第12話
「シルビア、箸を止めろ。これは命令だ」
昼下がりの王城。
風光明媚なテラス席で、ルーカス殿下が不機嫌そうにナイフを置いた。
目の前には、一流シェフが腕を振るった豪華なフルコース。
しかし、私の手元にあるのはフォークではなく、愛用の万年筆とメモ帳だった。
「命令されても困ります。今、脳内で『王城の食材廃棄率』の計算が佳境に入っているのです」
私はメモ帳に素早く数式を書き殴りながら答えた。
「この前菜のテリーヌ、原価率は約三割ですが、盛り付けに使われている飾り野菜の廃棄量が多すぎます。これをスープの出汁に回せば、年間で金貨五十枚の削減になりますよ」
「……あのな」
殿下が深い溜息をついた。
「俺が言いたいのは、そういうことじゃない。今日は天気がいい。風も心地よい。そして目の前には美しい女(お前)がいる。……普通、ここは愛を語らう場面だろう?」
「愛? 愛で腹は膨れませんし、愛で野菜の皮は剥けません」
私はバッサリと切り捨てた。
「それに殿下、貴方様は勘違いをされています」
「なんだ?」
「私は貴方様の『恋人』ではなく『筆頭秘書官』です。就業時間内に愛を語らうのは職務怠慢、給料泥棒の所業です」
「今は休憩時間だと言っただろう!」
殿下がガチャンとグラスを置いた。
「全く……お前という奴は、隙あらば仕事を持ち込む。色気より食い気、食い気より金か?」
「当然です。金貨は裏切りませんから」
私は涼しい顔でサラダを口に運んだ。
……悔しいけれど、ドレッシングが絶品だ。これのレシピを解析して、瓶詰めにして売れば儲かるかもしれない。
「はぁ……。まあいい、お前らしいと言えばお前らしい」
殿下は諦めたように苦笑し、手元の箱をスッと差し出した。
「ほら、やるよ」
「何ですか? 新しい領収書の束ですか?」
「違う。……プレゼントだ」
殿下が少し照れ臭そうに視線を逸らす。
私は眉をひそめつつ、箱を開けた。
中に入っていたのは、透き通るような青い宝石が埋め込まれた、銀細工のネックレスだった。
「……!」
「どうだ。お前の瞳と同じ色だろう。城下町の宝石商が『最高級品が入った』とうるさいから、買ってやった」
美しい。
宝石の知識がある私でも、これほどの純度のサファイアは見たことがない。
加工技術も超一流。王国の国宝級に匹敵する代物だ。
普通の令嬢なら、「まあ素敵! 一生大事にします!」と涙を流して喜ぶ場面だろう。
しかし、私はシルビア・ランカスター。
悪役令嬢であり、守銭奴であり、プロの事務屋だ。
私は宝石を光に透かし、三秒で鑑定を下した。
「推定価格、金貨五千枚ですね」
「……」
「デザイン料込みで六千枚といったところでしょうか。殿下、まさか定価で買っていませんよね? あの店主なら『殿下価格』で二割増しにしている可能性があります」
「……お前なぁ」
殿下がこめかみをピキピキと引きつらせた。
「そこは『ありがとう』でいいだろうが! なぜ即座に査定に入るんだ!」
「職業病です。それに、こんな高価なものを頂く理由は? まさか、私の給料から天引きされるのでは?」
「されるか! ただの……その、日頃の感謝だ。それをつけて、来週の舞踏会に出ろ」
「舞踏会?」
私は手を止めた。
「ああ。隣国との国交樹立記念パーティーだ。俺のパートナーとして出席しろ」
「お断りします」
即答だった。
「私は裏方です。華やかな場所は似合いませんし、ドレスを着て愛想笑いをする時間があれば、書類を百枚処理できます」
「拒否権はない。これは『公務』だ」
殿下はニヤリと笑った。
「それに、今回の舞踏会には……お前の古巣、ランカスター王国からも使節団が来るらしいぞ」
その言葉に、私の動きが止まった。
「……王国から?」
「ああ。どうやら向こうの国王が、経済危機の支援を求めて、なりふり構わず頭を下げに来るらしい。……例のバカ王子も同行するそうだ」
レイド殿下が、来る。
しかも、私が働くこの帝国へ。
「……面白くなってきましたね」
私はゆっくりとナイフを置いた。
「つまり、私は元婚約者に対し、『貴方が捨てた女は、今や大国の皇太子の隣でこんなに輝いていますよ』と見せつける役回り、ということですか?」
「そういうことだ。最高の復讐だろう?」
殿下は楽しそうにワインを揺らした。
「俺の横に立ち、圧倒的な格の違いを見せつけてやれ。あいつが二度と、お前を連れ戻そうなどという寝言を吐けないようにな」
なるほど。
それは確かに、悪役令嬢として最高の晴れ舞台だ。
それに、私の作成した『帝国経済圏構想』を、王国の古臭い貴族たちにプレゼンする絶好の機会でもある。
「承知いたしました。その公務、お引き受けします」
私はネックレスを手に取り、首に当ててみた。
ひんやりとした宝石の感触が、戦意を高揚させる。
「ただし、ドレス代と美容代は経費で落とさせていただきます」
「好きにしろ。世界一美しくしてこい」
「もちろんです。元婚約者が腰を抜かし、マリア嬢が悔し涙で脱水症状になるくらい、完璧に仕上げてみせます」
私は不敵に微笑んだ。
「……怖いな、お前のその笑顔は」
「あら、頼もしいとおっしゃってください」
「違いない」
殿下は満足げに笑い、私の皿に肉を一枚乗せてくれた。
「食え。戦の前には栄養が必要だ」
「はい。……あ、殿下。口元にソースがついていますよ」
私は無意識にナプキンを取り、殿下の口元を拭ってしまった。
拭いてから、ハッと気づく。
これは秘書の仕事というより、もっと親密な……。
殿下が驚いたように私を見つめている。
金色の瞳が、至近距離で揺れている。
「……すまん」
「い、いえ。不潔だと衛生局から指導が入りますから。他意はありません」
私は慌てて言い訳をして、視線を逸らした。
心臓が、少しだけ早鐘を打っている気がする。
これはきっと、食後のカフェインのせいだ。そうに違いない。
「……シルビア」
「なんですか」
「やはりお前は、俺の妃に……」
「聞こえません。今はランチタイムです。私語は慎んでください」
私は強引に話を打ち切り、パンを口に詰め込んだ。
殿下は喉の奥でククッと笑い、それ以上は何も言わなかった。
テラスに吹く風が、少しだけ甘い香りを運んできた気がした。
だが、甘い雰囲気に浸っている場合ではない。
来週は決戦だ。
私は頭の中で、舞踏会の衣装予算と、レイド殿下への精神的ダメージ計算式を同時に組み立て始めた。
(待っていらっしゃい、元殿下。私が本当の『高嶺の花』であることを、嫌というほど教えてあげるわ)
私の瞳の中で、青い宝石が冷たく、鋭く輝いた。
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