第20話
「ようこそ、運命のテーブルへ! ここは地獄の一丁目、それとも天国への階段か!」
国境の川に浮かぶ巨大なカジノ船『ゴールデン・ドリーム号』。
その最上階にあるVIPルームは、異様な熱気に包まれていた。
中央に置かれた緑色の羅紗(ラシャ)が張られたテーブル。
それを挟んで対峙するのは、私とルーカス殿下、そして対面に座るレイド殿下だ。
「待っていたよ、シルビア。逃げずに来たことを褒めてあげよう」
レイド殿下は、白のタキシードに赤いバラを胸に挿し、キザに脚を組んでいる。
その顔色は相変わらず悪いが、瞳だけはギラギラと不気味に輝いている。
そして、その横には。
「レイド様ぁ、頑張ってぇ! 愛は勝つぅ!」
ウサギの耳をつけ、露出度の高いバニースーツ(ただしサイズが合っていない)を着たマリア嬢が、ポンポンを振っていた。
「……殿下」
私は隣のルーカス殿下に小声で囁いた。
「帰っていいですか? 視覚的な公害が酷すぎます」
「我慢しろ、シルビア。あのテーブルの上にあるモノを見ろ」
殿下の視線の先には、テーブル中央に鎮座する、握り拳大の巨大なダイヤモンドがあった。
『星の涙(スター・ティア)』。
その輝きは本物だ。照明を反射し、七色の光を放っている。
「……ゴクリ」
私の喉が鳴った。
あれ一つあれば、帝国の道路をすべて舗装し、下水道を完備し、さらに公務員の給与をベースアップできる。
「やります。どんな汚いモノを見せられようと、あの石のためなら耐えてみせます」
私は気合を入れ直し、席に着いた。
「ルールは『ドローポーカー』。手札は五枚、交換は一回。チップが尽きた方の負けだ」
ディーラーが厳かに宣言する。
「さあ、始めようか! 僕の愛の奇跡を見せてやる!」
レイド殿下が自信満々に宣言した。
『ゲーム、スタート!』
***
最初の数局は、静かな探り合い……にはならなかった。
「ふっふっふ……来たよ、来たよ!」
レイド殿下は、配られたカードを見た瞬間にニヤニヤし始めた。
分かりやすい。顔に「良い手が入りました」と書いてある。
「ベットだ! チップ百枚!」
「……コール」
私は冷静に応じる。
カードオープン。
「ジャジャーン! フルハウスだ!」
レイド殿下が叩きつけたのは、キングとクイーンのフルハウス。
「……強いですね」
私は手札(ブタ)を伏せた。
「ハッハッハ! 見たか! これが愛の力だ! マリアが僕に幸運を運んでくれるんだ!」
「すごぉいレイド様ぁ! やっぱり私たちは運命で結ばれてるんですぅ!」
マリア嬢がレイド殿下に抱きつき、チューをする。
「……ケッ」
ルーカス殿下が不機嫌そうに舌打ちした。
「おいシルビア、負けてるぞ。俺が斧でテーブルを叩き割ろうか?」
「待ってください。まだ『確率の偏り』の範囲内です」
私は冷静にチップを支払った。
「ポーカーにおいて、初心者が最初に勝つのはよくあること(ビギナーズ・ラック)。重要なのは、それを維持できるかどうかです」
続く第二局、第三局。
信じられないことに、レイド殿下の快進撃は続いた。
「フラッシュ!」
「ストレート!」
「またまたフルハウス!」
「……おいおい、イカサマか?」
ルーカス殿下が殺気立つ。
「いえ、ディーラーの手元は見ていますが、不正な動きはありません。……純粋に、運が良いようです」
私は眉をひそめた。
レイド殿下のような、人生のすべてを他人に依存してきた人間が、ここぞという場面で異常な豪運を発揮する。
これが『主人公補正』というやつだろうか。
私のチップは、すでに半分近くまで減っていた。
「どうしたどうした、シルビア! もう終わりか?」
レイド殿下はチップの山を積み上げ、勝ち誇った顔で私を見下ろした。
「計算? 確率? そんな理屈じゃ、僕の『情熱』には勝てないんだよ! さあ、降参して僕の胸に飛び込んで来い!」
「……お断りします」
私は手元の残り少ないチップを見つめ、静かに息を吐いた。
「殿下」
「なんだ、シルビア。交代するか?」
「いいえ。……そろそろ『観察』を終えて、『狩り』に移行します」
「ほう?」
私は顔を上げた。
その表情から、一切の感情を消し去る。
「レイド殿下。貴方様には致命的な弱点があります」
「弱点? 負け惜しみか?」
「いいえ、事実です。貴方様は……『嘘』がつけない。いい意味でも、悪い意味でも」
私はディーラーに合図を送った。
「レートを上げましょう。ここからは『ノーリミット(無制限)』で」
「望むところだ! 一気に決着をつけてやる!」
運命の第四局。
カードが配られる。
私は手札を確認した。
ハートの10、ジャック、キング、エース。そして、ダイヤの3。
(……あと一枚で、ロイヤルストレートフラッシュ)
確率は天文学的に低い。だが、不可能ではない。
私はダイヤの3を捨て、カードを一枚交換した。
