第21話

「……素晴らしい。完全な屈折率、内包された魔力量、そして何よりこの重量感」


帝国の執務室。


私は窓辺に立ち、朝日に透かした『星の涙(スター・ティア)』をうっとりと眺めていた。


昨晩のギャンブルで巻き上げた、国家予算十年分のダイヤモンドだ。


「これを粉砕して魔力発電の炉にくべれば、帝都の電気代が半世紀タダになりますね。あるいは、細かくカットして貴族たちに売りつければ、さらに資産を倍増できるかも……」


私の頭の中で、黄金色の計算機が弾かれる音がする。


「おい、シルビア。朝から石ころ相手にニヤニヤするな。気味が悪いぞ」


ソファでくつろいでいたルーカス殿下が、呆れたように声をかけてきた。


「石ころではありません。『固形化された希望』です」


私はダイヤを専用のケース(厳重な封印付き)にしまい、デスクに戻った。


「それで、殿下。入りましたか? 『あの国』の最新情報は」


「ああ、ついさっき諜報員から報告があった」


殿下は一枚の羊皮紙をヒラヒラとさせた。


「結論から言おう。……ランカスター王国は、終わった」


「詳細を」


「お前の元婚約者が『星の涙』を持ち出したことが国王にバレて、勘当されたそうだ。王籍剥奪、平民への降格処分だ」


「妥当な判断ですね。むしろ遅すぎたくらいです」


私はコーヒーを一口すすった。香ばしい香りが鼻を抜ける。


「で、その元王子は?」


「城を追い出され、今は宿無しだそうだ。借金取りに追われて、下水道を逃げ回っているらしい」


「……プッ」


私は思わず吹き出した。


「下水道? あの潔癖症のレイド殿下が? 泥水で顔を洗う日が来るとは、因果応報もここまで来ると芸術的ですね」


「さらに笑えるのが、あのピンク頭の女だ」


「マリア様ですか? どうせ『愛があれば平民でも幸せですぅ!』とか言ってついて行ったのでしょう?」


「いいや。レイドが平民になった瞬間、『生理的に無理』と言って別れを告げたそうだ」


「……速い」


私は感心した。


「彼女の切り替えの早さは、私の事務処理速度に匹敵しますね」


「今は、隣国の富豪商人の愛人に収まったらしい。『パパ活』とか言っていたぞ」


「たくましい……。ある意味、彼女こそ最強のサバイバーかもしれません」


私はカップを置き、窓の外――遠く離れた故郷の方角を見た。


かつて私が身を粉にして支えていた国。

私が去り、財産がなくなり、王族が愚行を重ねた結果、脆くも崩れ去った砂上の楼閣。


「……悲しくないのか?」


殿下が静かに尋ねた。


「お前が生まれ育った国だろう」


「悲しい?」


私は首を傾げた。


「いいえ。むしろ清々しいです。腐った患部を切除できたのですから、あの国の人々にとっても、長い目で見れば良かったのですよ」


私は冷徹に言い放った。


「無能な王族の下で搾取され続けるより、一度リセットして新しい体制を作った方が合理的です。……まあ、その引き金を引いたのは私ですが」


「ククク……本当に、お前は悪党だな」


殿下は楽しそうに笑い、立ち上がって私のそばに来た。


「だが、そこがいい。お前のその冷酷さは、ダイヤモンドよりも美しいぞ」


「お世辞は結構です。それより殿下、今日の予定は?」


「今日は仕事はない。お前に見せたいものがある」


「見せたいもの? 新しい筋肉トレーニング器具ですか?」


「違う。……ついて来い」


殿下に連れられてやってきたのは、城の地下深くに存在する『大金庫室』だった。


巨大な鉄の扉。

幾重にも張り巡らされた魔法結界。


殿下が掌をかざすと、重厚な音を立てて扉が開いた。


「うわぁ……」


中に入った瞬間、私は言葉を失った。


そこは、金色の海だった。


床一面に敷き詰められた金貨、銀貨。

壁際の棚に並ぶ宝飾品、魔導具、古代の遺物。


「これが帝国の全財産だ」


殿下が誇らしげに腕を広げた。


「先代たちが戦争で奪い……いや、集めた富の結晶だ。そして、今回お前が稼いだ『星の涙』や賭けの収益も、ここに加わる」


