第2話

 山奥の寒村には、静寂が下りている。

 家という家全てが扉を閉ざし、誰も出て来ない。吹き付ける風が、ざわざわと樹を揺らしている。この村に来てから半月ほどしか経過していないが、既にもう……

 もう、村の中には自分達に反抗しようという人間はいない。

 少女。

 ルナは村の教会の窓からじっと……

 じっと、それを見ていた。

 時刻は午後、そろそろこの教会にも日差しが差し込んで来る。かつては何でも無かった、むしろ大好きだった暖かな日の光……だが今となっては命取りになる、忌まわしい光だ。

 奴は……

 レンは、多分教会の奥にある地下室に置かれた棺の中で眠っているのだろう。眠っている間に棺を開け、心臓に杭を刺す。それは真っ先に試したが上手く行かなかった。ならばと棺を日の当たる場所に出してやった、だがその時には棺の中には誰もおらず、そればかりか自分自身が日の光を受け、全身が焼け付く程の痛みを感じ、倒れそうになったくらいだ。

 畜生。

 ルナは歯ぎしりした。

 そして昨晩。

 村の少女と入れ替わり、どうにかして奴を……

 レンを、殺そうとした。だが……それも失敗に終わった。

 ルナは目を閉じて、ため息を付く。

 かれこれ一年が経過する。だが……未だに奴を……

 レンを滅ぼす事は、出来そうに無い。

 顔を上げて、窓の外に見える村を見る。誰もいない村、本来ならばそれなりに賑やかな村なのだろう、だが今では静寂に包まれ、不気味な沈黙だけが下りている。かつての自分の故郷もこうだった。あの男……レンが現れてから、全てが狂ってしまった。

 ルナは目を閉じる。


 一年と少し前。

 ルナの村に、あの男……レンが現れた。

 レンは人間では無い、本物の『吸血鬼』だ。日の光を嫌い、人の生き血を吸う闇の種族。

  奴は……ルナの村を襲い、多くの人の血を吸い、そしてルナの両親をも殺害した。

 村の者達が諦める中、ルナはただ一人、奴を殺そうと決意し、そして……

 そして、どうにか奴の心臓に杭を打ち込むことが出来た。残念ながらそれは偽物であったけれど。

 それから一年の間、ルナはずっと、奴を倒す為。眷属して仕えながら、その方法を試し続けている。


 ルナは、ふうう、と息を吐いた。

 そろそろ自分も、教会の地下に行くべきだろう。本来、真性の吸血鬼であるレンに眠りは必要無い。魔力を高めるためにはある程度休息も必要であるそうだが、実際には血を吸う事に勝る回復の方法は無いのだ。

 それでも奴は眠る。多少なり疲れは感じる、というのが理由だそうだが、それ以外の理由があるのは明らかだ、この一年の間に、奴が棺に入る回数は明らかに増えていた。理由はただ一つ、即ち……

 眠っている間に、ルナが自分を殺しに来る事を期待しているのだ。もちろん、これまでの様に失敗させ、絶望を味わわせる為に。

 それでも……

 ルナは、杭を手に地下室へと向かった。そうするしか……

 そうするしか、自分に出来る事は無い。


 ぎぃい、と地下室への扉を開ける。

 かつては食料か何かの貯蔵庫だったのだろうが、今では何も置かれていない、その代わり、部屋の真ん中に一つ、黒い棺が置かれている。

 ルナは、酷く緩慢な足取りで、棺へと近づいて行く。

 そのまま棺の蓋に手をかけ、一気に開く。

 その瞬間。響いたのはもの凄い羽の音。

「っ!?」

 ルナは声をあげる。

 蝙蝠だ。無数の蝙蝠が飛び出し、開きっぱなしの地下室の扉からどんどんと外に飛び出して行く。ルナは振り返り、慌てて外へ向かおうとした。だが……その足がぴたりと止まる。