来たのは――ハートのクイーン。
「…………」
完成した。
最強の手役。
しかし、私は眉一つ動かさず、小さく溜息をついてみせた。
「……はぁ。またダメですね」
「お? 手が悪いのか?」
レイド殿下が食いついてきた。
彼は自分のカードを見て、満面の笑みを浮かべている。
「僕は最高だぞ! 交換なし(スタンド・パット)だ!」
彼はチップの山をすべて中央に押し出した。
「オールイン(全賭け)だ! これでお前は終わりだ、シルビア!」
「……全財産ですか?」
「ああ! 僕の勝ち金と、この『星の涙』。すべてを賭ける!」
テーブルの中央に、巨大なダイヤとチップの山が積まれた。
その総額、国家予算十年分。
「受けて立つか? それとも尻尾を巻いて逃げるか?」
レイド殿下が挑発する。
マリア嬢も「逃げちゃダメですぅ! 正々堂々と散ってください!」と煽ってくる。
私はチラリとルーカス殿下を見た。
「殿下。もし私が負けたら、私はレイド殿下のものになりますが」
「構わん」
殿下は腕を組み、ふんぞり返っていた。
「お前が負けるはずがない。俺はお前の『悪党としての才能』を信じている」
「……信頼が重いですね」
私はニッコリと微笑んだ。
「コール。全額受けます」
私も手持ちのチップと、ルーカス殿下がポケットから出した『帝国の国債証書』をテーブルに置いた。
「勝負だ!」
レイド殿下が勢いよくカードを開く。
「見ろ! フォーカードだ! エースのフォーカード!」
会場がどよめいた。
最強クラスの手役だ。これに勝てるのは、ストレートフラッシュのみ。
「ハハハハ! 勝った! 僕の勝ちだ! シルビア、愛しているぞおおお!」
レイド殿下が立ち上がり、両手を広げて勝利の雄叫びを上げる。
マリア嬢が「キャーッ! 素敵ぃ!」と抱きつく。
「……お騒がせですね」
私は静かに言った。
「まだ、私のカードを見ていませんよ?」
「は? 何言ってるんだ。エースのフォーカードに勝てるわけがないだろ?」
「ええ。普通ならね」
私はゆっくりと、一枚ずつカードを表に返していった。
ハートの10。
ハートのジャック。
ハートのクイーン。
ハートのキング。
ハートのエース。
「…………」
会場の時が止まった。
レイド殿下の笑顔が凍りつき、マリア嬢の動きが停止した。
「ロイヤル……ストレート……フラッシュ……?」
レイド殿下が、蚊の鳴くような声で呟いた。
「そんな……バカな……確率的に……ありえない……」
「ええ、奇跡ですね」
私は微笑んだ。
「ですが殿下。貴方様が『愛の力』でフォーカードを引いたように、私は『執念の力』……いえ、『金への執着』でこれを引きました」
私はテーブルの上のダイヤを指さした。
「この石が、私を呼んでいたのです。『もっと有効活用してくれ』と」
「う、嘘だ……イカサマだ! そんな手が!」
レイド殿下がテーブルに掴みかかろうとする。
しかし。
ドスッ!
ルーカス殿下の斧が、レイド殿下の指の直前――テーブルの縁に突き刺さった。
「……文句があるのか?」
地獄の底から響くような声。
「正々堂々の勝負だと言ったのはお前だ。負けたら潔く散れ」
「ひっ……!」
レイド殿下は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「あ、ああ……僕の……僕の国宝が……最後の希望が……」
「いただきまーす」
私は遠慮なく、ダイヤとチップの山を回収した。
重い。
物理的にも、経済的にも、素晴らしい重みだ。
「さあ、これで勝負ありですね」
私は立ち上がり、抜け殻になったレイド殿下を見下ろした。
「約束通り、私は帝国のものです。そしてこの石も」
「そ、そんな……シルビア……」
「マリア様。慰めて差し上げてください。今こそ貴女の『愛』の出番ですよ。お金がなくなっても、愛があれば幸せなんでしょう?」
「えっ……い、いや、それは……」
マリア嬢が後ずさりする。
「お金のない王子様なんて……ただの無職じゃないですかぁ……」
ボソッと言った本音が、静まり返った部屋に響いた。
「マ、マリア……?」
「あ、いや! なんでもないですぅ! あはは……」
不穏な空気が流れる中、私はダイヤを掲げた。
「では、撤収しましょう、ルーカス殿下。これ以上ここにいると、貧乏神が移りそうです」
「そうだな。今夜は祝杯だ」
私たちは意気揚々とカジノを後にした。
背後で、「待ってくれぇぇ!」「ダイヤ返してぇぇ!」という断末魔が聞こえたが、カジノのBGMにかき消された。
こうして、世紀のギャンブル対決は、私の完全勝利で幕を閉じた。
私の手元には、国家を揺るがすほどの財産と、最高のドヤ顔が残ったのだった。
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