第4話

 夜。

 ミネスとルナは、教会の長椅子に腰を下ろしていた。

「例のものは……?」

「……持って来たわ」

 ミネスは言いながら、すっとルナの目の前に、予め持って来た『もの』を差し出した。

「ありがとう」

 ルナはそれを受け取り、ミネスの手に何かを握らせる。それは……

「杭?」

 ミネスは呟く。

「ええ、奴に隙が出来たら、それを心臓に刺して頂戴」

「でも、隙なんか……」

 ミネスは言う。

「出来るわよ、必ずね」

 ルナははっきりとした口調で言う。


「それは、楽しみだな」


 笑いながら言う声。

 それと同時に、背後で無数の蝙蝠が羽ばたく羽音がする。二人は同時に振り返る。

 無数の蝙蝠が集まり、人の形を成して行く。

「……昼間、何やらこそこそしていたようだが……」

 そこに佇んでいたのはレンだ。

「私を殺す算段は付けられたのかな? ルナ」

「黙りなさい!!」

 ルナは立ち上がる。

「今度こそ、貴方を……」

 ルナは歯ぎしりする。その瞳が赤く輝き、牙が伸びる。

 そのまま懐に手を突き入れ、取り出したのは例の十字架だ、そのまま手にした十字架をレンの顔面へと突きつける。十字架が額に押し当てられる、じゅうう、と音がして白い煙が吹き出す。

 それだけだ。

「……それは無駄だと、夕べ証明されたはずだが?」

 レンが言う。

「……無駄かどうかは、やらなければ解らないでしょう!?」

 ルナは言いながら、十字架を強く握りしめた。さらに沢山の煙が立ち上る。その煙はどんどんと激しくなり、やがてはレンの目元を覆う。

「なるほど」

 レンが楽しそうに笑う。

「この煙では、視界が塞がれて何も見えんな、だが……」

 レンは微かに笑う。

「ええ、これだけでは貴方には何でも無いでしょう」

 ふふふ、と。ルナは笑う。

「だけど……貴方は今私が何をしているのかは見えない、違う?」

 ルナは言いながら、ミネスから受け取った『もの』を取り出す。それは大きめの瓶だ。ルナは指先で蓋を外し、中身を床の上にぶちまける。

「聖水か?」

 レンが鼻で笑う。

「さあ、どうかしらね?」

 ルナは小さく笑った。

 そのまま背後を振り返る。

 そこに、ミネスが立っている。

 ルナが、十字架を握りしめて煙りを出したのはもちろん、この男の視界を奪うため。自分が何をしようとしているのか気づかせないようにするため、そして……

 ミネスの動きを、悟られない様にする為。

 

 ミネスは、燭台にかけられた蝋燭を手に取る。

 ルナがまいたのは……油だ。だけどただの油では無い。

 異国から父が取り寄せた油だ、詳しい原理は知らないがあまり臭いもしない特殊な油。

 だけど……燃えやすさはこの国の油よりも凄いと言われている。

 ミネスは、足音を忍ばせながらルナとレンに駆け寄り、燭台の蝋燭を投げつける。


 ごううっ!!


 と。

 激しい音がして、炎が吹き上がる。

 二人の姿が一瞬で炎に包まれた。

「無駄な事を、炎で私を消す事は出来んぞ」

 レンが冷たい口調で言う。そのままばっ、と右手を振るい、炎を消そうとした。だけど。

 その手を、ルナががっちりと掴んだ。

「させるものですかっ!!」

 ルナは怒鳴り付ける。

 レンが微かに呻く。

「良いのか? このままでは貴様も……」

「……私はどうせ、貴方が死なない限りは死なない……」

 ルナは言い放つ。

 全身が熱くなる、それが炎のせいなのか、それとも十字架を強く握っていたせいなのかはもう解らない。だけど……

「これで貴方は、しばらく動けないでしょう?」

 炎が燃える音がする、レンの足元が炎に包まれていた、そのまま足が焼け崩れる。

「この手は、絶対に離さない」

「……貴様……」

 ずしゃっ、と音がする。

 レンの両脚が炎に包まれて崩れ、その身体ががくんと傾いた。

「これは……」

「足が無ければ、貴方だって動けないでしょう?」

 ルナが炎の中で言う。

 そのまま炎の中で、ルナは振り返る。

「……お願い」

 ルナは炎の中で言う。

 ミネスは拳を握りしめる。

 あの吸血鬼は全身を炎に包まれ、身体が燃えている。どうせすぐに再生するだろうが、それには時間がかかる、離れようにもルナが手を押さえ付けている、これでは逃れる事も出来ない。これなら……

 これならば……

 ミネスはだっ、と走り出す。

 二人の身体が、床の上にどさり、仰向けに倒れた。ルナがレンの身体を思い切り押し、床の上に倒したのだ。そのままのしかかって身体を抑えつける。

 ミネスはそのままレンの横にしゃがみ込んで、ルナから渡された杭をぶんっ、と振り上げた。

「うわあああああああっ!!」

 ミネスは叫びながら、杭を振り下ろす。

 だけど……

 ばさっ、と音がする。

「えっ!?」

 ミネスは振り返る。背後から飛んで来た蝙蝠が、ミネスの身体の上に上からのしかかってきた。

 そのまま背中に前脚が乗せられ、床に押さえつけられそうになった。

「くっ……この……」

 ミネスは手にした杭を振り回して蝙蝠を追い払おうとした。

 だが抵抗も虚しく、蝙蝠は、そのままミネスの身体を抑えつけた。

 どんっ、と音がした。

「っ!!」

 ミネスは慌ててそちらを見る。

 ルナの身体が、吹き飛ばされていた。

「そちらが二人がかりで来るのなら」

 ふふ、と。

 レンが笑う。

「こちらも二人がかりで来ても問題あるまい?」

 ゆらり、と立ち上がり。レンはゆっくりと……

 ゆっくりと、蝙蝠に抑えつけられたミネスに近づいて行く。

「随分と、手こずらせてくれたな?」

「……っ」

 ミネスは呻く。

 ボロボロになった黒いマント、あちこちが焦げた身体。それだけでは無くそいつの両手は完全に無くなっていた。だけど……

 レンが、バサリとマントを翻した。

 それだけで……彼の姿は先ほどまでの姿に戻っていた。

「良い策ではあったぞ? ルナ」

 倒れているルナに向かって、レンが言う。

 だがルナからの言葉は無い。

「……彼女に……」

 ミネスはレンに向かって言う。

「彼女に、何をしたの!?」

「少々本気で吹き飛ばしたからな、私の眷属になったとはいえ、所詮は普通の人間に過ぎない小娘だ」

 レンは、倒れているルナの方をちらりと見て言う。

「しばらくは動けまいよ、さて……」

 レンがゆっくりと近づいて来る。

 ミネスは唇を噛んだ。ここから助かる方法は無いだろう。

「……最後だ」

 レンは言う。

「何か、言い残す言葉があるのならば聞こう」

「……いつか、貴方は殺される……」

 ミネスは言う。

 そうだ。

 あの子が、必ず……

 必ず、殺してくれる。

「それとあの子に……」

 ぐっ、と。

 ミネスは身体を大きく仰け反らせる。首にかけられたペンダントが、きらりと光った。

 母から貰ったペンダント。どんな由来があるのかは解らないけれど……母の形見として大切にして来た。だがもう……どうせ自分は殺される。

 ならば……

「これを、渡して頂戴」

「……良いだろう」

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