二人の少女と吸血鬼

@kain_aberu

第1話

 深夜。既に村の住民達は寝静まり、村内には暗黒と静寂だけが下りていた。

 だけど……その男にとっては今の時間こそが、もっとも活動出来る時間だ。忌まわしい太陽の光も、既にこの闇に閉ざされた刻限になれば届かない。

 男は足元に目をやる。一人の女がそこに跪いていた。白いシスター服に身を包んだ十代半ばの少女、『眷属』に命令して捕らえさせた村の少女。村の若い男達が抵抗したものの、自分の使い魔達によって抵抗する者は殺され、生き残ったのは抵抗する気力すらも無い者達だ。そんな人間共の姿を眺めることは、男にとっては素晴らしい快感を得られる時間だ。そうした人間共の感情こそが、男にとっては喜びであり。同時に……

 女に向かって手を伸ばす。微かに身体を震わす少女。純潔の、男を知らぬ無垢な少女。

 使い魔達は良い仕事をしてくれた、この少女の目の前で少女の父と兄、婚約を約束した恋人などを次々と殺し、血肉を喰らい尽くした、そして残ったのは彼女の母一人、心の優しいこの少女は、その凄惨な光景を見て、これ以上家族を傷つけ無いでほしい、と懇願して自分からここに来た。

 それで良い。

 完全に心が砕けた人間の『血』こそが……

 自分にとっては、もっとも美味な食事となる。

 じじじ、と、壁に掛けられた燭台の上で灯る蝋燭の火が音をたてる。

 揺らめく炎に照らされ、今の自分の姿は少女にはどのように見えているのだろう? 顔をいつまでも伏せていてはそれも解らない。

「顔を上げろ」

 その言葉に……

 少女がゆっくりと……

 ゆっくりと、顔を上げる。

 口元を覆う黒いベール。

 頭に被る布。

 それらに覆われて顔ははっきりとは見えない。唯一見えるのは目元だけ。そして……

 その瞳に浮かぶ色は。

 強い、憎しみの感情。それと同時に……

 きらり、と輝く何かが伸ばした掌に押し当てられる。じゅうう、という音と共に押し当てられたのは銀製の十字架だ。そのまま少女は懐から取り出した小瓶に入った液体を、ぶんっ、とこちらに向かってふりかけた。

 ぴしゃっ、と顔にかかったのは……

「聖水か」

 男はくくく、と笑う。

 少女は無言で立ち上がり、手に押しつけていた十字架を額に押し当てる。

 じゅうう、と音がして白い煙が立ち上る。だけど……

「どうした?」

 男は楽しそうに問いかける。

 少女が、ぎりっ、と歯ぎしりする音がした。

 煙が噴き上がっているのは男の額では無く……

 十字架を握りしめた、少女自身の手……

「無駄だ」

 男は楽しそうに笑い、額に押し当てられる十字架にちらりと視線を走らせる。

「それなりの『力』が込められている代物の様だがな、私の様な真性の『吸血鬼』には多少熱い程度で、どうという事は無い、むしろ……」

 男は笑いながら、少女の顔を見る。

「お前の方が、辛いのでは無いか?」

 少女は何も言わない。それでもベールに覆われた顔に、明らかに汗の玉が浮かんでいた、苦痛に必死に耐え忍んでいるというのが解る姿だ。男は笑いながら、少女の手に握られた十字架を払い落とした。

 ちゃり、と音がして十字架が床に落ちる。

 少女は黙ったままで、じっと男の顔を睨み付けていた。

「……どれ」

 男は言いながら、少女の手を取る、火串でも押しつけられたかのように、その掌は焼け爛れていた。男は笑いながら、その手を強引に開かせ、掌をそっと撫でる。それだけで爛れていた皮膚が一瞬で元に戻る。

「残念だったな?」

 ふふ、と。男は笑う。少女はまだ無言のままで男を睨み付けていた。

 男は笑いながら、ゆっくりと右手を伸ばす。その手の爪がいつの間にか長く伸び、口元のベールをぶつ、と切り裂いた。

 ぱらりとベールが落ち、その下から露わになったのは……

 十代半ば、という年齢の少女の顔。鋭く男を睨めつける眼差し、ぎりりと歯ぎしりし、むき出しになった歯。それは鋭く尖った牙。赤く輝く瞳、それは紛れも無く吸血鬼のそれだ。

 男は、それを見てまた笑う。

「どうやら今宵も、お前は失敗したようだな? ルナ」

「……そうみたいですね、我が主……」

 少女。ルナはふん、と鼻で笑って言う。

「レン様」

 目の前の男に恭しく一礼して告げる。

「……それで?」

 男。

 レンが楽しそうに問いかける。

「本当の、今宵の『贄』はどうした?」

「逃がしましたよ、今頃は村の外に……」

 がしゃあんっ!! と大きな音が響いた。

「っ!?」

 ルナはぎょっとして顔を上げる。

 村の外れにある大きめの教会。正面には祭壇が置かれ、その上にはステンドグラスがある。そのステンドグラスが粉々に砕け散り、飛び込んで来たのは巨大な蝙蝠だ。ばさっ、と翼を広げながら、男の前までゆっくりと下降して来る。その足に掴まれているのは……

「……っ」

 ルナは歯ぎしりする。そこに掴まれていたのは一人の少女。ルナと同じくらいの年齢と背丈の栗色の髪の少女だ。村に暮らしていた少女、敬虔なシスターで、この教会に来るときはいつもシスター服を着ている。だからこそこの格好をしていればバレる事は無い、と思っていたのに……

「残念ながら」

 レンが言いながら、バカにした様にルナの顔を見る。

「お前はまたしても、私を出し抜く事は出来無かった、という訳だ」

 ふふふ、と。

 レンは笑う。ルナは立ち上がり、さっき払い落とされた十字架を再び手に掴もうとする。

 だが……

 ばさっ、と羽音が響き、先ほどの蝙蝠がルナの背中にのしかかり、その足で身体をだんっ、と床の上に押さえ付ける。

「ぐっ……」

 ルナは呻く。

 やがて少女がゆっくりと……

 ゆっくりと、目を開ける。

「……う……うう……」

 呻く少女の顔を、レンがそっと覗き込む。

 否。

 覗き込んでいるのは……彼女の両目だ。その瞬間……

「……っ」

 少女の身体がびくっ、と震え、そのままぴたりと動きを止める。

「や 止めて!!」

 ルナは言うが、レンは何も言わずに、少女の目を見ながら言う。

「立て」

 その言葉に少女はゆっくりと……

 ゆっくりと、身体を起こして立ち上がった。

「お願い、止めてっ!! 血なら私の……」

 ルナは叫ぶ様に言う。だがレンはちらり、とこちらを見るだけだ。

「約束を忘れてはいないだろう? 貴様は私を出し抜けなかった、それ故にこの小娘は……」

 ルナはぎりり、と歯ぎしりする。

「我が『贄』となる」

 言いながらレンは、スパッ、と……

 長く伸びた爪で、少女の喉を斬り裂く。

 ぶしゅううう、と……

 赤黒い血が、少女の喉から噴き出す。少女はそれでも苦痛に顔を歪める事すらせず、むしろ吹き出した血を、より一層レンに浴びせるかのように、首を傾けて身体を後ろに反らす。そのままレンは大きく口を開け、喉に食らいついた。

 少女の身体が見る見るうちに干からびて行く……そのまま骨と皮ばかりになった少女の身体が、から、と音をたてて床に倒れる。

 ルナはそれを見ながら……

 ただ……

 ただ、嗚咽を漏らしていた。




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