第9話

王都中央広場。


年に一度の『全国物産展』の会場は、早朝から熱気に包まれていた。


国中から集まった名産品、珍味、工芸品。


その一角に、異様なオーラを放つブースが存在した。


黒い垂れ幕に、血のように赤い文字で書かれた『ガルガディア辺境伯領』の看板。


店員は全員、強面の騎士(エプロン着用)。


そして、ブースの中央に鎮座するのは、腕組みをして仁王立ちする「北の魔王」ことアレクセイ様だ。


「……おい、あれ見ろよ」


「本物の魔王だ……目が合っただけで石にされそうだぞ」


客たちが遠巻きにヒソヒソと囁き合う。


恐怖で誰も近づけない。完璧な『集客(野次馬)』効果だ。


私はブースの裏で、マリーと共に最終チェックを行っていた。


「お嬢様、お客様は集まっていますが、誰も商品に手を伸ばしません! 怖すぎて結界が張られています!」


「想定内です。ここからが私の手腕の見せ所」


私は眼鏡をクイッと上げた。


「さあ、実演販売(パフォーマンス)の開始です。閣下、お願いします!」


私の合図で、アレクセイ様が動いた。


彼は目の前のセイロを、バカッと勢いよく開けた。


もうもうと立ち昇る白い湯気。


その中から現れたのは――あの大ヒット(予定)商品、『魔王饅頭』だ。


「……食え」


アレクセイ様がドスの効いた声で言った。


「食わぬ者は……後悔するぞ(売り切れで)」


言葉足らずな脅し文句。


客たちがビクリと震える。


すかさず私が割って入った。


「さあさあ、いらっしゃいませ! 北の国から直輸入! 一口食べれば体の中からポッカポカ! 魔王様の『愛』と『怒り』が詰まったロシアンルーレット饅頭はいかがですかー!」


私は満面の営業スマイルで声を張り上げた。


「今なら魔王様との『握手券』付き! 厄除け、魔除け、家内安全に効果抜群ですよ!」


「えっ、握手?」


「あの魔王と?」


客たちがざわめく中、好奇心旺盛な若い女性客が恐る恐る近づいてきた。


「あ、あの……一つくださいな」


「ありがとうございます! 銀貨一枚です!」


女性客が饅頭を受け取り、恐る恐る口にする。


「……ん! 美味しい! 甘くてクリーミー!」


彼女が当たり(激甘)を引いた瞬間、私はアレクセイ様に目配せした。


アレクセイ様はぎこちなく、しかし優しく女性の手を握った。


「……ありがとな」


その瞬間、女性客の頬が赤く染まった。


「きゃあああ! 魔王様、意外と手が温かい! ていうかイケメン!?」


その悲鳴が引き金となった。


「私も!」「僕も挑戦する!」


ギャップ萌えにやられた客たちが、雪崩を打って押し寄せたのだ。


「並んでください! 最後尾はこちらです!」


マリーが悲鳴を上げながら整理券を配る。


飛ぶように売れる饅頭。積み上がる売上金。


私は金庫番として、チャリンチャリンという硬貨の音をBGMに、恍惚の表情を浮かべていた。


(素晴らしい……! これぞ資本主義の勝利!)


しかし、その至福の時間は、一人の「招かれざる客」によって中断された。


「……ユエン・ヴァーミリオン嬢とお見受けする」


人混みをかき分けて現れたのは、目の下に濃いクマを作った、ゾンビのような男だった。


見覚えがある。王宮の文官だ。


以前はパリッとしたスーツを着ていたはずだが、今はシャツがよれよれで、髪もボサボサ。頬がこけて死相が出ている。


「……どなたでしたっけ? ああ、公務員の方ですね。何か査察ですか? 営業許可証ならここに」


「い、いえ……査察などとんでもない……」


男は震える手で、懐から一通の手紙を取り出した。


王家の紋章が入った封筒だ。


「ジェラルド王太子殿下からの、親書をお持ちしました」


周囲の空気が一変した。


アレクセイ様が即座に反応し、私の前に立ちはだかる。


「……王太子だと?」


「ひいっ! わ、私はただの使いっ走りで……!」


文官が腰を抜かしそうになる。


私はアレクセイ様の背中を軽く叩き、前へ出た。


「ご苦労様です。拝見します」


私は手袋をはめた手で(直に触りたくないので)、封筒を受け取った。


ペーパーナイフで開封し、中身を一読する。


そこには、相変わらずの乱雑な字で、こう書かれていた。


『ユエンへ。


ほとぼりも冷めた頃だろう。辺境での反省生活は十分に堪能したか?


