第8話

「……閣下。これは何ですか?」


私は、厨房の作業台に並べられた『それ』を指差して尋ねた。


アレクセイ様と、エプロン姿の騎士たちが自信満々に胸を張る。


「見ての通り、俺の顔を模した饅頭だ。お前の指示通り、リアルさを追求してみた」


「……」


私は眉間を揉んだ。


そこに並んでいるのは、饅頭ではなかった。


呪いのアイテムだ。


小麦色の肌に、食紅で再現された血走った目。餡子(あんこ)で表現されたリアルな古傷。そして、苦悶の表情。


湯気が立っている様子は、さながら釜茹でにされた罪人の生首に見える。


「……閣下。食品衛生法以前に、倫理規定に抵触します」


私は冷徹に評価を下した。


「子供が見たら泣きます。いえ、大人でも食欲減退(ダイエット)効果しかありません。商品価値はマイナスです」


「なっ……! そんなに酷いか!?」


アレクセイ様がショックを受けて後ずさる。


「騎士たちは『閣下の威厳が完璧に再現されています!』と絶賛していたのだが……」


「彼らの審美眼は、戦場の恐怖で麻痺しています。市場(マーケット)が求めているのは『恐怖』ではなく『愛嬌』です」


私は失敗作の生首饅頭(試作品第一号)を皿の隅に寄せた。


「方向修正(ピボット)します。目指すべきは『キモかわ』です」


「き、きもかわ……?」


「気持ち悪いけど、どこか可愛い。その絶妙なラインを攻めます」


私はスケッチブックを取り出し、アレクセイ様の顔をデフォルメしたイラストを描いた。


三頭身。


目は点。


傷はバッテンマーク。


そして、口はへの字だが、頬を少し赤く染める。


「これです。このデザインで金型を作り直してください」


「……これが、俺か?」


アレクセイ様が複雑な顔で絵を覗き込む。


「なんか……弱そうだな」


「弱くていいんです。『北の魔王も、中身は甘い』というギャップ萌えを狙います」


私は騎士たちに向き直った。


「さあ、生産ラインを再構築しますよ! 生地には特産のミルクを練り込んで白さを強調! 中身は二種類用意してください!」


「はっ! 中身とは!?」


「『魔王の怒り(激辛ハバネロ味)』と『魔王の慈悲(激甘練乳クリーム味)』です!」


厨房が再び戦場と化した。


騎士たちが筋肉を躍動させながら生地をこねる。


私はその間、パッケージデザインの最終調整に入った。


数時間後。


蒸し上がった『魔王饅頭(改)』が、セイロの中に並んだ。


ほわほわと湯気を立てる、白くて丸い物体。


デフォルメされたアレクセイ様の顔が、ずらりとこちらを見ている。


「おお……」


アレクセイ様が感嘆の声を漏らした。


「なんか、増殖すると壮観だな」


「可愛いです! これなら売れます!」


マリーが目を輝かせて拍手する。


「では、最終品質チェック(テイスティング)を行います。閣下、口を開けてください」


私は熱々の饅頭を一つ手に取った。


「えっ? あ、あーん、ということか?」


アレクセイ様が途端に挙動不審になる。


顔を真っ赤にして、モジモジと手をもじらせている。


「……部下の前で、それは恥ずかしいが……しかし、お前の頼みとあらば……」


彼は覚悟を決めたように目を閉じ、口をパカッと開けた。


その姿は、餌を待つ大型犬のようだ。


私は容赦なく、饅頭を彼の口に押し込んだ。


「はい、どうぞ。食感と風味の感想を五秒以内に」


「むぐっ!?」


彼は慌てて咀嚼する。


次の瞬間、彼の顔色が赤から紫へと変色した。


「ん……ぐ、ぐぬぅぅぅ……!!」


目から涙が溢れ、額から大量の汗が吹き出す。


どうやら、当たり(激辛)を引いたらしい。


「水! 水をくれ!」


「お待ちください。辛さの持続時間(残存効果)を計測します。耐えてください」


私は懐中時計を見ながら記録を取る。


「か、辛い……! 火を吹くようだ……!」


「素晴らしい。北国の寒さを吹き飛ばす発熱効果が確認できました。これは『暖房器具』としても売り出せますね」


「食べ物だと言ってくれぇぇ!」


アレクセイ様が涙目で叫ぶ。


ようやく水を渡すと、彼は一気に飲み干し、肩で息をした。


「……ひどい目にあった。まさか俺を暗殺する気か?」


「滅相もありません。これは『ロシアンルーレット饅頭』。パーティーの罰ゲーム用として高い需要が見込めます」


私は涼しい顔で説明する。


「確率は一二分の一。一箱買えば、必ず一つは『魔王の怒り』が入っています。スリルと味覚のエンターテインメントですね」


「……お前の商魂には、魔物も裸足で逃げ出すな」


彼は呆れたように笑ったが、その口元にはクリームがついていた。


あ、激辛の後に甘い方(口直し)も食べたのか。


「……閣下、口元」


私は無意識に、ハンカチで彼の口元を拭った。


「え?」


アレクセイ様が固まる。


私も固まる。


周囲の騎士たちが「ヒューッ!」と口笛を吹く。


(……しまった。長年の王太子への世話焼き癖が、こんなところで発動するとは)


