第4話

「……というわけで、閣下。この『ドラゴン討伐記念宴会』の費用計上は不適切です」


揺れる馬車の中で、私は冷徹に指摘した。


手元には、アレクセイ様から預かった領地の出納帳。


「ドラゴンの肉は食用として売却益が出ています。ならば宴会費用はそこから相殺し、残りを国庫補助金で賄うべきでした。なぜ自腹を切ったのですか?」


「いや、部下たちが命がけで戦ったのだから、俺のポケットマネーで労いたいと……」


「そのポケットマネーの原資が、領地経営を圧迫しているのです。トップが安易に私財を投じると、組織の予算感覚が麻痺します」


「うぐっ……」


向かいの席で、北の魔王ことアレクセイ様が小さくなっている。


戦場では無敵の彼も、数字という名の暴力には弱いらしい。


隣ではマリーが、ガタガタと震えながらも、こっそり干し肉を齧っている。緊張で腹が減るタイプらしい。


「いいですか。今後、金貨一枚以上の支出には、私の決裁印を必要とします。無駄遣いは許しませんよ」


「わ、わかった……善処する」


「善処ではなく、確約を」


「……はい」


彼がシュンとした、その時だった。


ガタンッ!!


突然、馬車が激しい衝撃と共に停止した。


マリーが「ひゃっ!」と悲鳴を上げ、干し肉を喉に詰まらせかける。


「なんだ? 車輪が外れたか?」


アレクセイ様が鋭い眼光を取り戻し、剣に手をかけた。


外からは、御者の怒鳴り声と、複数の下品な男たちの笑い声が聞こえてくる。


「へっへっへ! 止まりな! 金目のものを置いていきな!」


「抵抗するなら命はねぇぞ!」


典型的な悪党のセリフだ。


私は懐中時計を取り出した。


「……予定より一五分の遅れ。道路工事でしょうか? それとも検問?」


「いや、どう聞いても盗賊だ」


アレクセイ様が呆れたように言う。


「ユエン、マリー。お前たちは中にいろ。俺が片付ける」


彼が立ち上がろうとする。


しかし、私はそれを手で制した。


「お待ちください、閣下」


「ん?」


「閣下が動くと、事後処理(死体の片付けや血の掃除)が面倒です。それに、私の試算では、この街道に出没する盗賊団の武装レベルは低いはず」


私は帳簿を閉じ、眼鏡(伊達メガネ・知的演出用)の位置を直した。


「ここは私が『交渉』してきます。コスト削減の一環です」


「は? 交渉だと? 相手は無法者だぞ」


「無法者にも生活があります。利害が一致すれば話は通じるものです」


私は止めるアレクセイ様を無視して、馬車の扉を開けた。


「お、お嬢様!? 危ないです!」


マリーが叫ぶが、私はスタスタと外に出る。


外には、小汚い格好をした男たちが一〇人ほど、馬車を取り囲んでいた。


彼らは私が出てきたのを見て、ニタニタといやらしい笑みを浮かべた。


「おっ、上玉が出てきたぜぇ」


「へへっ、金だけじゃなくて、女もいただくとするか」


リーダー格らしき、スキンヘッドの男が斧を担いで近づいてくる。


私は彼を一瞥し、開口一番に言った。


「お疲れ様です。本日は『道路使用料』の徴収業務ですか?」


「あ?」


男が間の抜けた声を上げた。


「え? いや、俺たちは盗賊……」


「ああ、個人事業主(フリーランス)の方ですね。承知しました。で、通行料はおいくらですか? 領収書は発行できますか?」


私は懐からメモ帳とペンを取り出した。


男たちは顔を見合わせている。


「おい、なんだこの女。頭がおかしいのか?」


「か、金を出せって言ってんだよ!」


男が斧を振り上げる。


しかし、私は眉一つ動かさない。


「ですから、請求額を聞いています。適正価格なら支払いますが、不当な高額請求には応じられません。近隣の相場は馬車一台につき銀貨三枚ですが」


「うっせぇ! 身ぐるみ全部置いてけってんだよ!」


「全財産? それは暴利ですね。独占禁止法に抵触する恐れがあります」


私はため息をついた。


「あなた方、事業計画は立てていますか?」


「あぁ!?」


「一〇人で武装して待ち伏せする人件費、武器の減価償却費、リスク管理費。それに対して、得られる収益(リターン)が見合っていません。私のような貧乏貴族を襲うより、王都へ向かう商隊を狙った方が利益率は三〇パーセント向上しますよ?」


「な、なにをごちゃごちゃと……!」


「それに、この馬車の紋章が見えませんか? グリフォンです。辺境伯家の所有物ですよ」


私は馬車の扉を指差した。


「辺境伯家に喧嘩を売るということは、国家反逆罪および即時処刑のリスクを負うということです。そのリスクプレミアムを考慮した上で、襲撃を実行するという経営判断ですか?」


男たちの顔色が少し変わった。


「へ、辺境伯だと……?」


「まさか、あの『北の魔王』の?」


ざわめきが広がる。


しかし、リーダーの男は引くに引けなくなったのか、顔を赤くして怒鳴った。


「う、嘘だ! 魔王がこんな普通の馬車に乗ってるわけがねぇ! ハッタリだ!」


「ハッタリではありません。事実に基づく勧告です」


「うるせぇ! 死ねぇ!」


男が斧を振り下ろそうとした。


私は一歩も動かない。


避ける必要がないからだ。


ドォォォォン!!


