第3話
レンを狙うのならば夜が一番良い。奴は夜、『獲物』の血を吸う時にだけは、直接姿を見せるからだ。
だから昼間のうちに準備をし、夜、奴が現れたら仕留める。ルナはそう告げた。
「どうやって?」
ミネスは、ルナに問いかける。
十字架。
聖水。
いずれも奴には通じない、よほど高位の力を持つ神官が法力を込めた様な物で無ければ。
「一応聞くけれど、村にそういうものは……?」
ルナが問いかける。
「残念だけど、そういう話は聞かないわね」
ミネスは首を横に振る。その口調は大分打ち解けた雰囲気になっていた。きっともともと彼女は、そういう性格と口調なのだろう。
「この村はご覧の通りに……」
ミネスは立ち上がり、ゆっくりと教会の、割れたステンドグラスの向こうを指差す。陽光が差し込まなければ、ルナもこの場に立つ事は出来る。その向こうに見えるのは深い森だ。
「何も無い、小さい村だからね」
ミネスは目を閉じる。
「それでも」
ルナは、ゆっくりと立ち上がり、ステンドグラスの外を見る。
「この村は、良い村だと思うわ」
ルナは首を横に振って言う。それは素直な感情だった。自分の故郷とよく似た雰囲気が、ルナは好きだった、何処からか、もういない両親の声が聞こえてきそうで。
「……ありがとう」
ミネスは微笑む。だけどその表情がすぐに暗いものに変わる。
「人の心は、荒んでいるわよ」
何処か寂しげな口調で言うミネスを、ルナはじっと見た。
だがそれも一瞬の事だ。ミネスは首を横に振ってルナに向き直った。
「まあ、そんな事はどうでも良いでしょう? それよりもどうやって、奴を倒すつもり?」
「そうね」
頷きながら、ルナがポケットから取り出したのは、昨晩殺された村娘が持っていたあの十字架だ。
「これって……」
ミネスは驚いたように目を見開く。
「……昨日、殺されてしまった少女が持っていた物よ」
ルナが言うと、ミネスは頷いた。
「知っているわ……あの子、いつも……」
ミネスは、目を伏せたけれど、すぐに首を横に振る。
「まあどうでも良いわね、それで一体……」
「……これは残念だけど、奴には通じないわ」
ルナは軽く息を吐く。
「だけど、これを上手く利用すれば、きっと……」
ルナは告げた。
「でも、貴方それ……」
ミネスの言葉にルナは頷く。
既にこうして手に持っているだけでも手が熱い。強く握りしめれば……
「うっ……」
ルナは呻いた。じゅうう、と音がして掌から煙が立ち上る。
「ち ちょっと!!」
ミネスが慌てた口調で言う。
「大丈夫……大丈夫だから……」
ルナは、強く十字架を握りしめたままで言う。
熱い。
それに……握っている手だけでは無く、全身が焼け付くように熱くなり、身体が酷く重い……
そのまま脚もふらつき始める。このままでは……立っている事も……
「あ 危ないわよ……」
ミネスがルナの手から十字架を取り上げようと手を伸ばす。
「平気だから」
言いながら、ルナはゆっくりと十字架を離した。そのままポケットに十字架をねじ込む。
「……平気って、そんな……」
ミネスは言いながら、ゆっくりと手を伸ばしてルナの手をとった。その掌は酷く焼け爛れていた。
「大丈夫よ、これくらいの痛みなんか……」
そうだ。
確かに全身が痛い、それに熱い。
だけど……
「……これの元の持ち主は……もっと……苦しかったし、痛かったし……」
もっと、悔しかったんだ。
それに比べればこれしきの痛みなんて……
「そうかも知れないけど……貴方がこんな……」
ミネスはルナの手を取って言う。
「大丈夫、大丈夫だから……」
ルナは言う。
そうだ。
これしきの傷など……どうという事は無い。
それに……
これしきではまだダメだ。
「……お願いしたい事があるんだけど」
ルナは、じっとミネスの顔を見る。
「……お願い?」
ミネスが問いかける。
「ええ……あいつを、必ず殺す為にね」
「貴方、どうしてそこまで……」
ミネスは問いかけた。
「……あいつには、借りがあるのよ」
ルナは言う。
そうだ。
奴は、必ず滅ぼさなければならない。
両親と、故郷の人々の顔を思い浮かべる、両親はともかく、故郷の村人達からは正直良い扱いは受けてはいなかった。それでも……
それでも皆、あんな場所で死んで良い人間では無かったのだ。それを……
それを奴は。
「だから私は、必ず奴を殺すの」
ルナは告げる。
「でも、貴方……吸血鬼の眷属って事は……その……」
ミネスは言う。
「ええ」
ふふ、と。ルナは笑う。この少女は随分と博識のようだ。
「奴を殺した時には、私も死ぬ事になるわ。それでも良いのよ、例え死んでも、奴の犠牲者が減るのならば、それで私は十分なの」
「そんな……」
ミネスは言う。
「貴方、自分の命をなんだと……」
「命なんて……私にとってはもう無いも同然のものよ、私は」
ぎゅっ、と。焼け爛れた手を握りしめ、ルナは吐き捨てる。
「そう誓ったの、奴を必ず滅ぼすと決めた時にね」
ルナはそれだけ言い、ミネスの方を振り返る。
