第11話

王都の広場は、異様な熱気に包まれていた。


私たちのブースは無惨に破壊されていた。


テントは切り裂かれ、看板はへし折られ、商品である饅頭が泥にまみれている。


「ひどい……」


「これが王家のやり方かよ」


集まった群衆が、遠巻きに囁き合っている。


アレクセイ様は、折られた看板の前で、静かに怒りを燃やしていた。


「……許さん」


彼が剣の柄に手をかける。


「ユエン。俺は行く。この落とし前は、血で購わせる」


「お待ちください。短絡的です」


私は彼の前に立ち塞がった。


「見てください、この状況を。これは『絶好の撮影スポット(フォトジェニック)』ですよ?」


「は?」


私は懐から『被害状況報告書』という名の大きな立て看板(即席)を取り出し、ブースの前にドスンと置いた。


そこにはこう書いた。


『北の貧しい村から、必死の思いで作った饅頭です。権力者によって踏み潰されましたが、私たちは負けません。応援求む』


そして、泥まみれの饅頭を拾い上げ、悲劇のヒロイン(演技)の顔で空を仰いだ。


「ああ……なんて酷いことを。皆に笑顔を届けたかっただけなのに……!」


チラッ、と群衆を見る。


効果はてきめんだった。


「うわぁ、可哀想すぎる……」

「辺境伯、被害者じゃん」

「王太子、マジで最低だな」


同情の声が嵐のように巻き起こる。


「みなさーん! まだ無事な商品が少しだけ残っています! 傷物ですが、味は変わりません! お安くしますよ!」


私が叫ぶと、客たちが財布を握りしめて殺到した。


「買う! 全部買うよ!」

「負けるな魔王様!」

「俺たちがついてるぞ!」


チャリンチャリンチャリン!


飛ぶように売れる。


むしろ、昨日よりも勢いがある。


「……これが、ユエンの言う『世論』の力か」


アレクセイ様が呆然としている。


「転んでもただでは起きない。……いや、転んだ勢いで加速している」


「当然です。悲劇は最高のスパイスですから」


私は完売した空のセイロを積み上げ、満足げに頷いた。


その時である。


「どいてどいてぇぇぇ!」


人混みをかき分けて、小さな影が突っ込んできた。


ピンク色の髪を振り乱し、フードを目深に被った少女。


彼女は一直線に私たちのブースに飛び込んでくると、私の背後に隠れた。


「はぁ、はぁ……! か、隠して! 追手が来てるの!」


「……どちら様ですか?」


私は冷ややかに尋ねた。


少女がフードをバッと脱ぎ捨てる。


そこに現れたのは、涙目で鼻水を垂らした、あの男爵令嬢だった。


「ミナ様?」


「しーっ! 声が大きい! バレちゃうでしょ!」


ミナ様は私の口を塞ごうと手を伸ばすが、私はそれを華麗に避けた。


「何事ですか。殿下の愛玩具(パートナー)が、こんな泥まみれの場所へ」


「愛玩具じゃないわよ! もう無理! 限界!」


ミナ様は叫んだ。


「ジェラルド様ったら、毎日毎日『ユエンはまだか』『ユエンならこうするのに』って、あなたの話ばっかり! 私といても心ここにあらずだし、書類仕事ができないと私に八つ当たりするし!」


