第16話
「さあさあ、張った張った! 帝国の『狂犬』ルーカス殿下が勝つか、王国の『愛の戦士』レイド殿下が勝つか! 世紀の一戦ですよ!」
快晴の空の下、帝都の中央闘技場。
五万人を収容する巨大なスタジアムは、熱狂の渦に包まれていた。
しかし、私がいるのは特等席ではない。
観客席の一角に設営された、臨時の『ブックメーカー(賭け屋)』ブースだ。
「お嬢ちゃん! ルーカス殿下に金貨百枚だ!」
「俺もだ! 全財産いくぞ!」
「あっちのヒョロい王子に賭ける奴なんているのか!?」
帝国の筋肉自慢たちが、我先にと金貨を投げ込んでくる。
私は高速で計算し、オッズ表を書き換えていく。
「はい、ルーカス殿下のオッズは1.0001倍です。勝っても手数料でマイナスになる可能性がありますが、よろしいですか?」
「構わねえ! 殿下の勝利は確実だからな!」
「承知しました。……えー、レイド殿下のオッズは現在、五万倍です! 五万倍ですよ! 夢を見たい方はいませんか?」
「…………」
シーン。
誰一人として手を挙げない。
「シルビア様ぁ! 私も賭けますぅ!」
そこへ、ピンク色のドレスを着たマリア嬢が割り込んできた。
「レイド様に賭けます! 私の全財産……えっと、銀貨三枚!」
「……マリア様、全財産がそれだけですか? 昨日の罰金で素寒貧(すかんぴん)になったのですか?」
「愛の力で増やすんですぅ! 五万倍なら大金持ちです!」
「では受理します。奇跡が起きるといいですね」
私は憐れむような目でチケットを渡した。
その時、闘技場にファンファーレが鳴り響いた。
『これより、両国の友好(?)を記念した御前試合を開始する!!』
実況の声と共に、二つのゲートが開く。
まず東側から現れたのは、金ピカのフルプレートアーマーに身を包んだレイド殿下だ。
兜には巨大な羽飾りがつき、マントには王家の紋章が刺繍されている。
「見ろ、シルビア! この輝く姿を!」
レイド殿下は剣を抜き、高らかに叫んだ。
「この鎧は、王国の宝物庫から持ち出した伝説の聖鎧『アイギス』だ! どんな攻撃も跳ね返す!」
「……殿下、その鎧、重すぎて膝が笑っていますよ」
私は遠目にも分かる彼の足の震えを確認し、救護班に『担架、特大サイズで待機』と合図を送った。
続いて西側から現れたのは、いつものシャツに革の防具を一枚つけただけのルーカス殿下。
手には、刃引きをした訓練用の大剣をぶら下げている。
「あー……面倒くさい。早く終わらせて飯にしたい」
あくびをしている。
緊張感の欠片もない。
『両者、構え!!』
審判の声が響く。
レイド殿下は聖鎧をガチャガチャいわせながら、剣を正眼に構えた。
「行くぞ、筋肉皇太子! 僕の愛の剣技、受けてみろ!」
「……名前で呼べ。まあいい、来いよ」
ルーカス殿下は棒立ちだ。
『始めッ!!』
開始の合図と同時に、レイド殿下が叫んだ。
「うおおおお! 愛は勝つ! シルビアは僕のものだあああ!」
彼は猛然と突進した。
……いや、猛然というよりは、重い鎧に振り回されてヨロヨロと走っている。
対するルーカス殿下は、一歩も動かない。
ただ、近づいてくるレイド殿下を見据え、深いため息をついた。
「遅い」
「なっ!?」
レイド殿下の剣が振り下ろされる――その直前。
ルーカス殿下の大剣が、下から上へとカチ上げられた。
それは剣術というより、ゴルフのスイングに近かった。
ドォォォォォォン!!!
凄まじい衝撃音が闘技場を揺らす。
「え?」
マリア嬢が口を開けた。
私の目の前で、金色の塊が空高く打ち上げられた。
「あーーーーれーーーーーー!」
情けない叫び声を残し、レイド殿下は放物線を描いて空の彼方へ。
その高度、推定三十メートル。
「……ナイスショット」
私は思わず拍手した。
キラリと光る星のように、レイド殿下は闘技場の場外、お堀の水の中へと着水した。
バッシャーーーーーン!!!
巨大な水柱が上がる。
『しょ、勝負ありぃぃぃぃ!! 勝者、ルーカス・フォン・バルバロッサ皇太子!!』
『うおおおおおおおお!!』
観客総立ち。大歓声。
試合時間、およそ三秒。
「レ、レイド様ぁぁぁぁ!!」
マリア嬢が悲鳴を上げて駆け出していく。
「あ、マリア様! 賭け金の払い戻しはありませんよ! ハズレ馬券は紙屑です!」
私は背中に声をかけたが、彼女には届いていないようだった。
「ふう……仕事終了」
私はオッズ表を片付けた。
そこへ、涼しい顔をしたルーカス殿下が戻ってきた。
汗一つかいていない。
「どうだ、シルビア。俺の愛の力(物理)は」
「愛というか、ただの暴力でしたね。手加減はしましたか?」
「したぞ。峰打ちだ」
「峰打ちで人が空を飛ぶのは物理法則がおかしいですが……まあ、生きてはいるでしょう」
お堀から這い上がってくる金ピカの姿が見える。
マリア嬢がタオルを持って走り回っているようだ。
「これで、あいつらも少しは懲りるだろう」
「だといいのですが。……あの方たち、学習能力が欠如していますから」
私は売り上げの入った重い袋を持ち上げた。
「さて、本日の収益は金貨二万枚です。ルーカス殿下の勝利があまりに明白すぎて、配当金がほとんど発生しませんでした」
「つまらんな。全額、国庫へ入れておけ」
「いえ、一割は私の『興行主手当』として頂きます」
「……お前、本当にブレないな」
殿下は呆れつつも、私の頭をポンと撫でた。
「帰るぞ。今日は祝勝会だ。最高の肉を用意させる」
「また肉ですか? 野菜も食べてくださいと言っているでしょう」
「今日は特別だ! 俺が勝ったんだからな!」
子供のようにはしゃぐ最強の皇太子。
私はやれやれと肩をすくめつつ、その隣を歩いた。
遠くで、濡れ鼠になったレイド殿下が「おぼえでろぉぉぉ!」と叫んでいるのが聞こえたが、それは勝利のファンファーレにかき消された。
私の帝國生活は、こうしてまた一つ、騒がしい思い出(と売上金)を積み重ねていくのだった。
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