「……目が眩みそうです」


私は正直な感想を漏らした。


これだけの資産があれば、何でもできる。

国を買うことさえ可能だろう。


「シルビア」


殿下が、金貨の山の上で私を振り返った。


「俺は、この国庫の管理を、誰に任せるかずっと悩んでいた」


「……はあ。まあ、ガンダル将軍に任せたら、三日で武器に変えてしまうでしょうしね」


「そうだ。俺の部下は筋肉バカばかりだ。金を持たせればロクなことに使わん」


殿下は一歩、私に近づいた。


「だが、お前なら違う。お前なら、この莫大な富を腐らせることなく、さらに増やし、国を富ませることができる」


「それは……まあ、私の専門分野ですから」


「だから、シルビア」


殿下は私の手を取り、その指にそっと口づけをした。


金色の瞳が、真剣な光を帯びて私を見つめる。


「お前に、この鍵を預けたい」


殿下のもう片方の手には、あの夜、どんぐりの隣にあった『国庫の鍵』が握られていた。


「……雇用契約の更新ですか?」


私は鼓動を抑えながら聞いた。


「いいや」


殿下は首を横に振った。


「これは『永久就職』のオファーだ」


「……え?」


「俺の妃になれ、シルビア」


直球だった。


変化球も、駆け引きもない、剛速球のプロポーズ。


「俺の隣で、この国を支配しろ。俺が武力で敵を蹴散らし、お前が知力で国を治める。……最強のペアだと思わんか?」


「…………」


私は口を開けて、殿下を見つめ返した。


ロマンチックな言葉はない。

愛しているとか、一生守るとか、そういう甘いセリフは一つもない。


ただ、「一緒に世界を支配しよう」という、悪党同士の契約のような誘い文句。


でも。


(……ああ、なんてこの人らしいのかしら)


私の心臓が、金貨の輝き以上に激しく跳ねた。


レイド殿下の「君の能力を愛してる」という言葉には反吐が出たのに。

ルーカス殿下の「俺の隣で支配しろ」という言葉には、背筋がゾクゾクするほどの歓喜を覚える。


それはきっと、彼が私を「道具」としてではなく、「対等な共犯者」として見ているからだ。


「……条件を確認させてください」


私は震える声で言った。


「な、なんだ? まだ条件があるのか?」


殿下が少し不安そうにする。


「休暇は?」


「好きな時に取れ。俺も一緒に行く」


「食事は?」


「毎日、最高級の肉を食わせる。……チッ、野菜もだ」


「……私の発言権は?」


「俺と同等……いや、財務に関しては俺以上だ。お前が『ダメ』と言えば、俺は新しい剣一本買えん」


完璧だ。

これ以上の好条件は、世界中どこを探してもないだろう。


私は、ゆっくりと深呼吸をして、そしてニヤリと笑った。


「……悪くありませんね」


私は殿下の手から、国庫の鍵を受け取った。


「謹んで、お受けいたします。ボス……いいえ、ルーカス様」


「!」


殿下の顔が、パァッと輝いた。

太陽のような、少年のように無邪気な笑顔。


「やった……! 勝った! 俺の勝ちだ!」


殿下は突然、私を抱き上げた。

高い高いをするように、空中でくるりと回る。


「きゃっ! 殿下、危ないです! 下は金貨ですよ!」


「関係あるか! 嬉しいんだよ!」


殿下は私を降ろすと、そのまま強く抱きしめた。


「約束するぞ、シルビア。お前を絶対に飽きさせない。毎日が刺激的で、退屈しない最高の日々をくれてやる」


「ええ。期待していますわ」


私は殿下の広い背中に手を回した。


「ですが覚悟してくださいね? 私の財布の紐は、ダイヤモンドより固いですから」


「望むところだ」


金貨の山に囲まれて、私たちは初めての口づけを交わした。


甘いムードなどない、鉄と金と筋肉の匂いがするプロポーズ。

けれど、悪役令嬢の私には、これ以上ないほどお似合いのハッピーエンドの始まりだった。

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