の一室で私はコインの山を積み上げていた。


「予想収益を一五〇パーセント超過(オーバー)。これで辺境の冬越え予算は確保できました。さらに、除雪機材の購入と、温泉掘削の初期投資にも回せます」


「お姉様、私のボーナスは? 喉が枯れるまで喋ったのよ?」


ベッドの上で、ミナ様が足をぶらつかせながら聞いてくる。


「安心してください。成果報酬として、売上の二パーセントを支給します」


「やった! これで新作のコスメが買える!」


ミナ様が無邪気に喜ぶ横で、マリーが心配そうにお茶を淹れている。


「でもお嬢様……なんだか、アレクセイ閣下の様子がおかしくありませんか?」


「閣下が?」


「はい。夕食の後から、ずっとバルコニーを行ったり来たりして……ブツブツと何か呪文のようなものを唱えています」


「呪文? 黒魔術でしょうか。ストレス性の奇行なら、産業医に見せたほうがいいですね」


私が立ち上がろうとした時、コンコン、とドアが控えめにノックされた。


「……ユエン。起きているか?」


アレクセイ様の声だ。


「はい、起きています。どうぞ」


ドアが開くと、そこには普段の軍服ではなく、少しめかし込んだ――といっても、襟を正して髪を撫で付けた程度の――アレクセイ様が立っていた。


その顔は赤く、視線は泳ぎ、手は後ろに隠されている。


「すまない。……少し、時間を貰えないか」


「構いませんが。明日の作戦会議ですか?」


「いや……バルコニーで、風に当たりたいと思ってな。付き合ってくれないか」


私は懐中時計を見た。


就寝時間まであと三〇分。明日の業務に支障はない。


「承知しました」


私はカーディガンを羽織り、バルコニーへ出た。


夜風が心地よい。


王都の夜景が眼下に広がっている。かつては王城から見下ろしていた景色だが、こうして宿のバルコニーから見るのも悪くない。


「……綺麗だな」


アレクセイ様が隣に並び、ポツリと言った。


「そうですね。人工の光ですが、経済活動の活発さを示す指標としては美しいです」


「……お前らしい感想だ」


彼は苦笑すると、手すりをギュッと握りしめた。


ミシミシ、と鉄の手すりが悲鳴を上げる。


(……緊張している? まさか、深刻なトラブル報告でしょうか)


私は身構えた。


「閣下。何か悪い報告ですか? 在庫が腐ったとか、また王家からクレームが来たとか」


「違う。……そうじゃない」


彼は深呼吸をした。


その吸い込み音が「スゥゥゥーッ」と掃除機のように大きく、吐く息が「フゥゥゥーッ」と突風のように強い。


「ユエン。……俺は、お前に感謝している」


「感謝? 労働対価としての給与は頂いていますので、不要です」


「聞いてくれ」


彼は私の言葉を遮り、真剣な眼差しを向けた。


月明かりに照らされたその顔は、傷跡さえも野性的な魅力に見えるほど、真摯だった。


「お前が来てから、俺の領地は変わった。死にかけていた街が息を吹き返し、部下たちも笑うようになった。……そして何より、俺自身が変わった」


彼は一歩、私に近づく。


「今まで、俺は自分が『魔王』として恐れられることを受け入れていた。誰からも愛されず、孤独に死んでいくのが運命だと思っていた」


「……非効率な思考ですね。人は社会的動物です。孤立は生存率を下げます」


「ああ。お前がそう教えてくれた」


彼は、後ろに隠していた手を、ゆっくりと前に出した。


そこにあったのは、花束だった。


ただし、普通の花束ではない。


真っ赤なバラの花束だが、彼が強く握りしめすぎたせいで、茎が折れ曲がり、花びらが少し散っている。


まるで、彼の不器用さを体現したような花束だ。


「……これを受け取ってくれ」


「これは?」


「……お前への、気持ちだ」


彼は花束を突き出した。


「ユエン。俺は……お前が欲しい」


「はい?」


「お前を、誰にも渡したくないんだ」


彼の低音が、夜風に乗って鼓膜を震わせる。


「王太子だろうが、他の貴族だろうが……もう二度と、お前を奪わせない。俺のそばにいてくれ。……一生」


沈黙が流れた。


私は、目の前の花束と、真っ赤になって俯く大男を交互に見た。


そして、脳内コンピューターをフル稼働させて、彼の言葉を分析した。


(『お前が欲しい』=人材としての価値を高く評価)


(『誰にも渡したくない』=競合他社への流出阻止、囲い込み)


(『一生そばにいてくれ』=長期雇用契約の打診)


結論が出た。


これは――**「終身雇用(ライフタイム・コミットメント)」のオファー**だ!