「貴方に、用意して貰いたい物があるの、私は昼間外を歩けないから、貴方にしかお願い出来ない」
「それは構わないけれど……」
ミネスは、やや不安そうな顔で言う。
「大丈夫よ、奴は……夜までは何も出来ないし、使い魔達も同じよ、貴方は奴にとっては大事な『贄』。きっと、使い魔達も何もしてこないはずよ」
ルナはそこまで言い、割れたステンドグラスを指差す。
「だからお願い、どうしても調達して来て貰いたい物があるのよ」
ミネスは黙って……
黙って、ステンドグラスの向こうを見ていた。
ややあって。
そのまま彼女はそっと壊れたステンドグラスから出て行った。
ルナは無言でその後ろ姿を見送る。彼女は……
彼女はもう……戻って来ないかも知れない。
それでも構わない。奴を倒す手段は……また別に考えれば良い。
ルナは、教会の長椅子にそっと腰を下ろした。そのまま目を閉じる。十字架を握りしめていた手はまだ熱い。身体も重い、きっと昼間だからだろう。ルナはゆっくりと息を吐いた。少しだけ休もう……あの子がどういう行動を取るのかは知らない。だが……
出来るのならば、あの少女には生き残ってほしい。
村への道を走りながら、ミネスは振り返る。
村の外れにある教会。かつては年老いてはいたものの、優しい神父様がいて、村の人々の悩みを聞いたり、簡単な癒やしの魔法を行使して、村人達の怪我や病気などを治してくれていた。ミネス自身も何度か世話になった事がある。
その神父は既に殺されてしまった、あの男……レンが現れたその日の夜、村の広場で惨たらしく殺され、血を吸われた。そして奴は……皆に『贄』を差し出す事を命令した。 次々と『贄』として若い女性達が攫われたり、或いは自らの意志で……あの教会に向かい、そのまま帰って来なくなった。
あの教会の中に入ったらどうなるのか……あの男の他に一体誰がいるのか……それは解らない。だがあんな子がいたなんて……
ミネスは目を閉じた。
あの吸血鬼。レンを憎む少女。その為に奴の家来になるなんて……
一体あの少女に何があったのかは知らない。だが……
あの少女は何処か……自分と似ている。
さて、言われたものは……
ゆっくりとした足取りで、家に向かって歩いて行く。あそこにならきっとあるはずだ。
村の外れにある、少し大きめの家。
この村の中でもそれなりの規模の商店、その店主の娘がミネスだ。ゆっくりとした足取りで店の入り口に近づいて行く。既に父はこの家にはいない。
ミネスは嘲笑を浮かべる。
父は……村を逃げ出したのだ、数人の護衛と財産だけを持って、夜のうちに逃げ出した、何処で何をしているのかは知らないが……無事に森を抜けたのであれば、今頃近くの街にでも着いているだろう。そうで無ければ今頃……
ミネスは笑う。
父の事などもうどうでも良い。昔から父の事は大嫌いだったからだ。
金にだけ執着する父、母との結婚も、大きな街の豪商との縁が欲しかっただけの結婚だったそうだ。もちろん生まれた娘である自分の事も、その相手との繋ぎ役としか考えていなかった。母が亡くなった時にも気にするのはその事ばかりだった。そんな父に反発して、ミネスは父の店も手伝わず、村の男達と森の中で狩りをするような生活をしていた、父はそれに大反対していた、いずれ自分は、もっと大きな商人の息子と結婚させるのだから、礼儀作法や店の経営など、学ばせたいことが沢山ある、というのが理由だった。
だからミネスはますます父を軽蔑していた。気にするのは金の事、店を大きくする事。
そんな父が、村を自分だけで逃げ出したと聞いても、ミネスは心が動かなかった。
そして……
村の連中とて、それは同じだった。村の皆は自分に優しくしてくれた。
だがそれは……父の持つ金や、街の商人達との縁が自分にも出来るかも知れない、という考えからだ。狩りに参加していた時だって、結局は誰も自分に弓の使い方も教えてくれなかった。
だから正直、村人達が殺されてもやはり、ミネスはあまり興味を抱くことが出来無かった。
だからこそ……
あの蝙蝠に、自分が攫われた時に、結局誰も手を貸してくれなかった。既に父がいなくなった今、危険を冒して自分を助けても、何の得にもならないことを、皆知っていたのだろう、父がいないのだから金も貰え無いし、商人達との縁も無くなったのだから。
あの少女。
ルナだって、それは同じだ。彼女はあの吸血鬼を倒せればそれで良い、そう考えている、自分の事だって、その為に利用出来ればそれで良い、と思っているのだろう。
だけど……
あの焼け爛れた手を思い出す。
あんなになってまで、彼女は奴を殺そうとしている。
その理由は知らないけど……
己を犠牲にしてまでも戦おうとする彼女。そこにはこれまで父に盲目的に従うばかりだった村の人々や、金にしか興味の無い父とは全く違う、強い『意志』のようなものを感じた。
だから……
彼女の為に……
力になってあげたい。
そう思った。
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