第17話
「……肉、肉、また肉! この国には『野菜』という概念が輸入されていないのですか?」
御前試合の祝勝会。
王城の大広間では、勝利したルーカス殿下を祝う宴が開催されていた。
テーブルに並ぶのは、丸焼き、ステーキ、角煮、ハンバーグ。
茶色い。圧倒的に茶色い。
「文句を言うな。今日はめでたい日だ。カロリーは正義だ」
ルーカス殿下は上機嫌で、骨付き肉を豪快に齧っている。
「私の胃腸はそこまで頑丈ではありません。サラダを所望します。キャベツの千切りでもいいですから」
私は皿の上の肉塊を睨みつつ、小さく切り分けて口に運んだ。
周囲では、筋肉自慢の貴族や騎士たちが「殿下、あの一撃は凄かった!」「あいつの飛びっぷり、芸術点高かったな!」と盛り上がっている。
完全に男子校のノリだ。
「……ふう。少し酔いました」
肉の脂と熱気、そして男臭さに当てられた私は、グラスを置いて立ち上がった。
「どこへ行く?」
「バルコニーへ。外の空気を吸って、肺を洗浄してきます」
「俺も行く」
「来ないでください。貴方様は主役でしょう。ここで部下たちと筋肉談義に花を咲かせていてください」
「嫌だ。あいつらの話は『プロテインの味』か『ダンベルの重さ』しかない。飽きた」
殿下は私の返事も待たずに立ち上がり、私の腰に手を回した。
「エスコートしてやる」
「……ただの夜風に当たるだけですが」
私たちは喧騒を抜け、静かなバルコニーへと出た。
夜風が心地よい。
空には満月が輝き、庭園の木々が静かに揺れている。
「……静かだな」
殿下が手すりに肘をつき、夜空を見上げた。
「ええ。中が騒がしすぎますから」
「シルビア」
「なんですか」
「今日はお前の元婚約者を空に飛ばしたが……せいせいしたか?」
「そうですね。物理的に排除できたのは爽快でした。あそこまで綺麗に飛んでいくと、いっそ清々しいです」
私は正直に答えた。
「でも、少し心配ではあります」
「なんだ? まだあいつが気になるのか?」
殿下の声が少し低くなる。
「いいえ。彼が着水したお堀の水質汚染が心配です。あの金ピカ鎧の塗料、有害物質が含まれていないかしら」
「……お前、本当にブレないな」
殿下は呆れたように笑った。
その時だった。
「みーつーけーまーしーたーよー!」
背後から、怨念のこもったような声が聞こえた。
振り返ると、バルコニーの入り口に、ずぶ濡れの幽霊……ではなく、マリア嬢が立っていた。
ドレスは泥だらけ、髪には藻が絡まり、アイメイクが落ちてパンダのようになっている。
「……マリア様。ここは関係者以外立ち入り禁止区域ですが、警備はどうなっていますか?」
私は冷静に指摘した。
「警備なんて関係ないですぅ! シルビア様、許しません!」
マリア嬢がトテトテと近づいてくる。
その目には涙が溜まっていた。
「レイド様があんなに酷い目に遭わされて……風邪を引いて寝込んじゃったんですよ!? かわいそうだと思わないんですか!」
「自業自得です。喧嘩を売ったのはそちらでしょう」
「ひどい! やっぱり貴女は冷血女です! 悪魔です! 可愛くないです!」
マリア嬢は私をビシッと指さし、ルーカス殿下に向かって叫んだ。
「皇太子様! 目を覚ましてください! こんな可愛げのない、お金のことしか言わない女のどこがいいんですか!?」
彼女は必死に訴えた。
「私を見てください! 私はドジだけど一生懸命で、愛に生きてるんです! 女の子は守りたくなるような儚さが必要なんですよ! シルビア様みたいに、一人で生きていけそうな女は可愛くないじゃないですか!」
なるほど。
彼女の主張は、ある意味でこの世界の「ヒロイン像」を体現している。
無力で、純粋で、庇護欲をそそる存在。
それに比べて、私は確かに真逆だ。
「……そうですね。おっしゃる通りです」
私は扇子を開いた。
「私は可愛くありません。自分でも分かっています。ですから、殿下。そろそろこの『可愛い』マリア嬢を相手にしてあげてはどうですか? 私は肉の原価計算に戻りますので」
私が踵を返そうとした時。
