第28話
それから、五年後。
バルバロッサ帝国は、かつてない黄金時代を迎えていた。
軍事力は大陸最強。
経済力は世界一。
そして、行政の効率性は「神の御業」と称されるほど洗練されていた。
その中心にいるのは、もちろん私だ。
「……却下。この『皇帝陛下生誕祭』の予算、ケーキのサイズが大きすぎます。カロリー過多です。半分にしなさい」
帝城の執務室。
私は積み上げられた書類の山を、機関銃のような速度で処理していた。
「は、はいっ! 直ちに修正します、シルビア皇后陛下!」
文官たちが震え上がる。
彼らの動きは洗練されている。
かつての筋肉一辺倒だった彼らも、今や「電卓片手にベンチプレスができる」ハイブリッド官僚へと進化していた。
「シルビア。根を詰めるなよ」
背後から、低い声がかかる。
ルーカスだ。
彼は今や皇帝として、帝国の頂点に君臨している。
「休憩だ。茶が入ったぞ」
彼が差し出したのは、湯気を立てるティーカップ。
香りが良い。最高級の茶葉だ。
「ありがとうございます、あなた。……ですが、まだ北方の鉄道敷設計画の精査が」
「あとだ。俺とのティータイムより優先すべき仕事など、この世に存在しない」
彼は強引に私のペンを取り上げ、隣のソファに座らせた。
「……相変わらず、強引ですね」
「お前が放っておくと死ぬまで働きそうだからな」
ルーカスはニヤリと笑い、私の隣にドカッと腰を下ろした。
五年経っても、その野性味と、私への溺愛ぶりは変わっていない。
むしろ、年々悪化している気さえする。
「そういえば、シルビア。例の『元王子』の噂を聞いたか?」
「レイド殿下ですか? いいえ、興味がないので」
私は紅茶を一口すすった。
「風の噂によると、隣国のサーカス団で『空飛ぶ人間大砲』として人気を博しているそうだ」
「……は?」
「あの御前試合での『吹っ飛び芸』が評価されたらしい。今では『キャプテン・レイド』と呼ばれ、マリアとかいう助手と一緒に、地方巡業をしているとか」
「……」
私はカップを置き、天を仰いだ。
「適材適所、ですね。彼もようやく、自分の才能を生かせる天職に出会えたようで何よりです」
「ククク、違いない」
かつての婚約者と、彼を奪ったヒロイン。
彼らが泥にまみれながらも、逞しく生きていると聞いて、私は少しだけ笑ってしまった。
「ママ! パパ!」
その時、執務室の扉がバンッ! と開かれた。
入ってきたのは、四歳になる私たちの息子、レオンだ。
彼は右手に自分の身長ほどもある木刀を引きずり、左手には分厚い『帝国六法全書』を抱えている。
「どうした、レオン。また財務大臣を論破したのか?」
ルーカスが目を細めて息子を迎える。
「違うよパパ! 剣の稽古をしてたんだけど、道場の床材の摩擦係数が気になって! これじゃあ効率的な足運びができないから、予算申請書を書いてきたの!」
レオンは私のデスクに、拙い字で書かれた(しかし書式は完璧な)申請書を叩きつけた。
「……」
私は申請書を手に取り、内容を確認した。
『件名:道場床材の改修について』
『理由:滑りやすさによる修行効率の低下(損失概算:金貨五枚/日)』
『要求:南国産の特注木材への張り替え』
「……完璧なプレゼンね」
私は思わず唸った。
「ですがレオン。南国産の木材は輸送コストがかかります。国内産のヒノキで代用した場合の比較見積もりは?」
「あ、それは考えてなかった……」
「やり直しです。コストパフォーマンスを意識しなさい」
「うう……ママ、厳しい……」
レオンは頬を膨らませたが、すぐに「次は完璧にするもん!」と言って、計算しながら走り去っていった。
「……将来有望だな」
ルーカスが満足げに頷く。
「ええ。貴方様の筋肉と、私の頭脳。……とんでもない『ハイブリッド悪役』が育ちそうです」
「世界を征服する日も近いな」
「世界征服なんて面倒なことはさせませんよ。管理コストが莫大ですから」
私たちは顔を見合わせて笑った。
窓の外には、帝都の美しい街並みが広がっている。
かつて煤煙にまみれていた空は、魔力フィルターの導入によって澄み渡り、整備された街道には人々の笑顔があふれている。
私が作り、彼が守った国。
「シルビア」
ルーカスが私の手を握った。
「幸せか?」
唐突な問いかけ。
私は少し考えて、いつものように答えた。
「そうですね。GDPは右肩上がり、失業率は過去最低、外貨準備高も潤沢です。客観的数値に基づき、非常に幸福度の高い状態であると推測されます」
「……お前なぁ」
ルーカスは苦笑し、私の腰を引き寄せた。
「数字じゃなくて、お前の心の話だ」
金色の瞳が、至近距離で私を見つめる。
そこには、出会った頃と同じ――いいえ、それ以上の熱量が宿っていた。
私は観念して、小さく微笑んだ。
「……計算外のことばかりですが」
私は彼の方に体を預けた。
「退屈しませんね。毎日が刺激的で、忙しくて、騒がしくて。……貴方様との生活は、どんな宝石よりも価値があります」
「素直でよろしい」
ルーカスは満足げに、私の唇にキスを落とした。
「これからも頼むぞ、俺の参謀。……いや、最愛の妻よ」
「ええ。死ぬまで管理して差し上げますわ、私のボス」
私たちはキスをした。
甘く、長く、そして少しだけ書類のインクの匂いがするキスを。
悪役令嬢として婚約破棄され、隣国の皇太子に拉致され、いつの間にか皇后になってしまった私。
スローライフの夢は遠のいたけれど。
この忙しくも愛おしい日々こそが、私にとってのハッピーエンドなのかもしれない。
「さあ、休憩終わりです! 午後の公務が詰まっていますよ!」
「鬼かお前は!」
「鬼嫁ですが何か?」
私はペンを取り、再び書類の山に向かった。
その薬指には、青いサファイアの指輪が、永遠の愛を誓うように輝いていた。
悪役令嬢の華麗なる敗北宣言! パリパリかぷちーの @cappuccino-pary
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