第2話 望んでいないんだよおお!
私がギャップにとにかく弱いと自覚したのはいつだったか。
最初は父が拾ってきた猫だったと思う。
その子は野良猫で、初めて会った時なんかは警戒心が強かった。いつも威嚇してくるし、爪で攻撃してくるしで、私にとっては怖い生き物だった。
でもある日、やっと心を開いたのか、自分で引っ搔いた私の手を労わるようにザラついた舌で舐めてきたのだ。
その豹変具合に、私はやられた。
ギューンと胸を締め付けられて、思わず猫を抱きしめたら、ヒョイッとすぐに私の腕から逃げていった。ジローっと私を睨みつけてきて、そこがまた可愛くて仕方がなくなった。
猫が好きなんだなって、そう思ったのも束の間、今度は食べ物にやられた。
苦い苦いピーマンを食べた時、これは嫌いだってはっきりと思った。でも父がまたピーマンを使って違う料理を出してきた。
ニコニコと嬉しそうに、「食べてみて」と笑う父に逆らえず、思い切って一口入れると、世界がまるで違って見えた。なんだこれ、本当にさっきまで嫌いだと思った同じものかと。今ではすっかりお気に入りの食材である。
それからはもう色んなことに衝撃を受けて、ギュンと心を鷲掴みされるの繰り返し。
漫画の普段は強気のイケメンキャラの泣き顔だったり、動物たちのツンデレ動画だったりと、それはもう色々なギャップに悶える日々である。
でも中学の時に、道端の野良猫でギャップ萌えを発動してしまった。ぐはあっと悶えて、堪えられない笑いを口に出してしまった時に、クラスメイトが通りかかって一言。
『……え、何あれ。気持ち悪』
私が悶えている笑い声は気持ち悪いらしい。うん、自覚している。いつも悶えて打ちひしがれた後に思い出して、自分で引いている。なんで『ヒュヒュヒュ……』という声が出るのだろうか。クラスメイトの感覚は正常だ。
けどその一件で、自分でも自覚していた気持ち悪い声が、他人にもそう聞こえていると分かった。ありがとう、その一言を呟いてくれて、と今では感謝している。
だから、高校ではギャップ萌えをしないように気を付けていた。ただでさえ人と話すのも関わるのも苦手なのだ。上手く喋れないし、気持ち悪いとか思われるのなら、申し訳ないと思ってしまう。
「はあ……」
学校に行く途中、珍しく溜め息がでてきてしまう。
楠さんも絶対に学校に来る。そう、つまりは学校の制服姿だ。
ということは、絶対私は昨日のバイト服姿を思い浮かべてしまうというわけで。
……絶対悶える。
自信がある。
何故なら昨日家に帰った後も思い出して悶えたからだ。
いやあ、だって、普通にあのバイト服似合ってたもんね。ただでさえ楠さん、可愛い顔してるからさ。父にはいつものように生暖かい目を向けられていたけど。
本当に勘弁してほしい……。あのギャップを見せつけられるとか、悶え死ぬ。そしてクラスメイトに気持ち悪がられ、気分を悪くさせてしまう。そんなことは望んでいない。ひっそり、静かに、この高校生活は過ごしたいのに――
「おはよう、琴原さん」
「ひえっ!」
肩をポンと叩かれて飛び跳ねた。
この声……と思ってソロソロと震えながら叩かれた方を見ると、きょとんとした目で私を見てくる楠さんの姿。
「く……楠、さん?」
「ごめん、そんな驚かせるつもりじゃなくて。前を歩いているの見えたから、追いかけてきちゃった」
苦笑している楠さんだけど、それどころじゃない。
学校の制服姿が視界に入って、昨日のバイト服姿が重なる。
ギャップ萌えが発動しそうだったから、思わずバッと顔を真横に動かした。やばい、やばい。やっぱりギャップがありすぎる!
「……えーと、迷惑だったかな?」
あ、しまった。沈んだ声の楠さんの言葉に、ちょっと冷静になれた。あ、あれ? でも、なんて言えばいいんだ、こういう時?
……とりあえず、謝っとく? 顔は見れないけど。
「め、めめ、迷惑じゃ、ないよ……その、驚いちゃっただけで、その、ご、ごめん……」
――どもりすぎじゃないだろうか、私⁉ どんだけ喋り慣れてないの⁉ 確かに父としか話してませんけどね!
「それなら、いいけど……」
どこか納得していないような楠さんの声。え、態度悪く見えた? すいません! でもこれが私の精一杯なんです!
「はい、これ」
「え?」
気分悪くさせてすいませんって心の中で謝っていると、昨日買ったジュースが視界に入ってくる。あ、そういえば、レジに置きっぱなしだった。
「琴原さんが置いてっちゃったから、私が持って帰ったんだよ。あ、キャップは開けてないし冷蔵庫で保管してたから」
「あ、え、あ……」
つい受け取ると、自然と楠さんの顔が目に映る。困ったように笑っていた。捨ててくれてもよかったのに、それなのにわざわざ保管して持ってきてくれたとか……優しすぎないか?
「あ、ありが……」
「びっくりしたよ。いきなり逃げちゃうんだもん。私、なんか悪いことしたかなって思っちゃって」
サーっと血の気が引いていく。確かに逃げた。っていうか逃げるしかなかった。自分のギャップ萌えが発動しちゃったから! よく考えると――いや、考えなくても、いきなり逃げ出すとか超失礼!
「あまり話したことないから怖がらせちゃったかなぁ、とか色々考えちゃって。今も目を合わせてくれないし」
そそそそれは勘弁していただきたい! ちゃんと見ると昨日の姿が思い出されて、絶対気持ち悪い笑いをお披露目することに!
「私、琴原さんに何かしたかな?」
していません! 何もしていません! 私が勝手にギャップ萌えしているだけです!
じーっと見てくる楠さんにさっきから冷や汗が止まらない。ちゃんと目は合わせられないけど、視線をめちゃくちゃ感じる。ん? 視線?
楠さんじゃない、なんか変な空気感を感じて、周りを見てみた。登校している生徒たちが、めっちゃ見ているではありませんか。立ち止まっている私と楠さんを。見るからに陰キャで地味な私と、雰囲気も容姿も華やかな楠さんを。
これは一大事! 楠さんが変に思われてしまう! こんな地味子と話しているのは全く釣り合っていないし、周りの人の解釈不一致が起きてしまう! それイコール気分悪くさせる行為!
「じゅじゅじゅジュースありがとう!」
「へ? あ、ちょっと⁉」
ジュースを受け取って、また私は逃げ出した。後ろからまた「琴原さんってば!」という楠さんの声が聞こえてきたけど、構っていられない。
私は、ひっそり静かに暮らしたいだけなのだ。
皆に気分悪くさせたいとは思っていないのだ。
そして、家で漫画とか映画とか小説とかで、勝手にギャップ萌えをしたいだけなのだ。
だから、
こういう場所でのギャップ萌えは、全然望んでいないんだよおおお!!!!
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