第8話

『黄昏の歯車』によるリィナ誘拐事件は、学園側によって「魔物の迷い込み」という呆れるほど杜撰な説明で片付けられた。内通者の存在を確信しているアルスにとっては予想通りの対応だったが、その隠蔽体質が逆に彼の疑念を深めることになった。

 事件から数日後。旧校舎の図書室で、アルスは敵が残した機械の残骸から剥ぎ取った「基板」を解析していた。

「……やはり、この術式の組み方は、学園の教科書にあるものじゃない。魔力を増幅させるのではなく、周囲の熱を奪って魔力に置換している」

 熱力学の法則を魔術に応用したようなその技術体系は、アルスの「物質変換」と驚くほど親和性が高かった。

 そこへ、場違いなほど高級な香水の香りと共に、エリナが現れた。彼女の手には、金縁の豪華な封筒が握られている。

「アルス、大変よ。……お父様から、あなたに招待状が届いたわ」

「ローゼリア公爵から? 娘を救ってくれた平民への感謝状か何かか」

「そんな殊勝な人じゃないわ。……招待状の文面を見て。『我が領地に眠る“12番目”の欠片について、知恵を借りたい』って書いてあるの」

 アルスは作業の手を止め、封筒を凝視した。

 12。またしてもその数字だ。

 単なる魔力測定の数値だと思っていた「12」が、不気味な符合を見せ始めている。

「……行くしかないようだな。エリナ、君の家はここから遠いのか?」

「王都の隣、ローゼリア領までは馬車で半日よ。でも、気をつけて。お父様は、実力のない人間には容赦がないから。……もし何かあったら、私が全力であなたを守るけど」

 エリナは真剣な顔で言ったが、アルスは微かに笑った。

「守られるのは僕の性分じゃない。君の剣を研ぐのは僕だ。研ぎ手が先に折れてどうする」

 翌日。学園の特別許可を得て、二人は豪華な公爵家の馬車に揺られていた。

 車中、エリナは落ち着かない様子で、アルスが預かっていた『静寂』の感触を何度も確かめていた。

「ねえ、アルス。あなた、自分の本当の両親のこと……聞いたことはないの?」

「……さあな。物心ついた時には、町の工場の親父さんに拾われていた。親父さんは『お前は鉄屑の中から生まれてきたんだ』なんて笑っていたよ」

「鉄屑の中から……。あなたのその、異常なまでの物質への理解力。ただの才能で片付けるには、あまりに理にかなっている気がするの」

 エリナの言葉を遮るように、馬車が大きく揺れて止まった。

 窓の外には、空を突くような白亜の城砦が見える。ローゼリア公爵家の本拠地だ。

 通されたのは、何千冊もの古文書が並ぶ巨大な執務室だった。

 部屋の奥、巨大な机の前に座っていたのは、エリナと同じ燃えるような赤髪を蓄えた、威厳に満ちた男——現当主、バルトロメウス・フォン・ローゼリア公爵だった。

「……貴様が、アルス・レーヴェンか」

 公爵の声は、物理的な圧力となってアルスの全身を襲った。並の人間なら気圧されて膝をつくほどの威圧感だ。だが、アルスはその圧力を「空気の振動」として解析し、自身の重心をわずかにずらすことで無力化して立っていた。

「ほう。私の覇気を流したか。魔力値12という報告は、どうやら測定器の故障だったようだな」

「いえ、12で間違いありません。公爵様。……本題に入りましょう。僕を呼んだのは、感謝の宴のためではないはずだ」

 公爵は不敵に笑うと、机の上に一つの「箱」を置いた。

 それは、いかなる魔法でも開けられないとされる古代の金属『絶対鋼(オリハルコン)』で作られた小箱だった。

「この箱は、我が家が代々守護してきたものだ。中には、かつて世界を創り替えたとされる『12の調律師』が残した遺産が入っていると言われている。……いかなる高位魔導師も、これを傷つけることすらできなかった」

 公爵の目が、獲物を狙う鷹のように鋭くなる。

「アルス。貴様がもし、一分以内にこれを開けてみせれば、貴様がエリナの傍にいることを許そう。だが、失敗すれば……その命、我が家の秘密を知りすぎた代償として貰い受ける」

「お父様! それは無茶よ!」

 エリナが叫ぶが、公爵はそれを手で制した。

 アルスは無言で小箱の前に立った。

 彼は箱に触れる。

 冷たい。だが、その内部で蠢く「意思」のようなものを、アルスの指先は感じ取っていた。

(……オリハルコン。原子間の結合エネルギーが通常の金属の万倍。だが、どれほど強固な結びつきにも、『継ぎ目』はある)

 アルスは目を閉じ、自身の全魔力——わずか12の熱量を、一一点に集中させた。

(結合方向の反転。格子欠陥の強制誘発。……開け)

 パキリ、という小さな、しかし決定的な音が静室に響いた。

 絶対に開かないはずのオリハルコンの蓋が、まるで最初からそうであったかのように、滑らかに開いた。

 中に入っていたのは、一本の「銀色の鍵」と、古びた手記の一ページ。

 そこには、震えるような文字でこう記されていた。

 ——『12番目の被験体よ。世界を、正しい姿に戻せ』

 公爵の顔から色が消えた。

 アルスは鍵を手に取り、真っ直ぐに公爵を見据えた。

「これで、合格ですか?」

 沈黙。

 やがて公爵は、深く椅子に体を預け、絞り出すように言った。

「……エリナ。貴様は、とんでもない男を連れてきたな」

 アルスの「数字」を巡る謎が、今、国家規模の陰謀へと繋がり始めた。

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