さて、本題だ。


君がいなくなってから、どういうわけか書類が少し溜まっているようだ。ミナは「文字が多くて目が回る」と言って手伝ってくれない。


役人どもは無能で、僕の指示を理解しない。


よって、特別に君の帰還を許可してやる。


今すぐ王宮に戻り、滞っている決済業務を処理しなさい。


これまでの不敬は、その働きをもって不問とする。


なお、戻る際は手土産として、その辺境伯との関係を清算してくるように。


愛するジェラルドより』


読み終えた私は、静かに手紙を折りたたんだ。


「……ユエン? 何と書いてあった?」


アレクセイ様が心配そうに聞いてくる。


私は無表情で答えた。


「スパム(迷惑メール)でした」


「え?」


「フィッシング詐欺の一種ですね。『アカウントが凍結されました』と不安を煽り、個人情報を搾取しようとする手口に酷似しています」


「さ、詐欺なのか!?」


「はい。内容に論理的整合性がありません。『反省』『許可』『不問』……どの単語も、現状の法的関係(他人)においては無効な概念です。読むだけで脳のリソースを無駄に消費しました」


私は文官に向き直った。


「発信元(殿下)にお伝えください。『受信拒否設定済みですので、二度と送信しないでください』と」


「そ、そんな……! お嬢様、お願いです、戻ってきてください!」


文官が泣き崩れた。


「もう限界なんです! お嬢様がいなくなってから、王宮の事務機能は麻痺状態です! 予算案は白紙、外交文書は誤字だらけ、式典の段取りはグチャグチャ……! 私たちはここ十日間、家に帰れていないんですぅぅ!」


「それは労働基準監督署に訴えるべき案件ですね。私の管轄外です」


「殿下は毎日『ユエンはまだか!』とヒステリーを起こして、書類をばら撒くんです! ミナ様はお茶会ばかり開いて、経費を使い込むし……もう、国が傾きかけています!」


なるほど。


私が想像していた以上に、あの王子の事務処理能力は「ゼロ」だったらしい。


いや、マイナスか。


「心中お察しします。ですが」


私は冷たく言い放った。


「私はすでに『アレクセイ・ガルガディア辺境伯領』という優良企業(ホワイト企業)に再就職しました。ブラック企業(王家)への出戻りは、キャリアプラン上、あり得ません」


「そ、そこをなんとか……! 給料も弾みますから!」


「今の私の時給は、殿下の年収を超えますが?」


「ひぇっ……」


私は手元の手紙をひらひらとさせた。


「さて、このゴミの処理ですが」


ちょうど横で、アレクセイ様が饅頭を蒸すためのカマドに薪をくべていた。


赤々と燃える炎。


私は手紙を丸めると、美しい放物線を描いてカマドの中に投げ込んだ。


ポイッ。


ボッ!


手紙は一瞬で炎に包まれ、灰となった。


「ああっ! 殿下の親書がぁぁ!」


文官が絶叫する。


「燃料として再利用しました。これが唯一の、この手紙の生産的な使い道です」


私はパパンと手を払った。


「サーマルリサイクル(熱回収)完了。……おや、火力が上がって饅頭が良い具合に蒸し上がりましたね」


「お、おう……いい匂いだ」


アレクセイ様が、少し引いた顔で頷く。


「ユエン……お前、本当に容赦ないな」


「未練たらたらの元彼からの手紙など、百害あって一利なしです。さあ、業務に戻りますよ!」


私は文官に、蒸したての『魔王饅頭(激辛)』を一つ握らせた。


「お引き取りください。これはお土産です。殿下によろしくお伝えください。『食べた瞬間、目が覚めますよ』と」


文官はトボトボと帰っていった。


その背中は、来た時よりも小さく見えた。


「……よかったのか?」


アレクセイ様が、私の隣に立った。


「国を敵に回すことになるぞ」


「敵? いいえ、向こうが勝手に自滅しているだけです」


私は売り上げの入った金庫を撫でた。


「それに、私には最強の用心棒がついていますから」


私はアレクセイ様を見上げる。


「守ってくれるのでしょう? 魔王様」


「……ああ」


アレクセイ様は、照れくさそうに頬をかいた。


「国一つ相手だろうと、お前には指一本触れさせない」


「頼もしい限りです。では、その武力を活かして、次の回(クール)の集客をお願いします。目標、あと五〇〇個完売です!」


「……やっぱり、お前はたくましいな」


こうして、王都での初日は、元婚約者からの復縁要請(という名の命令)を物理的に焼却処分するという、清々しい幕切れとなった。


だが、これで諦めるような殿下ではないことも、私は知っていた。


彼は馬鹿だが、自分の欲しいものに対してだけは、異常な執着を見せる子供だからだ。


「……次は直接乗り込んでくるかもしれませんね」


私は呟いた。


「その時は……追加料金(迷惑料)を請求するまでです」


私の目は、チャリンという音と共に、完全に『¥(エン)』マークになっていた。


一方、その頃の王宮。


「な、なんだと!? 捨てた!? 僕の手紙を燃やしただと!?」


報告を受けたジェラルド王太子は、執務室で顔を真っ赤にして叫んでいた。


足元には、処理しきれない書類の山。


「おのれユエン……! 可愛げのない女め! こうなったら、僕が直接迎えに行ってやる! 王太子の命令に逆らえると思っているのか!」


「で、殿下……まずはこの決済を……」


「うるさい! 軍を呼べ! あの忌々しい辺境伯ごと、捻り潰してやる!」


王子の暴走は、止まらない。


そして、それを止めるべき「ブレーキ役(ユエン)」は、もうここにはいないのだ。


国の運命は、まさに風前の灯火(ともしび)となっていた。

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