ガシッ。
腕を掴まれた。
「……殿下?」
振り返ると、ルーカス殿下が真剣な眼差しで私を見ていた。
「待て。勝手に決めるな」
殿下は私を引き寄せ、マリア嬢を見下ろした。
「おい、ピンク頭」
「マ、マリアですぅ……」
「俺はな、ペットが欲しいわけじゃないんだ」
「えっ?」
「『守りたくなる』? 『儚い』? そんなものは邪魔なだけだ。戦場(ここ)は帝国だぞ? 俺の横に立つ人間に必要なのは、愛嬌じゃなくて『牙』だ」
殿下は私の肩を抱き寄せた。
「俺が欲しいのは、俺の背中を預けられる強さだ。俺が間違っていれば噛みつき、俺が暴れれば止め、国が傾けば支える。……そういう『対等な女』だ」
「で、でも……それじゃあ、癒しがないじゃないですかぁ……」
「癒し? こいつが俺の無駄遣いを叱ってくれる時が、俺にとって一番の癒しだ」
「……変態ですか?」
私は思わずツッコミを入れた。
殿下は私の言葉を無視して、ニヤリと笑った。
「それに、お前は勘違いしている」
「な、何をです?」
「シルビアは『可愛くない』と言ったな?」
殿下は私の顔を覗き込んだ。
至近距離。
金色の瞳が、夜の闇の中で燃えるように輝いている。
「俺には、こいつの『可愛くなさ』が、最高に可愛く見えるんだがな」
「…………は?」
思考が停止した。
「計算高いくせに、予想外のことで慌てる顔。金貨を見てニヤつく悪党面。そして今みたいに、不意打ちを食らって赤くなる顔」
殿下の指先が、私の頬をなぞる。
「全部、たまらなく可愛いぞ?」
「……っ!!」
私の顔から火が出た。
(な、な、なによそれ!? 文脈がおかしい! それは褒め言葉なの!?)
今までどんな嫌味や罵倒を受けても眉一つ動かさなかった私が、たった一言で動揺している。
「う、うそぉ……」
マリア嬢が絶句した。
「そんなのマニアックすぎますぅ……! 筋肉と思考回路が繋がってるんですかぁ……!」
彼女はショックのあまり膝をついた。
「もういい! 知らない! 勝手にイチャイチャしてればいいじゃないですか! ……うわぁぁぁん!」
マリア嬢は泣きながら走り去っていった。
二度目の敗走だ。
バルコニーには、再び静寂が戻った。
しかし、私の心臓はドラムロールのように鳴り響いている。
「……殿下」
「なんだ」
「今の発言は、マリア様を追い払うための演技ですよね?」
私は震える声で確認した。
「さあな」
殿下はとぼけるように夜空を見上げた。
「……肯定してください。でないと、私の精神的平穏が保てません」
「事実を言ったまでだ」
殿下は私の腰に回した手を強めた。
「俺は、お前がいい。他の誰でもない、お前がいいんだ」
「……それ、給料の話ですよね? 秘書官として優秀だという意味ですよね?」
「鈍いな。それとも、わざとか?」
殿下が顔を近づけてくる。
唇が触れそうな距離。
私はパニックになり、とっさに叫んだ。
「あ、明日の朝食のメニュー! 変更を申請します! 野菜を! 野菜を食べないと、その……脳の血管が詰まって変なことを言い出すんですよ!」
私は殿下の腕をすり抜けて、逃げるようにバルコニーの扉へ走った。
「お、おやすみなさいませ!」
「……逃げたか」
背後で殿下の楽しそうな笑い声が聞こえた。
「まあいい。外堀は埋めた。あとは……ゆっくりと攻略(おと)すだけだ」
そんな独り言は、夜風にかき消されて聞こえなかった。
部屋に戻った私は、ベッドに顔を埋めて足をバタバタさせた。
「なによ、あの筋肉皇太子……! 調子が狂うじゃない……!」
鏡を見ると、私の顔は熟れたトマトのように真っ赤だった。
こんな顔、絶対に誰にも見せられない。
「……可愛くないのが可愛い、だなんて」
その言葉が、頭の中でリフレインする。
(……慰謝料に上乗せしてやるんだから)
私は枕をギュッと抱きしめた。
その夜、私はなかなか寝付けず、羊の代わりに金貨を数えたが、五千枚数えても殿下の顔が消えなかった。
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