彼女は地団駄を踏んだ。


「私、癒やし系ヒロインとして採用されたはずよね!? なんで私が財務諸表の計算をしなきゃいけないの!? 分数とか無理だし!」


「……なるほど。能力不足による職場放棄ですね」


「違うわよ! ブラック労働からの脱出よ! あんな甲斐性なし、こっちから願い下げだわ!」


なんと。


あの「真実の愛」カップルは、私の退職からわずか二週間で破綻していたらしい。


「それで? なぜここに?」


「だって、噂で聞いたのよ。ユエンお姉様が、北の魔王とよろしくやってるって」


ミナ様は、横にいるアレクセイ様をチラリと見た。


アレクセイ様が「ん?」と睨む(普通に見る)と、彼女は「ひいっ!」と震えたが、すぐに私の服の裾を掴んだ。


「お願い、お姉様! 私を匿って! 王宮に戻ったら過労死させられる!」


「お断りします」


私は即答した。


「ここは慈善事業団体ではありません。それに、貴女は殿下の『所有物』です。横領罪に問われるリスクは負えません」


「そんなぁ! 私、なんでもするから! お掃除でも洗濯でも!」


「貴女に家事ができるとは到底思えませんが」


「で、できるもん! ……たぶん!」


その時、広場の向こうから衛兵たちの声が聞こえてきた。


「探せ! ミナ嬢が逃げ出したぞ!」

「殿下のご命令だ! 連れ戻せ!」


「ひぃぃ! 来たぁぁ!」


ミナ様が半泣きで私にしがみつく。


私は計算機(脳内)を回した。


彼女を突き出すのが一番リスクが低い。


だが……。


この状況、利用価値があるかもしれない。


「……ミナ様。貴女、殿下の『弱み』をどれくらい握っていますか?」


「え?」


「寝言の癖から、裏帳簿の隠し場所、あるいは恥ずかしい趣味まで。情報(ネタ)はお持ちですか?」


「も、もちろんよ! あいつ、寝る時にクマのぬいぐるみを抱いて『ママ……』って言うのよ! あと、公費で買った宝石のリストも持ってるわ!」


「採用です」


私はニヤリと笑った。


「その情報、高く買い取りましょう。貴女を『情報提供者(スパイ)』兼『雑用係』として、ガルガディア商会で雇用します」


「ほ、本当!?」


「ただし、給料は成果報酬。衣食住は保証しますが、おやつは抜きです」


「悪魔! でも背に腹は変えられないわ! 契約成立よ!」


私は素早く近くにあった麻袋(饅頭の粉が入っていた袋)を手に取り、ミナ様の頭から被せた。


「むぐっ!?」


「動かないで。荷物に偽装します」


私は麻袋の口を縛り、荷台の隅に放り込んだ。


直後、衛兵たちが駆け込んできた。


「おい! そこの店主! ピンク髪の女を見なかったか!」


「……見ていません」


私は無表情で答えた。


「ここにあるのは、売れ残りの小麦粉と、返品された不良品(ゴミ)だけです」


「ちっ、ここもハズレか。向こうを探せ!」


衛兵たちは嵐のように去っていった。


危機一髪。


「……ユエン」


一部始終を見ていたアレクセイ様が、呆れたように口を開いた。


「お前……元ライバルだろ? 拾っていいのか?」


「ライバル? 認識が違いますね」


私は眼鏡を拭いた。


「彼女はただの『高性能なスピーカー』です。彼女の口から殿下の悪評を流せば、私の手を汚さずに王家の権威を失墜させられます」


「……恐ろしい女だ」


「褒め言葉として受け取ります。さあ、撤収作業です! 荷物(ミナ様)を積み込んで、宿に戻りますよ!」


その夜。


宿の一室で、袋から解放されたミナ様は、出された食事(余った饅頭)を貪り食っていた。


「んぐっ、んぐっ……! 辛っ! 何これ!?」


「ロシアンルーレット饅頭です。ハズレを引くとは、運までありませんね」


私はお茶を差し出した。


「さて、ミナ様。これからの業務説明をします」


「……業務?」


「はい。貴女には、明日から『看板娘』として働いてもらいます」


「看板娘?」


「ええ。その可愛らしい外見と、愛想の良さ(だけ)は評価できます。ブースの前に立ち、客を呼び込む集客装置(ルアー)になってください」


「装置扱い……」


「嫌なら王宮に送り返します」


「やります! やらせてください!」


ミナ様は必死に頷いた。


「それと、もう一つ」


私は声を潜めた。


「貴女が持っている『殿下の恥ずかしいエピソード』を、接客中にさりげなく客に漏らすのです。『ここだけの話……』という体でね」


「えっ、そんなことしていいの?」


「それが一番の宣伝になります。『あの王太子に見限られた可哀想な令嬢』という同情票と、『王太子の暴露話』というゴシップ。この二つが揃えば、集客効果は倍増です」


ミナ様は、ポカンとした後、悪い顔でニヤリと笑った。


「……お姉様、やっぱり性格悪いのね」


「合理的と言ってください」


「いいわ。私だってあいつには腹が立ってるの。徹底的にネタにしてやるわ!」


こうして、私たちの陣営に、最強のトリックスターが加わった。


翌日からの物産展は、カオスを極めることになる。


「いらっしゃいませー☆ 魔王饅頭はいかがですかー? これを食べると、浮気性の彼氏と縁が切れるかもー?」


ミナ様が愛嬌たっぷりに呼び込みをする。


「えっ、本当?」

「お姉さん、何かあったの?」


客が食いつくと、彼女は声を潜めて囁く。


「実はね、私の元カレ、国のトップのあの人なんだけど……実はパンツがイチゴ柄で……」


「ブフォッ!」

「マジで!?」


爆笑の渦。


噂は瞬く間に広がり、ブースの前には「饅頭」と「暴露話」を求める長蛇の列ができた。


王太子の威厳は、饅頭の売上と反比例して、急速に地に落ちていったのである。


「……ミナ、恐ろしい子」


ブースの奥で、アレクセイ様が震えていた。


「女を敵に回すとこうなるのか……」


「教訓になりましたか、閣下?」


私は売上帳をつけながら微笑んだ。


「浮気と裏切りは、高くつくんですよ」


「誓って、俺はそんなことはしない!」


彼は直立不動で敬礼した。


「俺の心は、お前一筋だ!」


「……大きな声で言わないでください。営業妨害です」


私は顔が熱くなるのをごまかすために、わざと冷たく言い放った。


だが、その言葉が嫌ではなかった自分に気づき、私は小さくため息をついた。


ミナ様という騒がしい要素が加わり、私たちの「王都攻略戦」は、ますます加速していく。


しかし、ジェラルド殿下がこのまま黙っているはずがなかった。


彼の「逆襲」は、思いもよらぬ形で訪れることになる。


(……まあ、どんな手が来ても、返り討ちにして請求書を送るだけですが)


私は金庫の鍵を閉め、不敵に笑った。

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