その1 生きてしまった男の異世界転生

 南川六之介は、日本のとある海辺の街の生まれである。


 彼には、発達障害の特性があった。


 空気が読めない。集中すると周りが見えなくなる。興味のないことには全く手がつかない。段取りができなく、部屋を片付けできない、人間関係がうまくいかない、など……。

 そんな自分を、六之介はずっと「欠陥品」だと思っていた。


 そして、その欠陥を持って生んだ両親を恨み、分かってくれない周りを恨み、気がつけば、彼は部屋に閉じこもるようになっていた。


 ゲームとネット。昼夜逆転。

 娯楽の世界の向こう側にいるあらゆる人々を羨みながら、「自分がこの世界で一番かわいそうだ!」と、心のどこかで本気で思っていた。


 自分は被害者。周りの人間は加害者。

 そう決めつけていれば、自分の弱さを見なくてすんだからだ。


 そんな六之介の住む街を、大地震と津波が襲ったのは、ある冬の早朝だった。


 けたたましいアラーム音。

 揺れる家。

大きな音をたて、倒れる本棚……。

 そして、窓の向こうで黒い壁のように迫る、海。


「……あ」


 気づいた時には、六之介の家ごと、津波にのまれていた。


 冷たい水。押しつぶされるような圧力。

 息ができない……! 

視界が真っ暗になる。


(ああ……やっと、終われる……)


 そう思った瞬間――


「おーい、生きてるか、オッサン!」


 耳の奥で、やたら明るい少年の声が響いた。


 目を開けると、そこは見知らぬ草原だった。


 空はどこまでも青く、白い雲が流れている。その下に美しい山脈と森がつらなっていた。


 そして、自分の顔を覗き込んでいるのは、ボサボサの赤髪をした三白眼の少年だった。


「よかった! 死んじまっているかと思ったぜ!」


 彼はそう言って、にっと笑った。


「ぼ……僕は……?」


「ここは、キレスタール。あんたは、地球という異世界から、津波に飲まれ、そのままこっちへ流れ着いたんだ。運よく生きてられてよかったぜ! 俺はクリフ、霊能者。霊能者の力で、あんたの今までの境遇を全て知った。あんた、名前は?」


「……南川、六之介」

 状況が分からない。だけど、……生きてしまったようだ。


「長ぇな。ゴロ悪い。今日からあんたは、ロックだ」


 一方的にそう言われ、六之介の「六(ろく)」だけが、相談もされずに新しい名前に組み込まれた。


 疑問が胸の奥で鈍く響いた。


悲しくなんてなかった。悔しくもなかった。ただ、苛立った。


あの津波にのまれた瞬間、終われるはずだった。


 とてつもなく嫌な現実も、人とうまく関われない自分も、全部まとめて押し流されて消えるはずだった。

 それでいいと思っていた。

 

 なのに、息をしている。こうして生かされている。

 

何のために? 誰のために? ますます分からない。


 生き残ったことを喜べるほどの人生じゃなかった。守りたいものも、続けたいものもなかった。


 自分が助かったと知った瞬間、胸に湧いたものは――怒りだった。


 死ぬことすら自由にできなかったのか、と。


 だが、その怒りは、長くは続かなかった。


 燃え上がった火は、すぐに灰のように冷め落ちた。


 怒る価値も、憎む価値も、自分にはもう残っていない。そう理解してしまった。


 生きてしまった――その既成事実だけが残り、後には何もない。


 何をしても意味がない。それでも呼吸だけは勝手に続き、時間だけが前へ進む。

 その無慈悲な規則性こそが、何より残酷だった。


 こうして、御年36歳の引きこもり・南川六之介は。

 17歳のちょっと変態チックな心優しい霊能者・クリフの弟子「ロック」として、異世界で第二の人生を始めることになった。


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