凄まじい衝撃音が響き、男の体がボールのように吹き飛んだ。


「ぶべぇっ!?」


男は数メートル後ろの木に激突し、白目を剥いて沈黙した。


土煙の中から、ゆっくりとその姿を現したのは、もちろんアレクセイ様だ。


漆黒の軍服。


抜身の長剣。


そして、この世の終わりみたいな不機嫌な顔。


「……俺の部下(予定)に、何をする」


地獄の底から響くような声。


残りの盗賊たちが、ガタガタと震え上がった。


「あ、あ……」


「で、でか……!」


「ほん、ほんものだぁぁぁ!!」


誰かが叫んだ瞬間、パニックが起きた。


「北の魔王だ! 殺されるぅぅ!」


「逃げろぉぉ!」


盗賊たちは武器を放り出し、蜘蛛の子を散らすように森の中へ逃げ込もうとする。


「逃がすか」


アレクセイ様が一歩踏み出す。


その殺気だけで、二、三人が気絶した。


「お待ちください、閣下!」


私はすかさず声を上げた。


「ん?」


「深追いは時間の無駄です。それに、労働力が確保できるかもしれません」


私は気絶したリーダー以外の、腰を抜かして動けない手下たちの方へ歩み寄った。


彼らは涙目で私を見上げている。


「ひ、ひぃぃ! 命だけは!」


「助けてくれぇ!」


「はい、助けますよ。契約次第ですが」


私はニッコリと微笑んだ。


「あなた方、体力には自信がありますか?」


「へ? は、はい……」


「土木工事や農作業の経験は?」


「実家が農家で……」


「よろしい。では、選択肢を与えます」


私は指を二本立てた。


「一、ここで閣下に斬り捨てられて、森の肥料になる」


「ひぃっ!」


「二、我が辺境伯領にて、開拓事業の作業員として再就職する。衣食住完備、ただし初年度は最低賃金からのスタートです」


男たちは顔を見合わせ、そして一斉に地面に頭を擦り付けた。


「は、働かせてくださいぃぃ!」


「一生ついていきますぅぅ!」


「契約成立ですね」


私は満足げに頷き、アレクセイ様を振り返った。


「閣下、彼らを後ろの荷台に縛り付けて連れて行きましょう。領地には人手が足りないと言っていましたよね?」


アレクセイ様は、ポカンと口を開けていた。


剣を持ったまま、完全に動きが止まっている。


「……お前、本当に何者なんだ?」


「ただの元・悪役令嬢ですが?」


「……盗賊を恐れない令嬢など、聞いたことがない」


「彼らは顧客(労働力)候補ですから。恐れる理由がありません」


私は倒れているリーダーの男を爪先でつついた。


「この人も、目が覚めたら契約させましょう。体格がいいので、鉱山で働かせればいい戦力になります」


アレクセイ様は、深く、深くため息をついた。


そして、剣を鞘に収める。


「……勝てる気がしない」


「何か仰いましたか?」


「いや……頼もしい限りだ、と言ったんだ」


彼は苦笑いをして、私の頭をポンと撫でた。


大きくて無骨な手。


でも、そこには確かな温かみがあった。


「……子供扱いはやめてください。別途、特別手当を請求しますよ」


「ハハッ、検討しておこう」


アレクセイ様が笑うと、それを見ていた盗賊たちが「魔王が笑った……」「天変地異だ……」とさらに震え上がった。


こうして、私たちの旅の一行に、新たに九名の「臨時職員(元盗賊)」が加わった。


彼らは馬車の後ろにロープで数珠繋ぎにされ、走ってついてくることになった。


「お嬢様……鬼ですね」


窓の外で必死に走る男たちを見ながら、マリーが呟く。


「人聞きが悪いですね。これは『研修』です。体力作りと根性の叩き直し。現場に着く頃には、立派な作業員になっているはずです」


私は帳簿を開き直した。


「さて、これで人件費の項目に修正が必要ですね。……閣下、彼らの食費は雑費で計上しますか?」


アレクセイ様はもう、何も言わずに遠い目をしていた。


馬車は賑やかに、北へと進む。


目的地まで、あと少し。


私の「辺境改革」は、すでに始まっていた。

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