私は業務上の過失(うっかりラブコメ)をごまかすため、咳払いをした。


「……失礼。商品イメージを損なう汚れでしたので、除去しました」


「……あ、ありがとう」


アレクセイ様は耳まで真っ赤にして、拭かれた口元を手で覆った。


「……そのハンカチ、くれないか?」


「なぜです? クリームが付着して不衛生です。洗濯に回します」


「いや、記念に……」


「記念? 経費で買った備品ですので、私物化は認められません」


私はハンカチをポケットにしまい込み、話題を戻した。


「とにかく、商品は完成です。次は販売戦略(プロモーション)です」


私は黒板に『物産展攻略マップ』を書き出した。


「来週、王都で開催される物産展。ここに我々が乗り込みます」


「俺も行くのか?」


「当然です。閣下は『生きた看板』ですから」


私は指示棒で彼の胸元を突いた。


「ブースの最前列に立ち、その強面で客を呼び止めてください。睨むだけで結構です。客足が止まります(恐怖で)」


「営業妨害にならないか?」


「そこを、マリーと私が笑顔でフォローします。『魔王様もオススメ!』と売り込めば、ギャップ効果で飛ぶように売れるはずです」


「……自信満々だな」


「勝算(エビデンス)はあります。王都の人々は刺激に飢えていますから」


私はニヤリと笑った。


それに、もう一つ目的がある。


王都に行くということは、あの元婚約者たちに会う可能性があるということ。


「閣下。この物産展で成功を収め、外貨を獲得すること。それが、私を捨てた王家への最高のリベンジ(ざまぁ)になります」


「……リベンジ?」


「はい。彼らは私が泣いて暮らしていると思っているでしょう。ですが、私は辺境でビジネスを成功させ、経済力で彼らを見返すのです」


私は拳を握りしめた。


「『愛』などという曖昧なものではなく、『数字』という絶対的な結果でね」


アレクセイ様は、そんな私を静かに見つめていた。


そして、ポンと私の頭に手を置く。


「……無理はするなよ」


「無理? していません。これは適正な努力です」


「そうか。ならいい」


彼は優しく微笑んだ。


「俺は、お前のやりたいように付き合う。……どんな場所でも、お前の盾になろう」


その言葉に、また胸の奥がトクンと跳ねた。


(……この不整脈、やはり頻度が増えていますね。王都に着いたら専門医に診てもらわなければ)


私は動悸を無視して、準備再開を宣言した。


「さあ、出発は明日です! 荷造りを急いで! 在庫は全て馬車に積み込みますよ!」


こうして、私たちは大量の『魔王饅頭』と共に、再び王都への道を辿ることになった。


辺境の寒空の下、馬車の荷台からは甘い香りと、時折、味見をした騎士の「辛ぁぁぁ!」という悲鳴が響いていた。


道中、アレクセイ様はずっとソワソワしていた。


「どうしました、閣下。乗り物酔いですか?」


「いや……久しぶりの王都だからな。それに、お前が……」


彼は言葉を濁す。


私が、かつての社交界に戻ることを心配しているのだろうか。


「心配無用です。私のメンタルは鋼鉄製ですので」


「そうではない。……その、他の男が寄ってくるんじゃないかと」


「はい?」


「今のお前は……その、輝いているからな」


彼はボソッと言って、窓の外を向いてしまった。


私はキョトンとした。


輝いている? 私が?


鏡を見る。そこには、以前のような厚化粧の悪役令嬢ではなく、ナチュラルメイクで、生き生きと(金儲けの算段を)している自分の顔があった。


「……眼科検診もおすすめします、閣下」


私は照れ隠しにそう言って、帳簿に視線を落とした。


だが、悪い気はしなかった。


王都の城門が見えてくる。


かつて「追放」された私が、「凱旋」する時が来たのだ。


待っていなさい、ジェラルド殿下。


あなたの元婚約者が、最強のパートナーと、最恐の商品を携えて帰ってきましたよ。


いざ、商戦開始です!

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