 ダメだ。このまま外に出れば自分も日の光を浴びてしまう。あの蝙蝠達は、奴の使い魔だ、日の光の下では多少動きが鈍るけれど活動は出来る、だが自分は……

 やがて蝙蝠達は、全て部屋を飛び出して行った、きっと昨夜のステンドグラスから外に出て行くのだろう。何処に行くつもりなのか、それを考え……

「……まさか……」

 ルナは呟く。すぐに答えが出たからだ。

「そういうことだ」

 くくく、と。

 楽しそうな声がする。ルナはその声がした方、先ほどまで誰もいなかった部屋の端の方を見る。そこにレンが佇んでいた。

「新たな『贄』を連れ去りに向かわせた、今後、お前が失敗するたびにそうする事にすれば、より深い絶望をお前に与えられる、そう思ってな」

 レンがまた笑う。それはつまり……

「……っ」

 ルナは歯ぎしりした。それはつまり、自分のせいでまたしても……

 またしても、誰かが……

 許せない。

 こいつだけは、絶対に許さない。

 ルナは牙を剥きだしながら、心の中で呟いた。


 やがて、戻って来た蝙蝠達の脚に掴まれ、地下室へと運ばれて来たのは一人の少女だ。

 そのまま床の上に倒される少女。意識を完全に失っているらしく、少女は目を閉じたままぴくりとも動かない。

 ルナは無言で少女を見る。自分と同年代だろうか? 真っ赤な髪が印象的な、快活そうな少女。胸元にはキラリと輝くペンダントがかけられている。

 やがて少女は、ゆっくりと目を開けた。

「うう……」

 ルナは、ばっと背後を振り返る。レンに……あの少女を傷つけさせるわけにはいかない、そう思ったからだ。

 だけど。そこにレンの姿は無く、ただただ薄暗い闇が広がるばかりだった。

「……あの……」

 少女がおずおずと声をかけて来る。

 ルナは、ゆっくりとそちらを振り返った。赤い髪がふわりと揺れる。微かに身体が震えているのが見えた。

「……落ち着いて」

 ルナは優しく少女に向かって言う。

「大丈夫、今は……ここには私と貴方しかいないから」

 そのまま少女の肩に手を置く。

「……貴方はこの村を支配する吸血鬼に攫われてきたの、もうすぐ……」

「血を吸われる、って事ですか?」

 少女の問いに、ルナは目を閉じる。

「残念だけど、そういう事ね、このままだったら……」

 ルナははっきりとした口調で告げる。隠していてもいずれ解る事だ。ならばここで、事実を伝えるべきだろう。

 だけど。

「私が、それをさせないわ、絶対に」

 ルナは、はっきりとした口調で言う。

「貴方の血を吸う前に。私が必ず、あいつを殺すわ」

「……貴方……」

 少女がルナの顔を見て言う。

「ごめんなさい」

 ルナは、少女に頭を下げた。

「貴方が攫われる前に、手を打てなかったのは申し訳無いし、貴方が攫われたのは、私のせいでもあるの」

 少女は黙ってルナの顔を見ていた。

「……だから、せめて貴方の事だけは無事に逃がしたい、そして……」

 ルナは、ぎゅっと拳を握りしめる。

「私は、今度こそ……あの男を殺したいのよ」

 少女はそれに何も言わず、ルナの顔……

 否。

 その瞳を、じっと見ていた。恐らくは今、自分は昨夜と同じく瞳が赤く輝き、牙も伸びているだろう。

「私はルナ」

 少女に向かって言う。

「あの男、レン、様の……」

 奴に『様』など付ける事は気に入らない。だが眷属となってからは……どうしてもそう呼ばねばならない、口が勝手に動いてしまうのだ。

「眷属よ」

「……眷属って、それじゃあ貴方も吸血鬼って事?」

 少女の問いに、ルナは苦笑いしながら頷いた。

「色々とあってね。今は奴の家来なのよ、そうして側にいて、あいつを殺すのが私の目的」

 少女は、その言葉に少しだけ目を見開き、驚きの表情を浮かべた。だがルナは気に止めずに続けた。

「だから、貴方にも……」

「解ったわ」

 少女が、真っ直ぐにルナの顔を見て言う。

「どんな事が出来るかは、解らないけれど……私に出来る事があれば、協力させてほしい」

 その言葉に、ルナは頷く。

「ありがとう、よろしくお願いするわ、ええと……」

 ルナは、少女の顔を見る。

「私は、ミネス。それで、私は何をすれば良いのか教えて頂戴」

 はきはきとした口調。

 彼女は……どんな人生を歩んで来たのだろう? ふと一瞬、そんな事を考える。

 解らない。だけど……

 自分とは真逆の雰囲気を持つ彼女が。

 ルナは、羨ましいと感じた。

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