第22話

「……却下。却下。これも却下。全部やり直しです」


帝国の会議室。


私の目の前には、分厚い書類の束が積み上げられていた。


タイトルは『皇太子ルーカス殿下・シルビア嬢 ご成婚パレードおよび披露宴 予算案』。


その末尾に記された総額を見て、私は即座に赤ペンを取り出し、豪快なバツ印をつけた。


「なっ……! し、シルビア様! 何をなさるのですか!」


悲鳴を上げたのは、帝国の儀典長である年配の貴族だ。


「何を、ではありません。この数字を見てください。国家予算の三ヶ月分? 貴方たちは結婚式をするつもりなのですか? それとも新しい城を建てるつもりなのですか?」


「と、当然です! 帝国の威信をかけた世紀の結婚式なのですよ!? これくらい盛大にやらねば、他国に示しがつきません!」


儀典長が顔を真っ赤にして反論する。


「見てください、この『ドラゴン百頭による編隊飛行』! 素晴らしい迫力でしょう!」


「ドラゴンの燃料費と、飛行ルート周辺の住民への騒音対策費が計上されていません。それに、もし一頭でも暴れたら大惨事です。リスク管理がなってない。却下」


「で、ではこの『金粉入りワインの泉』は!?」


「服が汚れます。あと味が悪くなります。普通のワインで十分です。却下」


「この『新郎新婦の純金製・等身大像』の建立は!?」


「邪魔です。誰が掃除するんですか。却下」


私は次々とページをめくり、無慈悲に項目を削除していく。


「ああっ……私のプランが……伝統が……!」


儀典長が崩れ落ちる横で、ルーカス殿下が退屈そうにあくびをしていた。


「おいシルビア。そんなにケチるなよ。一生に一度だぞ? 俺としては、俺たちの愛の大きさを物理的に表現したいんだが」


「愛の大きさを金額で表現しようとするのは、成金の発想です」


私は殿下をピシャリと叱った。


「いいですか、殿下。結婚式とは『見世物』ではありません。『収益事業』です」


「……は?」


「ご祝儀の相場、列席者の数、そして引き出物の原価。これらを計算し、最終的にプラス収支にならなければ、やる意味がありません」


私はホワイトボードに向かい、キュッキュッと書き込みを始めた。


「今回の目標は『黒字化』です。派手な演出で赤字を出すなど、私のプライドが許しません」


「……結婚式で黒字を目指す花嫁なんて、史上初じゃないか?」


「伝説になりましょう。さて、まずは衣装代の削減から……」


「待て」


殿下が手を挙げた。


「衣装だけは譲れん。俺の妃になるんだ。世界一のドレスを着ろ。布地は最高級のシルク、宝石はダイヤモンド、刺繍は金糸だ」


「重いので嫌です。肩が凝ります」


「魔法で軽くする! とにかく、お前が一番輝く姿を見たいんだ! これは俺の『趣味』だ!」


殿下が子供のように駄々をこねる。


「……はぁ。分かりました。では、ドレスは殿下のポケットマネー(小遣い)から出すなら許可します」


「よし、乗った!」


「その代わり、料理のランクは落としませんよ。お客様満足度(CS)に直結しますからね。……削るべきは『演出』です」


私は儀典長に向き直った。


「お色直しの回数、五回とありますが、一回で十分です。着替えている時間が無駄です。その分、私が高砂で列席者にご祝儀の……いえ、感謝の挨拶をする時間を増やします」


「む、無茶苦茶だ……」


儀典長が泣いている。


「次に、招待客リスト。三千人? 多すぎます。顔も知らない遠い親戚や、名前しか知らない貴族はカット。本当に親しい人と、今後ビジネスでお世話になりそうな『太客』に絞ってください」


「太客……」


「最後に、ケーキ入刀。……なんですかこの『高さ五十メートルのウェディングケーキ』というのは」


「塔です! 愛の塔です!」


「倒壊の危険があります。建築基準法違反です。三段で十分です」


私はバッサバッサと切り捨てていく。


その様子を見ていた筋肉文官たちが、ヒソヒソと話し合っている。


「すげぇ……あの儀典長が言い返せねぇ……」

「俺たちの結婚式、あねごにプロデュースしてもらおうかな……」

「予算内で最高の式になりそうだよな……」


一時間後。


当初の予算案は、およそ十分の一にまで圧縮されていた。


「……ふう。これでスッキリしましたね」


私は満足げにペンを置いた。


「浮いた予算は、新居のセキュリティ強化と、将来の子供の教育費……あと、老後の貯蓄に回します」


「まだ結婚もしてないのに、老後の話かよ」


ルーカス殿下が苦笑しながら立ち上がった。


「だがまあ、悪くない。シンプルだが、中身の詰まった式になりそうだ」


「ええ。無駄を削ぎ落とした先にこそ、本質的な美しさが宿るのです」


私がドヤ顔で言うと、殿下は突然、私の腰を引き寄せた。


「なら、今夜の『予行演習』もシンプルに行くか?」


「……はい?」


殿下が耳元で囁く。


「式本番まで待てないんだが」


「……っ!!」


私の顔がトマトのように赤くなった。


「ば、バカなことを言わないでください! ここは会議室です! 神聖な予算審議の場です!」


「俺にとっては、お前といる場所すべてが寝室だ」


「警察呼びますよ!?」


「俺が法律だ」


殿下が顔を近づけてくる。


儀典長や文官たちが「あ、俺たち空気読みますね」「撤収ー!」と言って、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「ちょ、ちょっと! 逃げないで! まだ引き出物のカタログ選定が……!」


「シルビア」


殿下の熱い視線が、私を逃がさない。


「愛してるぞ。……その、ケチで現実的なところも含めてな」


「……褒め言葉に聞こえません」


私は諦めて、ため息をついた。


「……ドレス代、予算オーバーしたら許しませんからね」


「任せろ。俺の全財産をかけて、お前を世界一幸せな花嫁にしてやる」


甘いキスが降ってくる。


頭の中の計算機が、ショートして動かなくなった。

まあいい。

今日くらいは、計算を休んで、この筋肉バカの愛に溺れてあげてもいいかもしれない。


……ただし、明日の朝にはしっかり請求書を書かせてもらうけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る