なんと光栄なことだろう。


通常、雇用契約は一年更新が基本。それを、会って数週間の私に対し、「一生」という破格の条件を提示してくれているのだ。


私の事務処理能力、経営手腕が、そこまで高く評価されたということ。


プロフェッショナルとして、これ以上の喜びはない。


「……閣下」


私は感動で少し声を震わせながら、花束を受け取った。


「そのオファー、謹んでお受けいたします」


「ほ、本当か!?」


アレクセイ様がバッと顔を上げた。


「ああ……夢じゃないよな? 受け入れてくれるのか?」


「もちろんです。これほどの好条件、断る理由がありません」


私は花束の香りを嗅いだ(少し握り潰された草の匂いがした)。


「私も、閣下のもとで働くことにやりがい(メリット)を感じていました。裁量権は大きいし、成果は正当に評価される。……それに、職場環境も悪くありません」


「しょ、職場……?」


「はい。では、早速ですが契約書の書き換えを行いましょう」


私はポケットから手帳を取り出した。


「現在の『臨時雇用契約』を破棄し、『無期限専属雇用契約』……いわゆる正社員、しかも幹部待遇への変更ですね」


「せ、正社員……?」


アレクセイ様の顔が引きつる。


「あの、ユエン? 俺が言ったのは、その……家族として、というか……」


「ええ、わかっています。『ファミリー企業』のような結束力で経営にあたるということですね。運命共同体。素晴らしい響きです」


私はペンを走らせる。


「契約期間は『終身』。解雇条件は『重大な背信行為』のみ。報酬は……そうですね、基本給アップに加え、ストックオプション(領地の開発権の一部)を頂ければ」


「……いや、金の話ではなく……」


「重要です。長く働くなら、インセンティブ設計は不可欠です。……ああ、もちろん『拘束料』としての特別手当も考慮しますよ。閣下が『誰にも渡したくない』と仰ったのですから、他社からの引き抜きを断るための対価が必要です」


私はペラペラと喋り続け、書き殴ったメモを破り取って彼に渡した。


「とりあえずの覚書(MOU)です。ここにサインを」


アレクセイ様は、メモを受け取ったまま固まっていた。


そこには『私、アレクセイ・ガルガディアは、ユエン・ヴァーミリオンの所有権を主張し、独占的に雇用することを誓約する。なお、退職金は死亡時に支払われるものとする』と書かれていた。


「……なんか、重いな」


彼がポツリと呟く。


「不満ですか? 『一生』と言ったのは閣下ですよ?」


「いや、不満ではない。……不満ではないが……」


彼は深く、深~くため息をついた。


そして、諦めたように笑う。


「……まあいい。お前がそばにいてくれるなら、名目はなんでも」


彼は私の手からペンを受け取り、サラサラとサインをした。


「契約成立だ、ユエン。……これで、お前は俺のもの(部下)だ」


「はい! 末永くこき使ってください、ボス(旦那様)!」


私はガッチリと彼と握手をした。


アレクセイ様の手は熱く、力強かった。


(よし。これで老後の安定まで確保しました)


私は内心でガッツポーズを決めた。


愛? 恋?


そんな不確かなものより、契約書という紙切れの方がよほど信用できる。


「……でも、花束は嬉しかったです」


私は少しだけ声を柔らかくして言った。


「経費にしては、趣味が良いですね」


「……自腹だ」


彼が拗ねたように言う。


「そうでしたか。では、大切に飾らせていただきます」


私は花束を胸に抱き、部屋に戻ろうとした。


「あ、そうだ。閣下」


「ん?」


「明日は王都最終日です。もしかすると、ラスボス(ジェラルド殿下)が直接お出ましになるかもしれません」


「……あいつか」


アレクセイ様の目に、鋭い光が戻った。


「来るなら来ればいい。今の俺には、守るべき『正社員』がいるからな」


「頼もしいです。では、おやすみなさい」


私は部屋に入り、ドアを閉めた。


ドアの向こうで、アレクセイ様が「……正社員かぁ」と力なく呟くのが聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。


部屋に戻ると、ミナ様とマリーがニヤニヤしながら待っていた。


「お帰りなさーい。で? どうだったの? チューした?」


ミナ様が身を乗り出す。


「契約更改の交渉をしてきました。無事に『終身契約』を勝ち取りましたよ」


私が胸を張ると、二人は同時にずっこけた。


「なんでそうなるのよ!」

「お嬢様、情緒! 情緒が死滅しています!」


「うるさいですね。ロマンより生活基盤です。さあ、明日に備えて寝ますよ!」


私は花束を花瓶に挿し(茎が折れているので短く切った)、ベッドに入った。


赤いバラ。


花言葉は確か『情熱』や『愛』だったはずだが、私にとっては『契約成立の証』だ。


でも。


暗闇の中で、花の香りに包まれていると、なんだか胸が落ち着かなかった。


(……不整脈、ではないですね)


私は胸に手を当てた。


このドキドキは、契約が取れた興奮なのか。それとも、彼の真剣な眼差しを思い出したせいなのか。


答えを保留(ペンディング)にしたまま、私は深い眠りに落ちていった。


翌日。


私たちの前に、ついに「あの男」が姿を現すことになる。


勘違いだらけの契約関係と、崖っぷちの王太子。


最後の決戦が始まろうとしていた。

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