第14話

「……重い」


鏡の前に立った私は、開口一番にそう漏らした。


今夜は、隣国との国交樹立記念舞踏会。


私が身に纏っているのは、ルーカス殿下が特注したというミッドナイトブルーのドレスだ。


生地には本物のダイヤモンドが星屑のように散りばめられ、レース部分は銀糸で編まれている。


その総重量、およそ十五キロ(体感)。


「殿下。これはドレスですか? それとも最新式の甲冑ですか?」


迎えに来たルーカス殿下に、私はジト目で問いかけた。


「防刃繊維も織り込んであるからな。いざという時は盾になる」


「舞踏会で盾が必要になる状況を作り出さないでください」


殿下は満足げに私を見回し、ニヤリと笑った。


「だが、似合っているぞ。俺の瞳と同じ色の宝石(サファイア)も映えている。……美しい」


「お世辞は結構です。レンタル料換算で一時間あたり金貨百枚の価値があることは理解していますので」


「素直に喜べないのか、お前は」


殿下自身も、いつものラフなシャツ姿ではなく、黒を基調とした正装に身を包んでいる。


髪も整えられ、無駄に長い脚が際立つパンツスタイル。


悔しいけれど、黙っていれば絵本に出てくる王子様そのものだ。喋らなければ、だが。


「さあ、行くぞ。俺の『トロフィー』を見せびらかしにな」


「誰がトロフィーですか。私は『高額納税者』です」


私は殿下の差し出した腕に、そっと手を添えた。



会場となる大広間は、すでに熱気で満ちていた。


帝国の貴族たちに加え、周辺諸国からの使節団。総勢五百名以上が集まっている。


「……ルーカス皇太子殿下の御成ぉーーーり!!」


衛兵の声が響き渡り、巨大な扉が左右に開かれる。


その瞬間、会場のざわめきがピタリと止んだ。


数百の視線が、階段の上に立つ私たちに集中する。


(さあ、仕事の時間よ)


私は背筋をピンと伸ばし、顎を少しだけ上げた。


いわゆる『悪役令嬢モード』の起動だ。


口角を完璧な角度で上げ、目は決して笑わず、冷徹な輝きを放つ。


「おい、見ろ……あれが噂の……」

「殿下の新しい『女』か?」

「いや、違うぞ。あれは『氷の処刑人』シルビア様だ!」


会場のあちこちから、ヒソヒソ話が聞こえてくる。


「先日の予算会議で、ガンダル将軍を論破して泣かせたらしいぞ」

「商業ギルドのボルグを土下座させて、金を巻き上げたとか……」

「美しいが、目が合っただけで監査に入られそうだ……」


帝国の貴族たち(主にマッチョ)が、私を見て怯えている。


恐怖政治、成功である。


「いい反応だ」


隣で殿下がククッと笑った。


「皆、お前にビビっている。最高の気分だ」


「殿下、性格が悪いですよ。私はただ、笑顔で挨拶をしているだけです」


私たちは優雅に階段を降りていく。


その一歩一歩が、まるでランウェイを歩くモデルのように――いや、戦場を行進する将軍のように、周囲を圧倒していく。


フロアに降り立つと、モーゼの十戒のごとく人垣が割れた。


「やあ、ルーカス殿下! 今宵は素晴らしい宴ですな!」


最初に声をかけてきたのは、帝国の有力貴族らしき大男だ。


「……そちらの麗しい女性は?」


「俺の筆頭秘書官、シルビアだ。俺の財布の紐はこいつが握っている。賄賂を渡すなら俺ではなくこいつに渡せ。まあ、渡した瞬間に逮捕されるがな」


殿下の紹介に、貴族の顔が引きつった。


「お、お初にお目にかかります、シルビア様……。その、ドレスがお似合いで……」


「ありがとうございます」


私は扇子を開き、口元を隠して目を細めた。


「貴方様も素晴らしい装いですね。そのシルクのマント、南方の特産品でしょう? 関税率が変わったばかりですが、ちゃんと修正申告なさいましたか?」


「ひっ!」


「冗談ですわ。……今のところは」


貴族は「し、失礼しましたァ!」と逃げていった。


「シルビア、いじめすぎだ」


「納税意識を高める啓蒙活動です」


その後も、挨拶に来る人々を次々と『数字』と『法令』で斬り伏せていく私。


「あ、そこの将軍。備品購入費の領収書、まだ出ていませんよ?」

「貴方、先日の会議で居眠りしていましたね? 減給対象です」


気がつけば、私の周りには「シルビア様……怖いけど仕事ができる……」「俺たちを導いてくれる女神(鬼)だ……」という、奇妙な信者集団が出来上がっていた。


「……大人気だな」


「どこがですか。全員、目が泳いでいますよ」


その時、オーケストラがワルツの調べを奏で始めた。


「シルビア」


殿下が私の前に立ち、恭しく手を差し出した。


「踊るぞ。拒否権はない」


「……ドレスが重くて、ステップが踏めるか怪しいですが」


「俺に任せろ。お前の体重ごとき、羽毛のようなものだ」


私は苦笑し、その手を取った。


次の瞬間、私の体はふわりと宙に浮いた。


「っ!?」


殿下のリードは、強引でありながら驚くほど滑らかだった。


私の動きを完全に制御し、重いドレスごと私を振り回す――いや、舞わせる。


遠心力と筋力のマリアージュ。


(……悔しいけど、上手い)


回転する景色の中で、殿下の顔が近づく。


「どうだ? 悪くないだろう」


「……遠心力計算が追いつきません。速度違反ですよ」


「ハハハ! 俺についてこられるのはお前だけだ!」


私たちはフロアの中央で、誰よりも激しく、誰よりも華麗に踊り続けた。


周囲の視線を独占し、スポットライトを浴びる。


「美しい……」

「お似合いだぞ……」

「まるで魔王と魔女の舞踏会だ……」


称賛(?)の声が聞こえる中、私はふと視線を感じた。


会場の隅。


柱の陰に、見覚えのある顔があった。


金髪の、少し頼りない顔立ちの青年。


そしてその隣で、ピンク色のドレスを着て口をポカンと開けている少女。


(……あら)


レイド殿下と、マリア嬢だ。


彼らは、信じられないものを見るような目で、私を見つめていた。


特にレイド殿下の顔色は、死人のように青白い。


かつて「地味で可愛げがない」と切り捨てた元婚約者が、大国の皇太子にエスコートされ、宝石のように輝いている姿。


その衝撃は、彼の小さなキャパシティを破壊するのに十分だったようだ。


「……見ているな」


ルーカス殿下も気づいたようで、私の耳元で囁いた。


「どうする? 見せつけてやるか?」


「ええ」


私はニッコリと微笑んだ。


「とびきりの『幸せ』を見せて差し上げましょう。それが最大の毒になりますから」


私はわざと殿下に身を寄せ、その肩に手を回した。


そして、レイド殿下に向けて、勝ち誇ったような――最高に意地悪な「悪役令嬢の笑み」を向けてみせた。


(ごきげんよう、元殿下。指をくわえて見ていらっしゃい。貴方が捨てた『金ヅル』は、今やこんなに高く売れているのよ)


レイド殿下がよろめき、マリア嬢がハンカチを噛むのが見えた。


音楽がクライマックスを迎える。


私の「公開処刑」という名の業務は、まだ始まったばかりだ。

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